セレスタの涙、オニキスの誓い  第五十三章


 枕元で起床の時間を告げる時計の音にロイは形のよい眉を寄せる。音を止めようと時計を探してさまよった手はスイッチを押せずに時計を床へと払い落としてしまった。落ちた床の上で時計はしつこく鳴り続ける。ブランケットを頭の上まで引き上げて音をやり過ごそうとしたロイは、耳障りな音に結局は我慢しきれずに跳ね起きた。
「ッ!!」
 ブランケットを跳ね上げた勢いのままベッドから足をおろしたロイは、床に転がった時計を拾い上げると思い切り壁に叩きつける。自分の役目を果たそうとしただけの可哀想な時計は、壁に当たり床に落ちた衝撃で文字盤が割れ中のネジが飛び散って動かなくなった。
「……」
 ロイはドサリとベッドに腰を下ろし、前屈みになって膝に肘をつく。手の中に顔を埋めて暫くの間動かずにいたが、ガタガタと風に鎧戸が鳴る音にピクリと震えてゆっくりと顔を起こした。締め切った鎧戸へ顔を向ければ僅かな隙間から光が零れている。その光の明るさが今日も良い天気だと伝えていて、ロイは思い切り顔を顰めた。
 今日は確か視察の予定が入っている筈だ。そんな予定など放り出してこのまま家に籠もっていようかなどという考えが頭をよぎったが、次の瞬間そうすれば己の弱さを認めるようだと思い直し、ロイは勢いよく立ち上がるとシャワーを浴びるために浴室へと向かった。
 熱い湯を浴びて浴室を出たロイは、床に転がる時計の残骸にチラリと目をやる。だが、それを拾うことなくクローゼットの中から取り出した軍服に着替えると階下へと下りていった。階段を下りた先の一階も全て鎧戸が下りて家の中は薄暗い。何処も彼処も薄暗く冷たい家の中を歩き玄関へと向かうと重い扉を押し開けた。その途端目の前に広がる明るい世界にロイは目を眇める。顔を俯けたロイは降り注ぐ光から逃げるように、家の前で待っていた車へと足早に乗り込んだ。


 停まった車の扉が開かれる前に自分から降りたロイは、近寄ってくる足音に俯けていた顔を上げる。そうすればロイから少し離れたところで足を止めたホークアイがピッと敬礼して見せた。
「おはようございます、大佐」
 そう言って見つめてくる鳶色が宿す光にロイは眉を寄せる。あの日からずっと変わらない瞳はロイを苛立たせたが、ロイはそれを言葉にはせずホークアイを見つめ返した。
「おはよう、中尉。いい天気だな」
「ええ、本当に。抜けるように綺麗な空ですわ」
 そう言う鳶色の瞳がロイから逸れて澄み切った空を見上げる。だがロイは「そうだな」と答えたものの空には目を向けずに歩きだし、その背に目を向けたホークアイもそれ以上はなにも言わず後に付き従った。


 マドラスは書類を手に司令部の廊下を歩いていく。歩きながら書類のページを繰り中を確認していたマドラスは、角を曲がろうとして向こうから来た人物とぶつかりそうになった。
「失礼────っ、大総統っ?し、失礼しましたッ」
 ぶつかりかけた相手の顔を見て、マドラスはギョッとして姿勢を正す。ブラッドレイはその隻眼でマドラスをじろじろと見るとニィと笑った。
「仕事熱心なのは結構だが、歩きながら書類を読むのは感心せんな」
「申し訳ありません、サー」
 そう言って軽く頭を下げるマドラスに、ブラッドレイはすぐに興味をなくして行ってしまった。その背を見送ってマドラスは軽く息を吐く。そのまま歩きだそうとして窓から射し込む光に目を外へ向ければ綺麗な青空が目に入った。
(そう言えばどうしているんだろう)
 ふと見上げた空と同じ色の瞳をした青年のことが脳裏をよぎる。敬愛する上官を護る術を他に見つけられずにその身をブラッドレイに差し出していたハボック。それを知りながらなにも彼のためにしてやることが出来ないまま、結局彼は元いた場所へと帰っていった。その後、ハボックがどうしたのか気になりはしたものの、忙しさにかまけてそのままになっていた。
(マスタング大佐のところに配属されたんだろうか)
 己の身を投げ出してまで護った上官だ。きっと今はロイの元でその力を存分に発揮しているに違いない。空を見上げてそう考えたマドラスは、歩きだそうとしてもう一度空へと視線を戻す。そうすれば無性にハボックの事が気になって堪らなくなった。
「ブラウンに連絡をとってみるか」
 なんにせよ心の隅に引っかかってはいたのだ。ここで確かめておけばすっきりする。マドラスは書類を手に廊下を引き返して己の執務室へと向かった。


 ジリジリと鳴り響く電話をブラウンは迷惑そうに見る。書きかけの書類を脇によけると受話器を取り耳に押し当てた。「はい」と短く答えれば中央勤務の友人でもある男の声が聞こえる。そう言えば声を聞くのは久しぶりだと思いながらブラウンは口を開いた。
「久しぶりだな、マドラス。元気か?」
『ああ、まあそこそこだな。そっちだどうだ?』
「こっちもそこそこだよ」
 そんな感じで互いの近況を確かめあう。ブラウンは受話器を反対の耳に押し当てるとマドラスに尋ねた。
「で?何か用事があるんだろう?」
 互いに忙しい身だ。ただのご機嫌伺いでかけてきたとは思えずそう尋ねれば、マドラスは少し躊躇ってから答えた。
『ハボック少尉なんだが……その後どうしてる?』
「ああ、それがな」
 ブラウンはマドラスがハボックの事を尋ねてきた事を不思議に思いながらも、それ以上にハボックという名にため込んでいた不満を掘り起こされて言った。
「アエルゴ戦線に行ったんだ」
『アエルゴ?マスタング大佐のところじゃないのか?』
「びっくりだろう?私もてっきりそうだと思ってたからな」
『それでっ?マスタング大佐はなんと?!』
 驚いた以上にどこか焦りを含む声を訝しみながらブラウンは答える。
「なにも。特にハボックを引き取りたいという話もなかった。射撃大会の後は帰ってこないと随分大騒ぎしたのにな」
 一体あれはなんだったんだとぼやいてみせたが受話器からは何も聞こえてこず、ブラウンは眉を寄せて受話器の向こうの相手を呼んだ。
「マドラス?」
『アエルゴだって?どうして……マスタング大佐は何をしてるんだ?』
「え?おい、マドラス?」
 受話器から聞こえた声にブラウンは驚いてマドラスを呼ぶ。だが、マドラスはそれには答えず、いきなり電話を切ってしまった。
「ちょ……ッ、おいっ?」
 一方的に切れた電話をブラウンは呆然と見つめる。だが、見つめていたところで返事が返る訳でもなく、ブラウンはため息をついて受話器をフックに戻した。
「一体なんだったんだ?」
 訳が判らず首を傾げていたブラウンだったが、結局一つため息をつくと脇によけていた書類を引き寄せた。


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