| セレスタの涙、オニキスの誓い 第八十五章 |
| 青く広がる空の下、鏡の 気がついた時、彼の目の前には満天の星空が広がっていた。 「────ああ」 ハボックは頭上に広がる星空を目を見開いて見上げる。一際明るく輝く星が長い尾を引いて夜空を横切るのを見て、ハボックは手を差し伸べた。 「────なんでもするから……だから、オレに大佐を守らせて……オレの全部賭けて、大佐のこと……それ以外何も望まないから……」 まるで願いを聞いてやろうとでも言うようにゆっくりと流れていく星に向かってそう呟いて、ハボックは顔を歪める。諦めか安堵か、自分にも判らないため息を零したハボックは、伸ばした手を横合いから掴む手にギクリとして身を強張らせた。 ヒヤリと冷たい風に頬を撫でられてロイはゆっくりと目を開く。辺りの暗さにハッとして空を見れば明るかった空が満天の星に覆われている事に気づいて、ロイは驚いて飛び上がるようにして立とうとした。 「いかん、いつの間に眠ってたんだ、私はっ!すまない、ハボック、急いで────」 帰ろうと言いかけて、傍らを見たロイはハボックの手が夜空に向かって伸びるのを見て目を瞠る。身動きできないまま見つめていれば、夜空に向かって手を伸ばしたハボックが囁く声がロイの耳に聞こえてきた。 「────なんでもするから……だから、オレに大佐を守らせて……オレの全部賭けて、大佐のこと……それ以外何も望まないから……」 「────ッ!!」 切ないまでの囁きとそれに続く震えるようなため息に胸を締め付けられて、ロイは考えるより先に空に向かって伸ばされた手を掴む。そうすれば、ギクリと身を強張らせたハボックの空色の瞳がロイを見た。 「ハボック」 ずっと視線を合わせることがかなわなかった空色が確かに自分に向けられているのを見て、ロイはクシャリと顔を歪ませる。胸に沸き上がる喜びとも驚きともつかぬ何かに衝き動かされるまま、ロイは掴んだ手をグイと引いてハボックを抱き締めようとした。だが、そうするより早くハボックがロイの手を振り解く。信じられないと言うようにロイを見てハボックは言った。 「なんで……なんで大佐がここに……?だって、ここはアエルゴ……」 ハボックはそう呟いて辺りを見回す。辺りに広がるのが焼け付く戦場の景色ではなく、色づく紅葉と穏やかな自然のそれと気づいて目を見開いた。 「ハボック、ここはアエルゴじゃない。覚えていないか?敵に囲まれて今にも撃ち殺されそうだったお前を私が助け出したんだ」 ロイは言ってハボックにゆっくりと手を伸ばす。驚かせないようそっとハボックの腕を掴んで言った。 「私が、判るんだな……?私の事が……」 ハボックの瞳が己を見つめ、その唇が己を呼ぶのを確かに聞いた。待って待って待ち望んだその瞬間が今やっと訪れたのだとロイは安堵と喜びに泣き笑いのような表情を浮かべる。今度こそ抱き締めようとしてロイは、ハボックの様子がおかしいことに気付いた。 「敵に……撃ち殺されそうに……」 「ハボック?」 小さく呟いてハボックはロイを見る。見つめてくる黒曜石を見返せば、ハボックの脳裏に空を裂き敵を薙ぎ倒す焔の龍の姿が浮かび上がった。 「あ……ああ……」 漸く訪れた死の瞬間、これでほんの欠片でも大切な相手の為に役立てると、例えそれが自己満足に過ぎないとしても薄汚れた自身が最後に出来るたった一つの事を死をもって成し遂げられると思ったその瞬間、まるでそれを拒むように放たれた龍がハボックを死の淵から引き戻してしまった。見つめる黒曜石に己の全てを拒まれたと、なにがあろうとロイが己を赦す事はないのだとその黒曜石が告げているように思えて。 「見ないで……その目で、オレを見ないで……ッ」 「ハボックっ?!」 「オレは……、オレはただ、アンタを……ッ」 「ハボック!」 「やだァァッッ!!」 大声で叫んで、ハボックは立ち上がって走り出そうとする。だが、ものの数歩も行かない内にガクンとつんのめるようにして倒れ込んだ。 「ハボック!」 ロイは地面に倒れ込んだハボックに駆け寄り、引き起こそうとその肩を掴む。だが、ハボックはロイの手を振り払い震える手で己の脚に触れた。 「こんな……筋肉が落ちて……」 「ハボック」 「ここも……ここも……なんで……っ?」 「ハボック!」 脚に触れ、腕に触れ、己の体にあちこち触れてハボックはすっかりと衰えてしまった体に気付いて目を見開く。ガタガタと小刻みに震える肩をロイは背後から両手で抱え込むように抱き締めた。 「おちつけ、ハボック。ここはアエルゴじゃないし、もうあの時から随分と時間が経ってる。ちゃんと説明するから、だから落ち着いて……、────ハボック?」 混乱するハボックを落ち着かせようとロイはハボックを抱き締めて早口に囁く。だが、背後から覗き込んだハボックが大きく目を見開きハアハアと荒く息を弾ませていることに気付いて、ロイは腕を掴んでグイと体を半回転させハボックの顔を正面から見つめた。 「ハボック」 「嫌だ、オレは……、オレはただ大佐を……、オレは────」 ハアハアと弾む息の間に呟いていたハボックの喉がヒクリと震えたと思うと、空色の瞳が一際大きく見開かれる。その瞳の光が消えると同時にフッと意識を失って、ハボックの体がロイの腕の中に倒れ込んだ。 |
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