セレスタの涙、オニキスの誓い  第六十六章


「後でこの書類に目を通しておいてください。それから今日のパーティですが」
 ホークアイは手元の書類をロイの前に置くと、ファイルを広げ今日ロイが出席する事になっているパーティの話をしようとロイを見る。話を聞いているのかいないのか、視線をかつて窓があった場所へと向けているロイに気づいて、ホークアイは眉を顰めた。
「大佐」
 少し声を強めて呼べば、ロイの肩がピクリと震える。ゆっくりと向けられる黒曜石の瞳を見つめて、ホークアイは言った。
「パーティは六時からです。ですから病院へ行かれるのでしたら、司令部を少し早めに出て────」
「いや、その必要はない」
 言いかけた言葉を遮られて、ホークアイは鳶色の瞳を瞠る。訳を尋ねるようにじっと見つめるホークアイにロイが言った。
「わざわざ仕事を早めに切り上げて行くほどのことはない。予定通り真っ直ぐパーティ会場へ行く」
「────判りました」
 それ以上尋ねることはせず、ホークアイは頷く。
「書類は見ておくよ。他になにか?」
「いえ、今のところはありません」
 そう答えるとロイに身振りで退室を促され、ホークアイは軽く一礼して扉に向かった。部屋を出る前にチラリとロイを振り向いたものの、ホークアイは何も言わず執務室を出てった。
副官の何もかも見透かすような鳶色の視線がなくなると、ロイはホッとしたように息を吐く。置かれた書類に手を伸ばすことはせず椅子にその背を預ければ、何か言いたげに椅子がギシリと音を立てた。


 あの日、何を話しかけても答えることのないハボックの人形のような硝子の瞳に耐えかねてハボックを殺しかけてしまってから、ロイはハボックの病室を訪れるのをやめてしまっていた。もしかしたらまた同じ事を繰り返してしまうかもという気持ちがあったことは確かだが、それより何よりロイはハボックのあの瞳を見つめ続けるのが怖かった。どれだけ気持ちを込めて話しかけようと、ハボックの瞳がロイを見ることはなかった。ただひたすら宙を見つめ続ける硝子の瞳。あの瞳を見ているとかつて惹かれたあの空色を思い出せなくなってしまうのが堪らなかった。
「ハボック……」
 自分は一体どうすればいいのか、答えを見つけることが出来ないままロイはハボックから逃げ続ける日々を重ねていた。


「こんばんは」
「あら。ええと、確かマスタング大佐の部下の──」
「ホークアイです。すみません、こんな時間に駄目かと思ったのですけど」
 時計の針が九時を過ぎた頃、軍病院のナースステーションを訪れたホークアイは、夜勤の看護士に声をかける。申し訳なさそうな笑みを浮かべる鳶色に、看護士は軽く首を振って答えた。
「構いませんよ。個室ですし」
「容態はどうなんでしょう」
 カウンター越し、そう尋ねるホークアイに看護士は顔を曇らせる。その表情を見ればどんな様子か聞かずとも知れた。
「全く変化はありません。お薬も外的な刺激もなんの効果もなくて」
 看護士はそう言いながら廊下に出てくる。ホークアイを促して病室へと歩きながら言葉を続けた。
「意識はありますし、日中は目覚めている時間も長いんです。でも、だからといって何か反応を示すわけでもない。ただ一日中ベッドに腰掛けて宙を見つめているだけです」
「そうですか……」
 看護士の言葉にホークアイはそっとため息をつく。ハボックの病室まで来ると、看護士はそっと扉を押し開いた。
「ハボックさん、入りますよ」
 答えがないのは判っていながら看護士は中に向かってそう声をかける。灯りが落とされた病室のベッドに横たわるハボックに、ホークアイは近づきその顔を覗き込んだ。
「ハボック少尉」
 瞳を閉じているハボックは、息をしているのか不安になるほど静かに眠っている。ホークアイはブランケットの中からハボックの手を取り出し、そっと握り締めた。静かに眠るその顔を見つめたホークアイは、その白い喉元にうっすらと残る後に気づいて指を伸ばす。恐る恐る触れるホークアイに、側に立っていた看護士が言った。
「首を絞めた痕があったんです」
「ッ?!」
 その声にホークアイはギョッとして看護士を振り向く。看護士は僅かに眉を寄せて続けた。
「命に別状はありませんでした。ご心配の必要はありません」
「まさか……大佐が?」
 ハボックの病室を訪れる人間は限られている。掠れた声で尋ねれば、看護士は泣きそうに顔を歪めた。
「誰も見ていませんから、証明は出来ません。でも、たとえそうだとしても……誰も責めたりは出来ないでしょう」
 看護士は言って眠るハボックの金髪をそっと撫でる。
「私たちですらハボックさんを見ているのは辛いです。もっと近くにいる人なら尚更」
「でも、だからと言って命を奪おうとするなんて」
 微かに震える声がホークアイの怒りを伝えていて、看護士は静かに首を振った。
「このままの状態が続けば、ハボックさんは遠からぬ将来亡くなると思います」
「な……ッ?」
「栄養と言えば定期的に与えられる点滴だけです。そんな状態では段々と痩せ衰えていくしかありません。先生もなんとか出来ないか色々試していますけど……」
 看護士はそこまで言うと、廊下の先から聞こえた呼び声に答えて病室を出ていく。その背を見送ったホークアイはゆっくりと視線をハボックに戻した。
「そんな……、一体どうしたら」
 このままハボックが死んでしまうとしたらあまりに哀れだ。そして、そんなことになれば、たとえ一時(いっとき)はその手でハボックを殺そうとしたロイもまた駄目になってしまうだろう。
「少尉、どうしたら貴方を取り戻すことが出来るの……?」
 けっして答えが返らぬと判っていても、ホークアイにはそう尋ねることしか出来なかった。


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