セレスタの涙、オニキスの誓い  第六十八章


 先を走る車の間を縫うようにしてホークアイは車を先へ先へと走らせる。巧みな運転技術で前を行く車を次々と追い越して病院へと向かいながら、ホークアイはチラリとバックミラーを見た。
(もし、大佐が追いかけてこなかったら……)
 どれだけ促してもハボックから逃げるように病院へ行くことを拒み続けるロイに、ホークアイは遂に強硬手段に出た。わざとロイを責めるような言葉を口にし、追い詰めようとした。ホークアイの計略にのって内心を吐露するロイに、苦しいのなら代わりにハボックを殺すと言って司令部を出たのだが。
(私が言ったことで、かえって大佐が本気でハボック少尉の死を望むような事になったとしたら……このまま追いかけてこなかったら、私は)
 正直これは最後の賭だ。このままロイがハボックを見捨てるなら、ハボックにもロイにも救いは訪れないだろう。
(そして私も)
 軍人である以上時には冷徹さも必要だ。だが、あそこまで己を犠牲にした部下を見捨てるような男についていく価値があるとは思えない。
(その時は私も)
 ホークアイは悲壮なまでの決意を胸に、車をひた走らせた。


 病院の入口に車を乗り付けたホークアイは、腰のホルスターから銃を引き抜く。弾倉を確認すると銃を両手で握り締め、目を閉じ祈るように額に押し当てた。
「────」
 パッと目を開けたホークアイは、車のドアを開けて外へと出る。バンッと叩きつけるようにドアを閉めると、片手に銃を下げたまま病院の入口を潜った。
 通い慣れた病院の通路は昼のこの時間、患者や医療関係者が溢れている。その中を銃を手に歩いていくピンと背筋の伸びた姿は、異様であるが故にかえって誰も引き留めようとしなかった。ホークアイはハボックの病室があるフロアまで階段を上がる。いつものようにナースステーションの前を通り過ぎた時、チラリと中へ目をやればあの看護士の姿が見えた。
「ホークアイさん?珍しいですね、こんな時間に」
 看護士がそう言うのが聞こえたが、ホークアイは立ち止まらずにその前を通り過ぎる。その恐ろしいほどの無表情の仮面に、訝しげに首を傾げた看護士は行き過ぎるホークアイの手に握られた黒い塊に気づいた。
「────ホークアイさん?」
 その塊がなんなのか、視覚的には理解していながらその意味するところを咄嗟に理解出来ず、看護士はホークアイの姿を見送る。次の瞬間ハッとして、看護士はナースステーションを飛び出した。
「ホークアイさんッ!」
 大声を上げて廊下を走る看護士を周りの患者や病院のスタッフ達が驚いたように見遣る。ハボックの病室の扉を開けたホークアイが中へ入るのを見て、その後を追って入ろうとした看護士は中から響いた声に鞭打たれたようにビクリと体を震わせて足を止めた。
「来ないで。入ってきたら撃つわ」
「ホークアイさんっ、どうして……ッ?やめてッ!やめて下さいッッ!!」
 時間の許す限り病院を訪れていたホークアイがどれほどハボックの事を心配していたか、それは傍目にもはっきりと判るものだった。それなのに何故と看護士は中に入れないままに大声で問いかける。その声を聞きながら、ホークアイはベッドに身を起こし宙を見据える空色の瞳を真っ直ぐに見つめると手にした銃をハボックに向けて構えた。


 ギャギャッと急ブレーキをかけられたタイヤが悲鳴を上げて、ロイが運転する車が病院の前に停まる。ドアを開け外へと飛び出したロイは、ホークアイが乗ってきた車が病院の前につけられているのを見て慌てて病院の建物の中へ駆け込んだ。廊下を歩く患者達を突き飛ばすようにしてロイは駆けていく。心臓が耳障りなほど大きな音を立て、走る足がもつれてロイは何度も転びそうになった。
「やめて……やめてくれ……っ、中尉……ッ」
 今にも銃声が聞こえてくるのではという恐怖に、心臓が縮み上がり背筋を冷たい汗が流れる。ロイはもつれる足を懸命に動かして階段を駆け上がるとハボックの病室があるフロアに出た。あと少しで病室だと思えばかえって足が動かなくなる。戦場ですら感じたことのない恐怖に喉元を鷲掴みにされ、ロイは呼吸困難に陥りながら廊下を走った。
「ホークアイさんっ、どうして……ッ?やめてッ!やめて下さいッッ!!」
 廊下の角を曲がったロイの耳に看護士の悲鳴が飛び込んでくる。中に入れず病室の扉にしがみついて制止の声を上げる看護士の姿を見て、ロイは最後の数メートルを全速力で走った。
「中尉ッ、……ハボックッッ!!」
 看護士を突き飛ばすようにして病室に飛び込んだロイの瞳に、銃を構えたホークアイの姿が映る。銃口が向けられたその先にベッドに身を起こして座るハボックの姿が見えて、ロイは意味の判らない声を上げてハボックに飛びついた。そのままベッドに押し倒して覆い被さり、全身でハボックを庇う。腕の中の体を抱き締めて、ロイは叫んだ。
「やめてくれッッ!!ハボックを殺さないでくれッッ!!愛してるんだッ、たとえどんな姿でも私はハボックを……ッッ!!」
 叫んでいるこの瞬間に銃で撃ち抜かれるかもしれない。それでもハボックだけは守りたいと必死にロイはその体の下にハボックを囲い込む。ギュッと目を閉じハボックをきつく抱き締めていたロイは、いつまで立っても襲っては来ない痛みに閉じていた目をゆっくりと開けた。ゴトッと重たいものが床を打つ音に、ロイはそろそろと振り向く。そうすれば銃を手にしたホークアイががっくりと床に座り込んでいるのを見て、ロイは目を丸くした。
「……中尉?」
「……本当に貴方は大馬鹿者だわっ、おかげで寿命が縮まって……ッ」
 司令部を出る時の無表情の仮面が嘘のように鳶色の瞳に涙を滲ませるホークアイを、ロイはハボックを抱き締めたまま呆然と見つめた。


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