セレスタの涙、オニキスの誓い  第八十三章


「ああ、冷えると思ったら雨が降ってる」
 鎧戸を押し開け窓を開いてロイは言う。ここへ来てから多少夜に雨が降ったくらいで毎日のようにいい天気が続いていたが、今朝は灰色に垂れ込めた空から雨粒が落ちてきていた。
「流石に今日は散歩は無理だな」
 ロイはため息混じりに言いながら窓を閉める。まだベッドに腰掛けたままパジャマ姿のハボックを振り返って言った。
「外へ出られないならこのまま今日は寝て過ごすか?」
 悪戯っぽく言ってロイはハボックに歩み寄る。ベッドに片膝をかけ、ハボックの金髪をかき上げてその顔を覗き込んだ。
「髪が伸びたな、後で少し切ってやろう。目に入ると視力が落ちる。軍に戻った時に目が悪くなっていたら不便だし、それにレンズ越しになったら勿体無い」
 ロイは言いながらハボックの空色の瞳を見つめる。どうやっても視線を合わせる事が出来ず、ロイは顔を歪めてハボックの体を抱き締めた。
「ハボック」
 ギュッと力を込めればハボックの体が背後に傾ぐ。そのまま一緒にベッドに倒れ込んで、ロイはハボックの顔を真上から見下ろした。
「ハボック」
 少し伸びた金髪をシーツに散らして、ハボックはぼんやりと宙を見つめている。手を伸ばしてその金髪を梳いたロイは、その指を頬へと滑らせた。
「愛してる、ハボック……だから」
 だから、なんだと言うのだろう。ロイはその先に何を言いたいのか自分でも判らず唇を噛む。
「苦しいよ、ハボック……お前が好きで……苦しい」
 助けてくれ、と小さく呟いてロイはハボックを見つめた。だが、ハボックから答えが返る事はなく、ロイはハボックの腕を力任せに掴んだ。
「…………罰、と言うことか」
 ハボックの心を信じず、真実から目を背け続けた自分への罰がこれなのか。絶対にハボックの心を取り戻すと決めてここへやってきたものの、なかなか快方へは向かわぬ容態に、ロイは為す術を思い描けず顔を歪める。
「罰なら他のどんな事でも受け入れる。だからハボックを返してくれ」
 一体誰に対して言っているのか、ロイ自身判らぬまま呻くように呟いて、ロイはハボックをきつく抱き締めた。


 ハボックを着替えさせ階下に下りてくればリビングはひんやりと冷えきっている。ロイはハボックをソファーに座らせ膝掛けをかけてやると壁の一角に設えられた暖炉に近づいた。
「今火をつけるから、寒いだろうが少し我慢して待っててくれ」
 ロイは言って暖炉の側に置いてある薪を放り込む。古新聞を使って火種を作り火を起こそうとしたが、思ったように火は薪に移らなかった。
「くそ……っ、上手くいかんな」
 ロイは小さく舌打ちしてマッチを擦る。何度やっても上手くいかず、ロイは癇癪を起こして薪を放り出した。
「湿気ってるんじゃないのか?」
 火が上手くつかない事を薪のせいにして呟いたロイは、チラリとハボックを見る。何となく笑われた気がして、ロイは眉を寄せた。
「呆れてるのか?確かにこれでは野営の時どうにもならんな」
 うーっ、と唸ってロイは暖炉を睨みつける。ヒンヤリとした空気にブルリと体を震わせたロイは、懐から発火布を取り出して手に填めるとパチンと指を鳴らした。指先から走り出た焔が薪を包み込み鮮やかな火が燃え上がる。とりあえず暖炉に火を熾すことが出来たものの、何となくズルをした感は拭えずロイは誤魔化すように軽く咳払いした。
「湿気た薪と無駄に格闘している間にお前に風邪を引かせてはいかんからな。これは緊急措置だ」
 言い訳がましくそう言って、ロイは火掻き棒で薪をつつく。紅く燃え上がる焔見つめていたロイの耳にかつてハボックが言った言葉が蘇った。


『オレ、大佐の焔、好きっスよ』
『なにを突然言い出すかと思ったら……変わった奴だな。大概は恐ろしいと言うぞ。そもそもあれは人殺しの道具だろう?』
 ふと思いついたようにそんなことを言い出すハボックに、ロイは苦く笑って言う。実際ロイが生み出す焔を目の当たりにした者は口をそろえて“これは悪魔の(わざ)だ”と言うのが常だった。
『そんな事ねぇっス。だって大佐の焔はとても綺麗で暖かい。あんな美しいものを見て悪魔だなんて言う奴の気が知れないっス』
『私にはお前の気の方が知れんがな。あれは確かに悪魔の────』
『大佐』
 苦笑してロイが言えばハボックが咎めるように言葉を遮る。その空色の瞳が思いがけないほどきつい光をたたえて見つめてくるのに気づいて、ロイは目を瞠った。
『例え大佐自身でもあの焔を悪く言うのは赦さないっス』
 きっぱりとそう言うハボックをロイは驚いたように見つめる。そうすれば、きつい光をたたえていたハボックの瞳が、柔らかく解けて優しい笑みを浮かべた。
『大佐の焔は綺麗っスよ。あれは悪いものを浄化して新しいものを生み出す焔だもん。例え誰がなんと言おうとオレは大佐の焔が大好きっス』
 ハボックはそう言ってにっこりと笑う。そんな風に言うハボックをじっと見つめていれば不意に目の奥に込み上がる熱いものを感じて、ロイは慌ててハボックから目を逸らした。


「あの時お前は私の焔が綺麗だと言ってくれた。今でもそう言ってくれるか?私の焔は変わらずお前の目に美しく映っているんだろうか。それとももう、嫉妬と猜疑心に汚く濁ってしまったかな」
 そう言いながら薪をつつけばパアッと鮮やかな火の粉が舞う。ロイは暖炉の側から離れてハボックに近づくと、その瞳を覗き込んだ。
「ハボック、お前の目にはどう映っている……?」
 ロイは空色の瞳に映し出されてゆらゆらと揺れる焔を見つめて尋ねる。暖炉の焔で紅く照らされる金髪を抱き寄せて、ロイは焔を映す瞳にそっと口づけた。


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