| セレスタの涙、オニキスの誓い 第六十四章 |
| 車を運転していた警備兵が運転席を降りるのも待たず、ロイは自分で扉を開けると車を飛び出す。廊下を走るロイに叱責の声が飛んだが、それには耳を貸さずロイは一直線にハボックの病室へと駆けていった。 「大佐」 「ブレダ少尉」 病室の前に立っていたブレダが荒々しい足音に俯けていた顔を上げる。足音の主がロイと判ると、どこか安心したような戸惑ったような笑顔とも泣き顔ともつかぬ表情を浮かべた。 「ハボックは?起きているのか?」 「ええ、でも────」 早口に尋ねられて、だが頭の回転が早いこの男にしては珍しく口ごもるのに、ロイは僅かに眉を寄せる。言葉を探して言い倦ねるブレダを押し退けるようにして、ロイは病室の扉に手をかけた。 「大佐っ」 「顔を見るのが先だ」 引き留めるブレダの声に構わずロイは扉を開ける。そうすればカーテン越し窓から射し込む光の中、枕に背を預けてベッドの上に躯を起こして座るハボックの姿が目に飛び込んできた。 「ハボック……ッ」 ロイは感極まった声でハボックを呼びベッドに駆け寄る。ブランケットの上に置かれたハボックの手を取り、涙が出そうになるのを堪えたせいで歪んだ顔を寄せて口を開いた。 「よかった、ハボック、目を覚ましたんだな。どれだけ心配したか……ッ」 手の中の体温を確かめるようにハボックの手をギュッと握り締めて、ロイは震える声で言う。だが、ハボックからは何の反応も返らず、ロイは訝しんでハボックを呼んだ。 「ハボック?」 呼んでロイはハボックの顔を覗き込む。一瞬眠ってしまっているのかと思うほど無反応のハボックは、目を開け真っ直ぐに前を見つめていた。だが。 「……ハボック?」 己を映す空色の瞳がなんの感情も浮かべていないことに気づいてロイは愕然とする。青く澄んだハボックの瞳はまるで凪いだ湖にも似て、ただロイの姿をその表面に映すばかりだった。 「大佐ッ、医者はなんて言ってましたかッ?」 司令室の扉を開けた途端飛び出してきた大声に、ロイは微かに首を振る。なにも言わずに執務室へと入れば、扉が閉まる前にブレダが追って中へと入りそれに続くようにホークアイもやってきて後ろ手に扉を閉めた。 「大佐ッ」 すぐに答えようとしないロイにブレダが苛立って声を荒げる。ロイは疲れ切ったように椅子に腰を下ろし椅子の背に体を預けた。 「大佐、ハボック少尉の容態を教えて頂けませんか?」 珍しく冷静さを欠いたブレダが苛々とロイを問い質そうとするのを押し留めて、ホークアイが言う。そう尋ねられればついさっき軍医と交わした会話が思い出された。 『一体どういう事なんですっ?ハボックのあの様子は一体……ッ?!』 とりあえずブレダを司令部に戻し、残ったロイは医者を前に声を荒げる。混乱した様子で噛みつかんばかりに身を乗り出すロイに、初老の医師は困惑したように眉を寄せた。 『私にもはっきりしたことは判らないのです』 『判らない?医者だろうっ、あんたはッ!』 医師の答えにカッとなったロイが手を伸ばす。襟首を掴まれ苦しそうに顔を歪めながら医師は言った。 『身体的にはなんの異常もない。脳波も正常だし目だってちゃんと見えてるし音も聞こえている筈です。だが、彼の瞳には何も映っていないのです。今の彼には心がないとしか表現のしようがない』 『心がない……?どういう事です?』 医師の説明にロイは訳が判らないと言うように呟く。だが、医師は困り切ったように首を振って答えた。 『何とも説明のしようがない。ただ一つ可能性があるとしたら戦場での何かしらの辛い経験が彼の心を壊してしまったとしか』 『心を壊した?戦場での辛い経験が……?』 医師の言葉に呆然と呟いて、ロイは倒れるようにドサリと椅子に座り込んだ。 「心がない?どういう事ですか?大佐」 「音にも光にも反応しない。どんなに呼びかけても体を揺すってみても、なんの反応も返ってこないんだ。まるで心を持たない人形のように」 ロイの言う意味が判らないと尋ねるホークアイに、ロイは力なく答える。病室のベッドの上、座ったハボックはまるで人形のように身動き一つしなかった。空色の瞳にロイを映しはするものの、その視線は決してロイと交わる事はなかった。彼が生きていると示すのは触れれば感じられる体温だけだった。 「医者にもどうしてこんな事になったのか、はっきりとした事は判らないらしい。とりあえず精神科の医師も交えて詳しく検査すると言っていたが、それで何か判るかどうか……」 疲れ切った声でそう告げるロイに流石のホークアイも返す言葉を見つけられない。ロイとホークアイが黙り込んでしまったその時、ブレダが震える声で言った。 「あんたのせいですよ、大佐。あんたのせいでハボックはこんな事になったんだ」 「ブレダ少尉?」 「少尉、何を言うの?」 その声にロイとホークアイがハッとしてブレダを見る。見つめてくる二対の瞳を睨み返してブレダは言った。 「アイツは……ハボックは士官学校時代からずっと、自分は大佐の為に頑張るんだって言ってました。少しでも腕を磨いて大佐の役にたちたいって、ずっとずっと辛い訓練にも人一倍頑張って取り組んできたんだ。士官学校卒業して訓練期間終えたら、そしたらいよいよ大佐のところに行けるって……嬉しそうに言ってたのに」 そう言ってブレダは顔を歪める。 「ハボックは体張ってアンタを守りました。大総統に人としての尊厳踏みにじられても大佐の為ならって……歯ァ食いしばってアンタを守ったのに、それなのに……ッ!大佐がハボックを壊したんですッ!アンタがハボックを――――ッ!」 「やめなさいっ、少尉ッ」 顔をクシャクシャと歪めて声を荒げるブレダをホークアイが押し留めたが、ブレダは構わず大声で叫んだ。 「大佐ッ、アンタがハボックを壊したんだッ!」 「私がハボックを……壊した?」 ホークアイに押さえられながらも声を張り上げるブレダを、ロイはただ呆然として見つめていた。 |
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