| セレスタの涙、オニキスの誓い 第八十一章 |
| 「そろそろ帰ろうか。風が冷たくなってきた」 ロイは読んでいた本を閉じて立ち上がる。車椅子に座るハボックを胸に引き寄せれば触れた金髪がひんやりと感じられて、ロイは身を震わせた。 「いかん、風邪を引かせてしまう。寒くないか?ハボック」 言って覗き込んだ頬に触れるとそこも冷たくなっている。元々体温が低い己が触れて冷たく感じられる事が、このままハボックの体が冷えきって心臓の鼓動も止まってしまうような錯覚を引き起こして、ロイは着ていた上着をハボックの体にかけてやると急いで別荘への道を戻っていった。辺りが鮮やかなオレンジに染まる中、別荘が見えてきてロイはホッと息をつく。入口に続くスロープを車椅子を押して上がったロイは、玄関先に籠にいれられた葡萄を見つけて目を見開いた。 「────本当に置いていったのか」 正直、男と別れた後はすっかり忘れ去っていた。ロイは籠を拾い上げるとハボックの膝の上に置く。 「葡萄を貰ったよ。もしまた会う事があったら礼をしないとな」 ロイは言って家の中に入った。膝に乗せた籠をテーブルに移し、ハボックの体を抱き上げソファーに座らせて膝掛けをかけてやる。冷たくなったハボックの手を両手で包み込んでさすって暖めてやった。 「ん、よかった、暖かくなってきた」 手を伸ばして頬に触れ、空色の瞳を見つめて微笑む。その空色の視線を捉えようとして叶わず、ロイは包み込んだ手に目を落として微かに首を振った。 「折角だ、食べてみるか」 それでも殊更明るく話しかけたロイは、テーブルに置いた籠を取り上げキッチンへ入っていく。水を張ったボウルの中で葡萄を一房振り洗いすると、皿に載せハボックのところへ戻った。 「どれ」 ロイは一粒葡萄を摘み口に放り込む。噛めば口の中に広がる爽やかな甘みに、ロイは目を瞠った。 「甘い」 どうやらあの荷馬車の男が言ったのは誇張でもなんでもなかったようだ。ロイは更に二粒ほど口に放り込んでからハボックを見る。甘い香りはハボックにも届いている筈で、ロイは食べやすいように葡萄の皮を剥くとハボックの口元に運んだ。 「種はないから」 言って葡萄を軽く唇に押しつける。少し待ってみたがやはり食べないかとため息をついた時、ハボックの唇が少しだけ開いた。 「あ」 その隙間からツルンと葡萄がハボックの口の中に入る。小さな果実は噛まずとも喉の奥へと運ばれたようで、その様子にロイはクスクスと笑った。 「現金だな、お前も」 日々の食事を与えるのも不自由な中、甘い葡萄は自ら進んで食べたかのようなハボックをロイは目を細めてみつめる。 「良かったな、あの男に感謝しないとだ」 ロイはそう言うと葡萄の汁に濡れたハボックの唇にそっと口づけて。 「愛してる」 愛しそうに囁いた。 鏡の湖に佇む彼の頭上からポトリと滴が降ってくる。彼の肩に当たって弾けたそれから甘い葡萄の香りが辺りに広がった。それと同時に優しい風が吹いて彼の金髪を揺らす。 ────アイシテル。 その風は優しい囁きを残して湖を吹き抜けていった。 「ほら、ハボック」 ロイはカプセルに水を足すとピンクのコスモスをハボックに握らせてやる。そうすればハボックがどこか安心したような表情を浮かべたように見えて、ロイはコスモスを握ったハボックの手をギュッと握った。それから拾ってきた団栗をコスモスを飾ったグラスの側に置く。置いた団栗の中の一つを独楽を回すように指先で回せば、心棒のないそれはころころと転がって床に落ちた。 「しまった」 カツンと軽い音を立てて落ちた団栗がハボックが座る車椅子の足下に転がる。タイヤに当たって止まったそれを身を屈めて拾い上げようとしたロイは、車椅子の肘置きに手をついてハボックの顔を見つめた。 「ハボック」 転がった団栗をハボックが拾ってくれはしまいか。ほんの少しそんな期待を抱いてみたが、そうそう思うようにはならないようだ。ロイは苦笑して団栗を拾い上げた。 「なあ、ハボック」 団栗を拾った手をハボックの膝に乗せ、ロイは車椅子の側に跪いてハボックの腿に顔を乗せる。子供が親に甘えるようにハボックに身を寄せて、ロイはそっと目を閉じた。 「好きだよ、ハボック……どうしたらいいんだろうな、気持ちが溢れて止まらないんだ。お前が好きで、愛しくて堪らない。苦しいよ、どうしたらいい?」 ロイは言ってハボックにしがみつく。目をあければ体の脇に垂らされたハボックの手が見えて、ロイはその手が頭を撫でてくれたならどれほど幸せだろうと顔を歪めた。 ロイは眠ってしまったハボックをベッドに寝かせるとその金髪を優しく撫でる。寒くないよう肩まで引き上げたブランケットで隙間なくハボックの首元を覆ってやって、ロイはベッドを離れ窓際に歩み寄った。細く開けたカーテンの隙間からロイは空を見上げる。漆黒の空に輝く数え切れないほどの星を、ロイは暗い窓辺に佇んで長いこと見上げていた。 |
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