| セレスタの涙、オニキスの誓い 第七十五章 |
| 「大佐……」 ホークアイはハボックを抱き締めたまま病室の扉のところに立つロイを見つめる。ロイは少しの間ホークアイの腕の中のハボックをじっと見つめていたが、やがてゆっくりと近づいてきた。二人の側までやってくるとロイはハボックに手を伸ばす。ホークアイの腕の中からハボックを己の腕に引き取って、ベッドに体を預けるようにして腕の中の体をそっと抱き締めた。 「……大佐?」 ホークアイは尋ねるようにロイを呼ぶ。だが、すぐにはなにも答えないロイに、ホークアイがもう一度口を開き掛けた時、ロイが呟くように言った。 「もしも……もしも私が、ハボックを抱いていたらハボックを呼び戻す事が出来たんだろうか?」 「え……?」 小さな囁き声で告げられた言葉を全ては理解出来ずに、ホークアイはロイを見つめる。そうすればロイはハボックを抱く腕に力を込めて繰り返した。 「私の事を判らないままに、私がハボックを抱いたならハボックは私のところへ戻ってきたんだろうか。ブラッドレイのところではなく、私のところへ」 「大佐……」 愛しげにハボックを抱き締めその金髪を優しく撫でるロイの言葉にホークアイは目を瞠る。さっきのハボックの言葉を思い出し、声を張り上げた。 「少尉は戻ってきてなどいません。まだ誰のところにも戻ってきていません!」 そう言うホークアイをロイは不思議そうに見る。その瞳が言わんとしていることを察して、ホークアイは言った。 「あんなの、戻ってきてるなんて言いません。あんなのハボック少尉じゃない、それは大佐が一番よくご存じの筈でしょう?」 「中尉」 「ただブラッドレイに体を明け渡す事だけを刷り込まれた人形。あんなの少尉じゃありません!」 ホークアイは言ってロイの腕の中のハボックを見る。ぼんやりと宙を見つめたまま大人しくロイに抱かれているハボックを見つめて、ホークアイは言った。 「ハボック少尉がどんなだったか、大佐が一番よく判ってらっしゃるでしょう?これは本当のハボック少尉じゃありません。本当のハボック少尉を取り戻せるのは、ブラッドレイ大総統じゃない、大佐、貴方だけです」 そう言えば、ロイの黒曜石が僅かに見開く。ホークアイはロイを真っ直ぐに見つめて繰り返した。 「少尉を本当の意味で取り戻せるのは大佐だけです。それは大総統にも判っていたはず。だからこそこんな酷い事をした、きっとそうです」 ホークアイはそう言ってハボックの金髪に手を伸ばす。柔らかいその金糸をそっと撫でて言葉を続けた。 「さっき少尉が大総統の名を口にしたときは少尉が壊れてしまったのだと思いました。でも、そうじゃないわ。少尉はまだ私たちの手が届かない場所に留まったまま。少尉を取り戻せるのは大佐だけです」 そうきっぱりと言い切るホークアイをロイはじっと見つめる。そしてなにも言わず目を閉じるとハボックを抱き締めその金髪に頬を寄せた。ホークアイは暫くの間そんな二人をじっと見つめていたが、やがて立ち上がるとそっと病室を出ていった。 あまり眠れないまま次の朝を迎えて、ホークアイはベッドから降りる。さっとシャワーを浴びて軽く朝食を済ませると、ホークアイはアパートを出て司令部に向かった。 いつものように前日までに持ち込まれた書類に目を通し優先順位をつけロイが来たらすぐ処理できるように整える。今日のスケジュールをチェックし、ロイへの連絡事項を確認すればそろそろ始業時間になるところだった。 ホークアイは壁の時計を見遣り、司令室の扉を見る。今日の送迎は警備兵が担当している筈で、今頃はロイを乗せてこちらに向かっているところだろう。 ロイが来るまでの間にと、ホークアイは自分の書類を片づけていく。その間に電話を二本ほど取り指示を与え、所用を済ませるために総務課へと足を運んだ。司令室に戻ってきたホークアイは、自席からファイルを取り上げ執務室に向かう。コンコンとノックをして少し待ったが返事がないことを訝しみながら扉を開けた。 「大佐?」 中に声をかけたホークアイは執務室にロイの姿がない事に気づく。壁の時計を確認すれば、針は始業時間を疾うに過ぎていることを知らせていた。 「大佐から何か連絡は?」 丁度その時戻ってきたブレダにホークアイは尋ねる。そうすればブレダは首を振って答えた。 「いや、受けてないです。俺も出たり入ったりしてましたし」 寝坊ですかね、とブレダが言うのを聞いていたホークアイは、足早に己の席に戻ると受話器を取り上げる。警備兵の詰め所に繋ぎロイの送迎をした警備兵を呼び出した。 『マスタング大佐でしたら、今朝はご自分の車で軍病院の方へ行かれると』 ホークアイに尋ねられ、電話口に出た警備兵はそう答える。 『司令部には自分で運転していくから車は必要ないと言われたので戻ってきてしまいました』 拙かったでしょうかと心配そうに言う警備兵に「構わない」と答えてホークアイは電話を切った。 「中尉?」 「ちょっと病院に行ってくるわ」 「大佐、ハボんとこ行ってるんですか?」 そう言って心配そうに眉を寄せるブレダに、ホークアイは笑って「大丈夫よ」と答える。それでも足早に司令室を出て廊下を歩きだした時には、ホークアイの顔から笑みが消えていた。自分で車を運転し病院へと向かう。ハンドルを握っていれば徐々に大きくなる不安に、ホークアイはアクセルを踏み込んだ。猛スピードで病院の駐車場へ車を乗り入れて、ホークアイは運転席を飛び出す。病院の玄関をくぐると足早に階段を上がった。廊下を歩いていけば不安は益々大きくなる。ノックもなしにハボックの病室の扉を開けたホークアイは、目を見開いてその場に立ち尽くした。 「────そんな」 見舞いにくればいつも静かにハボックが座っていたベッドはきちんと片づけられ、ハボックの姿もロイの姿もありはしなかった。 |
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