セレスタの涙、オニキスの誓い  第七十七章


「あっ、中尉。大佐、ハボックんとこにいましたか?」
 司令室の扉を開いて中に入れば、途端にブレダがそう尋ねてくる。ホークアイはそれには答えず、司令室の大部屋を横切ると執務室の扉の前に立った。
「中尉?」
「暫く誰も中に入れさせないで。いいわね?」
「えっ?あ、でも大佐は────中尉っ?」
 訳が判らず慌てるブレダをそのままに、ホークアイは執務室の扉を開け中に入ると鍵を閉める。きちんと片づけられた机にゆっくりと近づき、いつもロイが座っていた椅子に腰を下ろした。息を吐き出し目を閉じる。時計の音が微かに響く執務室で暫くの間そうしていたホークアイは、やがて目を開けると机の上の電話に手を伸ばした。慎重に番号を回し相手が出るのを待つ。回線が繋がる音がして最初に出た相手に己のコードを告げ、ホークアイは更に回線が繋がるのを待った。カチッという音と共に電話口に出た女性にホークアイは口を開く。
「東方司令部司令室のホークアイ中尉です。大総統閣下に電話を繋いで頂けますか?」
 そう告げれば言葉だけは丁寧に、だがあからさまに見下した態度で無理だと答える秘書官の女性に、ホークアイは言った。
「大総統閣下に繋いでください────マスタング大佐からの伝言だとお伝えくだされば大総統の方から繋げと仰る筈です」
 ホークアイの言葉に受話器越しに相手の不機嫌が伝わってくる。おそらくはなんて生意気な女だろうと思っているのであろう秘書官の女性は、それでも待つように告げると聞こえてくるのが保留音に変わった。少しして再び聞こえた女性の声が不満げに大総統に繋ぐと言うのを聞いて、ホークアイはうっすらと笑みを浮かべる。カチリと回線が切り替わる音に続いて聞こえてきた低い声に、ホークアイは背筋を伸ばして口を開いた。


 途中休憩を挟みながらロイは車を走らせていく。イーストシティの街は疾うに後ろに遠ざかり、辺りは林や田園が広がる田舎の風景へと変わっていた。車の窓を少し空かせば爽やかな空気が入ってくる。チラリと助手席に目をやるとハボックの金髪が微かに風にそよぐのが見えて、ロイは目を細めた。
 小さな町を幾つも通り抜け、二人を乗せた車は先へ先へと直走る。高かった日が次第に傾き、辺りが徐々にオレンジ色に染まり始めた頃、ロイは丁度通りかかった雑貨店の駐車場に車を乗り入れた。
「ちょっと買い物をしてくる。待っていてくれ、ハボック」
 ロイは助手席のハボックにそう声をかける。相変わらずハボックは何の反応も返してこなかったが、ロイは手を伸ばしてハボックの金髪をくしゃりと掻き混ぜ、車から降りた。カランとドアベルを鳴らして店の中に入る。棚には田舎の雑貨屋に相応しく、日用品や食料品、衣類や子供の玩具までが置いてあった。ロイは当座必要な食料や飲料を籠の中に放り込み、店主と思しき男が座るレジへと足を向けた。
「ガソリンはあるか?」
 籠を台の上に置きそう尋ねる。店主の男はニコニコと愛想良く笑って答えた。
「ありますよ。お客さん、どこから来たんです?」
「ん?イーストシティだよ」
「へぇ、そんな遠くから?珍しいね。この辺りは何もないでしょう?」
 男は先に籠に入っている物の金額を計算しながら言う。ロイは店の窓の向こうに停まっている車を見ながら答えた。
「この近くに別荘があるんだ。何もないけどのんびりするにはいいところだろう?」
「そうですね、これからは紅葉が綺麗ですよ」
 男はそう答えると、ガソリンは外だと言う。ロイはガソリンの分も併せて金を払うと、買った物を手に男と一緒に外へと回った。
「じゃあこれ。車に積み込みましょうか?」
「頼む」
 男は店の裏手にある倉庫に積んである樽から携帯用の缶にガソリンを移し、駐車場へと運ぶ。助手席に座るハボックをチラリと見て、缶を車のトランクに乗せた。
「お連れさんがいたんですね。ご兄弟ですか?」
「まあそんなもんだ」
 ロイは曖昧に答えて運んでくれた礼を言う。後部座席に手にした袋を積み込むと男に向かって言った。
「これから時々世話になるよ。嫌でも自炊しないわけにはいかないしな」
「そうですか、お待ちしてます。何か取り寄せて欲しい物があればそれもやりますよ」
 ロイの言葉に男はニコニコと笑って答える。こんな田舎の雑貨屋ではそう客も多くはないのだろう。何でも遠慮なく言ってくれと言う男にロイは笑って頷くと、ドアを開けて運転席に乗り込んだ。
「毎度ありがとうございました!」
 言って手を振る男に視線で答えて、ロイはアクセルを踏み込む。通りに出ると徐々にスピードを上げながら傍らのハボックを見た。
「待たせたな、ハボック。あと少しだからもう少し辛抱してくれ」
 ロイは言ってハボックの頬に触れる。その温もりを確かめてホッと息を吐くと、ハンドルに手を戻し後は頓に車を走らせた。
やがて分かれ道に差し掛かるとロイは脇道に車を乗り入れる。本道より整備の悪い道にガタガタと揺れる車を操って暫く行けば、少し小高い丘の上に小さな別荘が見えてきた。駐車場は二台分のスペースがあり、半分に車が一台停まっている。ロイはその横に並んで車を停めると、運転席から降りて助手席に回った。
「ハボック、着いたぞ」
 ドアを開けそう声をかけてハボックに手を伸ばす。その長身を抱き上げれば、ハボックはポスンとその金色の頭をロイに預けるように胸に凭れてきた。単なる無意識の仕草であるのは判っていたが、それでも思わず笑みが零れてロイは愛しげにその金髪に頬を擦り寄せた。車のドアを閉め別荘の玄関に向かう。すると車の音を聞きつけたのだろう、ロイが呼び鈴を鳴らす前に中から扉が開いた。
「マスタングさん、お久しぶりです」
「やあ、ジョーンズ。急にすまなかったな」
「とんでもない。とりあえず掃除を済ませて休めるようにしておきましたよ」
 ジョーンズと呼ばれた初老の男は笑みを浮かべてそう言うと、ロイを中へ招き入れる。おそらく一日かけて丁寧に掃除をしてくれたのだろう、長いこと使っていなかった別荘は塵一つなく磨き上げられ空気も入れ替えられていた。その空気の中、なにやら胃を刺激するいい匂いがしてくる。クンと鼻を鳴らす仕草をするロイにジョーンズが言った。
「これから食事を作るのは面倒だと思いましたんで、シチューを作っておきました」
「ありがとう、余計な手間をかけたね」
「いいえ、今夜はうちもシチューですから」
 そう答えるジョーンズに笑みを向けて、ロイはハボックをソファーに下ろす。
「朝晩は結構冷えますよ」
 言葉と共に差し出された膝掛けを受け取って、ハボックの足にかけるロイにジョーンズが言った。
「車椅子はあそこです。とりあえず必要な日用品は揃えたつもりですが、何かありましたら連絡をください」
「ありがとう、助かったよ、ジョーンズ」
 そう言ってロイが差し出した手をジョーンズは握り返す。
「いいえ、管理ばかりじゃつまらないですからね。思い出してくださって嬉しいですよ」
「覚えてはいたさ。でも忙しくてね」
 ロイはそう言って幼い頃休みになると遊びに来ていた別荘を見回す。そんなロイを見、ソファーに座るハボックを見てジョーンズは言った。
「ここはいいところです。ゆっくり休んでください。そうすればきっと彼も元気になりますよ」
「────そうだな」
 ハボックを見つめて頷くと、ロイはジョーンズを見送る為に外へ出る。駐車場に停めてあった車でジョーンズが帰っていくと、ロイは別荘の中に戻った。
「ハボック」
 今日最後の日の光がオレンジに染める部屋の中で静かにソファーに座るハボックにロイは近づいていく。ハボックの隣に並んで腰掛けると優しくその金髪を撫でた。
「ここは私が子供の頃休みになるとよく来ていたんだ。何もないがいいところだよ。これから暫く私と二人でここで暮らすんだ」
 話しかけるロイの言葉が聞こえているのかいないのか。何も答えないハボックを引き寄せて、ロイはその額にそっと口づけた。


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