セレスタの涙、オニキスの誓い  第七十八章


「ありがとうございます、大総統閣下!」
 深々と頭を垂れて礼を言う赤ら顔の軍人にブラッドレイは肩を竦める。しつこく美辞麗句を並べ立てようとするのを手を振って執務室から追い出すと、うんざりと椅子に背を預けた。ギシリと苦情を主張する椅子に構わず長い脚を机の上に投げ出す。そうすれば綺麗に磨かれた軍靴の向こう、机の上に置かれた電話が見えてブラッドレイは目を細めた。
「面白い。実に面白い」
 ブラッドレイは先ほどかかってきた電話を思い出してそう呟く。電話は東方司令部の司令室に属する中尉からで、その内容は彼女が唯一上官と仰ぐ大佐であり国家錬金術師である男からの伝言だった。
「本来なら最も憎むべき私に頼みごととは。────いや、違うな。あれは私が同意する事を前提とした要求か?」
 ブラッドレイは机の上に投げ出した脚を組みふんぞり返って言う。
「もし私があの要求を拒否したら……などとはこれっぽっちも考えていないのだろうな、あの若造は」
 拒否されることなど露ほども考えてはいないある意味傲慢とも言える要求。しかも副官である中尉は彼の意図を寸分違わず正確にブラッドレイに伝えてきた。
「あれはあれでまた面白い」
 ブラッドレイは電話越し会話を交わしたホークアイの声を思い出す。それと同時にロイの側に控えた金髪の女性士官の姿を思い浮かべて口の端を笑みの形に持ち上げた。
「いいだろう、マスタング。今は貴様の思惑に乗ってやる。その代わり存分に楽しませて貰うぞ」
 ブラッドレイはそう言うと、一日の終わりを告げてオレンジ色に染まる空を窓越しに見上げた。


「それじゃあ暫く大佐は不在ってことですか?」
「ええ、そう」
 何でもないことのように頷くホークアイに、司令室の面々が不安そうに顔を見合わす。それでもそれが大総統直々の任務ともなれば、何処とも告げず司令部を空けたロイに不満を口にすることも出来なかった。それぞれが己の仕事に戻っていくのを横目で見ながら、ブレダは書類を広げるホークアイの側に立つ。何も言わず見つめれば、恐らくは立ち去ることを期待していたのであろうホークアイがため息をついてブレダを見上げた。
「少尉」
「ハボックも一緒なんですね?」
 その問いにホークアイはイエスともノーとも答えない。だが、その沈黙そのものを答えととってブレダは眉を寄せて早口に囁いた。
「いいんですか?ここまで来たらもうそれは私事以外のなにものでもないです。下手すりゃ任務放棄に問われかねないですよ」
 ブラッドレイの任務などという説明は、ロイの不在を正当化させる事を目的とした言い逃れだろう。そうであれば幾ら何でも一部下の為に軍の要職にあるものが長期に渡りその職務から離れるなど、容認されるはずがない。己の上官と、一緒にいるはずの友人の身を案じて言うブレダにホークアイは答えた。
「ブラッドレイ大総統直々の任務というの、強ち嘘ではないの。尤もそうさせたのは大佐だけれど」
「どう言うことです?」
 意味が判らないと眉を顰めるブレダをホークアイは執務室へと促す。主のいない部屋に入り扉を閉めるとホークアイは簡単に事の経緯を説明した。
「よくそんな事大総統が赦しましたね」
 その内容にブレダが呆れたように呻く。
「大佐曰く、あの男は退屈しているから、と。その退屈を紛らわす楽しいゲームが待っていると精々煽ってやってくれと言われたわ」
「それを承知させた中尉も凄いですよ」
 よくもまあ、と肩を落とすブレダに、ホークアイは笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。大佐ならきっと」
「中尉」
 言って窓の外へ目を向けるホークアイの横顔を見つめて、ブレダは一つ大きな息を吐いた。


「おいで、ハボック。食事にしよう」
 ロイはそう言うとソファーに座ったハボックを促す。グイと腕を引けば抵抗なく立ち上がる体を抱き寄せるようにしてダイニングへ連れていくと、ハボックを椅子に座らせた。
「ジョーンズが用意しておいてくれたんだ。あそこの奥方のシチューは旨いぞ」
 ロイは幼い頃食べた夫人のシチューの味を思い出して言う。椅子を引き寄せて側に腰を下ろし、自分からはスプーンすら持とうとしないハボックの為にシチューを掬うと、そのスプーンをハボックの口元へと運んだ。
「ハボック」
 名を呼んで、促すようにスプーンでハボックの唇をつつく。だが、ハボックはぼんやりと前を見つめたまま口を開こうとはしなかった。
「……旨いんだがな」
 呟いてロイは代わりに己の口にシチューを運ぶ。食べているところを見れば何か反応があるかとも思ったが、皿の半分程を食べてもハボックは身動きもせず座ったままだった。
「ハボック。私の声が」
 聞こえているかと、あまりの無反応ぶりにそう尋ねようとしてロイは言葉を飲み込む。その時、ハボックの唇が微かに動いて今一番聞きたくない男の名を吐き出すのを聞いて、ロイはハボックに腕を伸ばした。
「それはもういいんだ、ハボック」
 顔を怒りとも哀しみともつかぬ表情に歪めて、ロイはハボックの金色の頭を胸に抱き込む。そうされて口を閉ざしたハボックの顎を掬って、ロイはぼんやりと霞んだ空色を真正面から見つめた。
「愛している」
 囁いてロイは、ハボックに深く口づけた。


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