セレスタの涙、オニキスの誓い  第五十一章


 ノックをすれば入室を許可する答えが返って、ブレダは目の前のノブに手を伸ばす。ドキドキと高鳴る鼓動を感じながら扉を開け執務室の中に入ると、ピッとお手本のような敬礼をした。
「本日付けで司令室配属になりましたハイマンス・ブレダ少尉であります!」
 少し緊張した声でそう告げて、ブレダは上官の言葉を待つ。だが、部屋のほぼ中央に設えられた大振りなデスクの向こうに座る今日からブレダの上官になる男は、ブレダの言葉になにも答えてくれなかった。ただその昏い焔を宿す黒曜石でじっと見つめてくるばかりの男に、ブレダは敬礼をするために上げた手を下ろすことも出来ず慌てて考えを巡らせた。
(なんでなにも言わないんだ?俺、何か変なことしたか?)
 初めて顔をあわす直属の上官。第一印象が悪いと後々響くだろうと、十分注意を払ったつもりだ。服装に乱れがないことも何度も確認したし、ノックだってちゃんとした。名前と階級と、敬礼だってビシッと決めたしなにも悪いところはないはずなのに。
(それにしてもこの部屋、なんでこんなに暗いんだ?)
 返事が返らないことを訝しみながらもブレダはふと思う。まだ陽も高く本来なら窓からの光で明るいはずの室内は酷く薄暗く、目の前の上官から発する雰囲気と相まって部屋の空気を重く暗いものにしていた。
(── 窓。そうだよ、この部屋、窓がないんだ)
 窓からの光が入って明るいはずと思ったものの、その窓自体がこの部屋にはないのだ。建物の構造と部屋に置かれた家具の配置から考えれば上官の右手には大きな窓があるはずで、ブレダは敬礼をしたままの姿勢で視線だけを本来窓があるべき場所へと向けた。
(壁……いや、塗り潰したのか?それにしちゃやけに綺麗だな)
 よくよく見れば窓の形に周りの壁とは違う素材が使われているようだ。一体どういうことだろうとブレダが考えていると、不意に声が聞こえた。
「何か気になることでもあるのか?ブレダ少尉」
 低い声が目の前の男から聞こえたのだと気づいて、ブレダは慌てて視線を戻す。じっと見つめてくる昏い瞳に、ブレダは上げていた手を下ろして答えた。
「いえ、その……。この部屋には窓がないなと思ったので。塗り潰したにしては随分綺麗でよく見ないと継ぎ目も判らないですが、どうやったんですか?」
 そんな風に言ってしまってから、半瞬後にブレダはハッとする。初めて会う上官に聞くことではないと慌てるブレダに、ロイはクッと笑った。
「しっ、失礼しましたっ、サー!」
 折角第一印象を悪くすまいと注意を払った筈なのに失敗したとブレダは内心冷や汗を掻く。だが、ロイは唇の端を持ち上げて薄く笑みを浮かべたままギシリと椅子に背を預けて言った。
「錬成したんだよ。石灰石と粘土や砂利なんかを合わせて錬成した。周りの壁と同じにしたつもりだったが微妙に違ったかな」
「いえ。余程よく見ないと判らないと思います」
 とりあえず怒らせてはいないようだと思いながらブレダは慎重に答える。そんなブレダを見上げて、ロイは言った。
「部屋に窓なんて必要ない。気が散るばかりだと思わないか?」
「そう言う考え方もあると思います」
 随分極端な考え方だと思いながらもブレダは口に出してはそう答える。ロイは面白そうにブレダを見て言った。
「何事に置いても観察眼は大切だ。貴官のこれからの活躍に期待する」
「イエッサー!ご期待に添えるよう努力します」
 ロイの言葉に敬礼して答えれば身振りで退室を告げられて、ブレダは執務室を出る。扉を閉めホッと息を吐けば、視線を感じてブレダはホークアイを見た。
「大佐は何か言っていた?」
「特にはなにも。これからの活躍に期待すると言われました」
 そう答えればどこか落胆した様子のホークアイに、ブレダは少し迷ってから尋ねた。
「あの……今回司令室に配属されたのは俺だけですか?」
「何故そんなことを聞くの?」
 質問に質問で返されてブレダは一瞬口を噤む。じっと見つめてくる鳶色を見返して、ブレダは答えた。
「俺の同期でジャン・ハボックってのがいるんですけど、そいつ、士官学校時代からマスタング大佐とつきあいがあって……。訓練終えたら絶対大佐のところへ行くって言っていたものですから」
 ハボックとは訓練の課程で別の隊に配属されてしまったため顔を合わせる機会がなくなってしまった。お互い忙しかったから連絡を取ることもままならず今日まで来てしまったが、マスタング大佐のところへ行けばまた一緒にやっていけるだろうと楽しみにしていたのだ。
「アイツ、東方司令部に来た時は本当に大喜びで、これでやっと大佐のところで働けるって訓練も頑張ってて。だから大佐のところで会えるのを楽しみにしてたんですが」
 そう答えたブレダは、ホークアイが顔を歪めるのを見て目を瞠る。
「中尉?」
 驚いて思わず声をかければ、ホークアイが執務室の扉を見て言った。
「執務室に窓がないのは気がついた?」
「え?── はい。やけに暗いんで思わず窓がないんですねって言っちまいました」
 苦笑して答えたブレダだったがどこか辛そうなホークアイの表情に笑みを引っ込める。何かあったのかと尋ねようかどうしようかと迷ううちに、ホークアイが先に口を開いた。
「あの部屋には大きな窓があったの。とても綺麗な空が見える大きな窓がね。でも、ある時を境に大佐は窓を潰してしまった。それどころか日中は用事がない限りあの部屋から一歩も出ない。昔はしょっちゅう仕事をサボって抜け出しては綺麗な空を見に出かけてたのに」
 ホークアイの言う「空」が所謂頭上に広がる空だけではない気がしてブレダは眉を寄せる。
「中尉」
 一体なにがあったのか問おうとして、だがホークアイの悲しげな鳶色に言葉を紡げないブレダだった。


→ 第五十二章
第五十章 ←