セレスタの涙、オニキスの誓い  第七章


 忙しい一日の最後を締めるに相応しい、うんざりするほど長い会議を終えて漸く家にたどり着いたロイは、家の扉を開けた途端鳴り響く電話の音を耳にして思い切り顔を顰める。居留守を使って出るのをやめようかとも思ったが、どうやらこちらが出ない限り鳴り止むつもりがないらしい電話に、ロイは仕方なしに受話器を取った。
「もしもし」
 誰が聞いても不機嫌と判る声で答えれば相手が一瞬怯む。ムッと眉を寄せたロイの耳に聞き慣れた声が聞こえた。
『あ……えと、大佐?すんません、お疲れのところ』
「ハボック」
 ハボックの声を聞いた途端ロイの声のトーンが変わる。ロイは受話器を握り直して耳にしっかり押し当てると言った。
「構わんよ。どうだ?調子は」
『そっスね、最近の中じゃ一番かな』
「ほう?」
 意外にも自信に満ちた声が返ってきてロイは目を瞠る。てっきり弱気を叱って欲しくて電話してきたのかと思ったが、どうやらそうではないようだった。
「随分調子が良さそうじゃないか」
『それがね、聞いてくださいよ、大佐っ』
 子供のように興奮した様子でハボックが話し出すのをロイは目を細めて聞く。
『オレ、ブラッドレイ大総統に会ったっス』
「ブラッドレイ大総統と?どこで?」
 ハボックがいるのはセントラルでブラッドレイの直轄だ。とはいえ、新兵のハボックがブラッドレイと会う機会があるとは思えず、思わず聞き返せばハボックが答えた。
『こっちついて、オレたち射撃場使わせて貰ってたんスよ。サイモンとグラントは先にあがってホテルに行ったんスけど、オレはもうちょっとだけって残ってたら』
「まさか大総統が射撃場に来たのか?」
『そうなんスよ!』
 皆まで言わせず口を挟んだロイにハボックが頷く。
『もうびっくりして!明日の出場者かって聞かれたからそうだって答えたら、撃って見せろって。でね、大佐、すっげぇ緊張したけど撃って見せたらなんて言われたと思います?』
 ハボックはひと呼吸おいたがロイの答えを待つでなく続けた。
『訓練期間が終わったら自分のところに来ないかって!』
「えっ?!」
 唐突な展開にロイはギョッとして目を見開く。受話器を握り締め、噛みつくような勢いで尋ねた。
「お前まさか“はい”と答えたんじゃなかろうなッ?!」
『まさか。大体そんなの、新兵で初めて射撃大会に出場するオレをやる気にさせるための方便に決まってるじゃないっスか』
「そ、そうなのか?」
 意外と冷静なハボックの物言いに、ロイは肩透かしを食らったような気になる。そんなロイにハボックはクスリと笑って言った。
『大総統にね、訓練期間が終わって出す配属先の希望はもう決めてるのかって聞かれたっスよ。だからマスタング大佐のところを希望するつもりだって答えました。この大会でいい成績残して将来使って貰えるようなアピールに繋げられたらいいと思ってるって』
「ハボック」
『大総統には存分に力を発揮しろって言われたっス。優秀な指揮官の下に優秀な兵士が集まるのは頼もしいって。期待しているって言われたっス』
 ハボックが言うのを聞いてロイは目を見開く。耳に押し当てた受話器からハボックの自信に溢れた声が聞こえた。
『オレ、頑張るっス、大佐。そりゃオレはまだペーペーで今回射撃大会に出席する人たちの足下にも及ばないかもしれないけど、いつか本当に大総統に優秀な兵士だって思って貰えるよう、精一杯やるつもりっス』
 ハボックはそこで一旦口を噤んで、恥ずかしそうに続けた。
『勿論一番には、大佐に使って貰えるように、いつか大佐の護衛官になった時にあの時の射撃大会で頑張ってた奴だって思って貰えるように、オレ、頑張るっスから』
 熱っぽい声でそう告げるハボックにロイは目を細める。なにも言わないロイをハボックが不安げに呼んだ。
『大佐?聞いてます?』
「……ああ」
 ロイは頷くと一つ瞬いて口を開く。
「お前なら大丈夫だ。結果を聞くのを楽しみにしてるよ」
『はいっ』
 おそらくは受話器の向こうで太陽のように明るい笑顔で頷いているであろうハボックを思い浮かべれば、ロイの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
『お疲れのとこすんませんでした。もうメシ食ったんスか?』
「ん?ああ。会議の間に不味い弁当をな」
『またそんな事言って』
 眉を顰めて言うロイにハボックがクスクスと笑う。いつもと変わらぬ笑い声にロイも笑って言った。
「今日は早く休め。しっかり体調整えてな。ブランケット跳ね退けて風邪引くんじゃないぞ」
『ガキじゃねぇんスから』
 ほんの少し不満げにハボックが言う。その声を笑みを浮かべて聞いていればハボックが名残惜しそうに言った。
『じゃあ、そろそろ切るっスね』
「ああ。応援してる」
『はい、ありがとうございます。……えと、大佐』
「なんだ?」
 切るのかと思いきや何か言いたそうな声音にロイが小首を傾げる。少し待っていると、ハボックが慌てた調子で言った。
『やっぱ何でもないっス!おやすみなさい、大佐っ』
「ああ、おやすみ」
 何かと思えば結局別れの挨拶が返ってきてロイは拍子抜けする。電話を切ろうとと受話器を耳から離しかけたその瞬間、チュッと唇を鳴らす音が聞こえてロイは目を瞠った。そのままガタガタッと音がしたと思うとガチャンと電話が切れる。ツーツーと発信音が零れる受話器を凝視していたロイは、次の瞬間プッと吹き出した。
「ハ、ハボックの奴……っ」
 クックッと喉を鳴らして笑いながらロイは受話器を置く。気がつけば疲れきっていた筈の体は軽くなって、心がほわりと温かくなっていた。
「頑張れよ、ハボック」
 ロイは目を閉じると瞼の裏に浮かぶハボックの笑顔に向かってそう呟いた。


「わーっ、オレってばなに恥ずかしいことッ!」
 ハボックは叩きつけるように置いた受話器を、上から押さえるように握り締めて喚く。真っ赤になった顔を両手で包み込んで、ドサリとホテルのベッドに腰を下ろした。
「はあ……」
 ブラッドレイに会った感激を伝えたくてロイに電話しただけのつもりだった。だが、ロイの声を聞くうち会いたくて堪らなくなって、どうにもならなくなってしまったのだ。
「変に思ったかなぁ……」
 そう呟いて両手で唇をそっと覆えばあの日のキスが蘇ってくる。首筋まで真っ赤になって、ハボックはゴロリとベッドに横たわった。
「オレ、頑張るから、大佐」
 手を伸ばして引き寄せた枕をギュッと抱き締める。
「大佐……好……」
 目を閉じてハボックは小さな声でそっと呟いた。


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