セレスタの涙、オニキスの誓い  第七十三章


 広い広い空の下、果てなく広がる湖に彼は立っている。境が判らないほどに静かに広がっていた空と湖は、今は激しい雨と風に晒されていた。青く澄んだ空からは大粒の雨が降り注ぎ、高い上空で時折稲光が光る。強い風が湖を波立たせ、大きな波がザブンザブンと湖面を泡立たせていた。だが。
 その中央に立ちながら彼は全く濡れてはいなかった。激しい雨と風は確かに彼に降り注ぎ吹き付けているのに、まるで見えないヴェールをまとっているかのように彼の髪は柔らかい金の光を纏い、顔も躯も何一つ濡れてはいなかった。彼はただ感情を映し出さないガラスの瞳で荒れ狂う空と湖を見つめ続ける。その時、遙か上空でカッと光が爆ぜると彼目掛けて稲光が一直線に落ちた。


 月の灯りに照らされた病室を湿った喘ぎ声とイヤラシい水音が支配する。ベッドの上、四つに這わせたハボックの躯をブラッドレイは背後から激しく突き上げた。
「ヒィ……ッ、ひぃんッッ!!」
 ギュッとシーツを握り締め、涙に濡れた頬をしわくちゃのシーツにこすりつけて泣きじゃくるハボックの様は幼い子供のようだ。自分が何をされているのか理解出来ないまま、無理矢理引きずり出される快楽に翻弄されてハボックは何度目になるか判らない熱を吐き出した。
「くはあアァ……ッ!!」
 ハボックは大きく目を見開き背を仰け反らせる。それと同時に咥えた楔をきゅうきゅうと締め付けて、ハボックは快感に身悶えた。
「いい締め付けだ。そんなに悦いか、少尉?」
 小刻みに震えるハボックの耳元にブラッドレイは囁く。貫いたハボックの脚に手をかけると強引にその躯を反した。
「ヒィィッッ!!」
 狭い肉筒を抉られてハボックの唇から悲鳴が零れる。痛みと快楽に弾む息を吐き出す唇を、ブラッドレイは強引に塞いだ。
「んんッ!!……ンッ、ぅんッ!!」
 息苦しさにハボックが嫌々と首を振る。だが、唇を離すのを赦さずにいれば、ハボックの躯から力が抜けていった。
「少尉」
 ゆっくりと唇を離してブラッドレイはハボックを見下ろす。頬を濡らす涙を手のひらで拭ってやりながら言った。
「もしここで私が“愛している”と囁いたらどうなるのかね?何度も優しく囁いたら君は戻ってくるか?少尉」
 激しい攻めにハボックは身悶え何度も熱を吐き出した。与えられる快楽に意志を伴わない躯は素直に反応しブラッドレイの牡を楽しませはしたが、ただそれだけだった。
「失った心の代わりに偽りの想いを埋め込んだら、一体どうなるのだろうな。憎み恨んでいる筈の男を愛する相手だと刷り込んだら」
 体の快楽だけでなくもっと他の悦楽も得たいと、ブラッドレイは愉しげに目を細めてハボックを見つめる。
「そうなったらあの若造はどうするかな。お前を────殺してしまうか?」
 ハボックが身も心も自ら進んでブラッドレイに委ねたとしたら、ロイはハボックを殺してしまうだろうか。
「もしそうなれば私はマスタングをも壊すことになるか。それはまた面白い」
 ハボックを殺したロイが自ら命を絶つことはないだろうが、その心はたとえどれほど強靱であろうと傷つかずにはいられまい。ハボックを思う気持ちが強ければ強いほど、ブラッドレイを憎む気持ちが強ければ強いほど、ロイ自身の心はその想いの強さにざっくりと切り裂かれて血を迸らせるだろう。
「是非とも見てみたい。少尉、君も見てみたいだろう?マスタングが抱くその想い故に自らの業火に焼き尽くされる様を」
 ブラッドレイの言葉を理解しているのかいないのか、ハボックは反応を見せない。それでもブラッドレイは愉しそうに笑うとハボックの瞳を間近から覗き込んだ。
「私は運命なぞ信じていないが、それでも時折その不思議を実感させられるよ。あの時君が選ばれて射撃大会に来なければ、今こうなることもなかったろうに。あの若造も己に力があると信じ込んで、くだらん野望を胸に日々愉しく過ごしていただろうに。そして私も────未だに退屈に息が止まりそうになりながら日々を重ねていただろうに」
 言ってブラッドレイはハボックの涙を唇で優しく拭う。
「クク……くだらん運命に感謝しよう。君とマスタングは死にそうな程の私の退屈を紛らわせてくれた。君らが壊れた暁には二階級特進の栄誉を大総統の名において与えてくれよう」
 ブラッドレイはハボックの頬を撫でて、まるで愛を誓うように薄く開いた唇に恭しく口づけた。
「さあ、君に愛を与えるとしようか。美しいほどにどす黒く腐った大総統の愛をな」
 そう囁いたブラッドレイの隻眼がキラリと光った。


「くそ……ッ」
 ロイは呟いて乱暴に本を閉じる。カーテンを引いてさえ背中に突き刺さる月の光の禍々しさに、ロイは落ち着かず立ち上がった。
「ハボック……」
 ふと、愛しい相手の名前が口をついて出れば俄に不安が沸き上がってくる。もしかしたら自分はとてつもなく大きなミスを犯しているような気に襲われて、ロイは部屋を出た。足早に階段を駆け降り玄関に向かう。衝動に突き動かされるまま家を後にし夜道を歩きだした。
「ハボック……ハボック……ッ」
 その名を口にする度不安と恐怖が喉元にせり上がってくる。ロイは手をギュッと握り締めると月の光が煌々と降り注ぐ道を、病院に向かってわき目もふらず歩いていった。
「何故帰ってきたんだ、私は……ッ」
 今胸を占める不安はブラッドレイの姿を見た後執務室で感じた不安と同じものだ。その不安故に病院に行ったというのに、どうしてそのままハボックをおいて帰ってしまったのだろう。
「馬鹿だ、私は……ッ!」
 歩みは徐々に早くなり、ロイは夜空を支配する月が見下ろす中、ハボックの下へと走っていった。


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