セレスタの涙、オニキスの誓い  第五十章


「う……ふ……」
 ボロボロと涙を零して項垂れるハボックの顎を、ブラッドレイは背後から掴み持ち上げる。ぐったりと躯を預けてくるハボックの耳元に楽しげに囁いた。
「残念だったな、少尉。マスタング大佐に犯して貰い損ねた」
 その言葉にハボックの躯がピクリと震える。開け放たれた扉の向こう、涙に曇る視線の先には誰の姿もありはしなかった。
「……さ、────ッ!ヒィッ!」
 見えない姿を求めて唇を開いた時、ガツンと突き上げられてハボックは悲鳴を上げる。ガツガツと突き上げられれば忽ち快楽の渦がハボックを飲み込んだ。
「アアッ!あんッ!ひゃうッッ!!」
「くく……、マスタングに見られて興奮したか?うねるように絡みついてくるぞ?」
 意地悪く耳元に囁く声もどこか遠くで聞こえるようだ。ハボックは与えられる快楽の波に揉まれながら、ただひたすらに涙に霞む目で誰もいなくなった扉を見つめ続けていた。


 それからの数日の間の記憶はハボックには曖昧だった。男の熱で犯され快楽に支配されていても、その感覚すら壁一枚向こうのものであるかのようだ。そんなハボックを散々に犯し汚しておいて、ブラッドレイは飽きた玩具を捨てるようにハボックを置き去りに己の牙城へと帰っていった。
 そうして日々は過ぎ去り季節が雲の流れと共に行き過ぎていく。示されるまま目の前に与えられた訓練をこなせば、新兵としての課程を終えて、次への道を選ぶ段階へとやってきていた。


「なあ、配属希望、どこに出した?」
「俺はこのまま東方司令部に残れたらって思ってる」
 厳しい訓練を終え、心も体も一回り大きくなったサイモンとグラントが汗を流した体を拭きながら言う。「俺は南方司令部に希望を出した」と答えたサイモンが、同じように体に残るシャワーの水滴を拭き取り新しいシャツの袖に腕を通すハボックを見て言った。
「お前は?やっぱ中央司令部?」
「大総統直々に声がかかってたりするんじゃねぇの?」
 サイモンの言葉に乗るようにグラントも尋ねてくる。だが、ハボックは二人を見ずに手早く身支度を整えるとロッカーの扉を閉めた。
「いや、中央には行かない。声もかかってないよ」
 小さな声で答えるハボックの脳裏に冷たい隻眼が浮かぶ。遊び飽きた玩具などもうブラッドレイの記憶にすら残っていないだろうと思えば、ハボックの唇に苦い笑みが浮かんだ。
「そうなのか?じゃあマスタング大佐のところか!」
「ああ、そうか。そうだな」
 グラントが言えばサイモンも納得したように頷く。勝手にそう決めつける二人に答えないままロッカールームを出るハボックの脳裏に先日のブラウンとのやりとりが思い浮かんだ。


『ハボック、この配属先の希望、本気か?』
 ブラウンは書類に記された“アエルゴ”と言う文字を指先で叩きながら言う。見上げてくる上官を真っ直ぐに見返してハボックは答えた。
『はい、中佐』
 きっぱりと答えるのを聞いてブラウンの眉間の皺が深まる。椅子の背にギシリと体を預けて、ブラウンは言った。
『何故だ?お前なら希望すればどこでも喜んで受けてくれるぞ?中央司令部はどうなんだ?マスタング大佐のところだってあるだろう?』
 ブラウンが口にした名にあの日最後に見た黒曜石が思い出されて、ハボックの心がジクリと血を流した。
『配属先の希望はそこで間違いありません、サー』
 それでもハボックはそんな事は露ほども感じさせず、笑みを浮かべて答える。それを聞いて、ブラウンはため息を漏らした。
『そうか。希望を出せばおそらくすぐ通るぞ、いいのか?』
『はい』
『お前は大総統かマスタング大佐のところへ行くものだとばかり思っていたんだがな』
 その言葉にも笑みを浮かべただけで答えないハボックに、ブラウンはもう一つため息をつくと手振りで下がるよう告げた。


 ロッカールームを出たハボックは階段を上がり屋上へと出る。ゆっくりと屋上を横切り手摺りに寄りかかると遠く広がるイーストシティの街を眺めた。
 あの日以来、ロイと顔を合わせることはなかった。同じ東方司令部の中にいるというのが信じられないくらいハボックの目の届く所にロイが姿を現すことはなかった。勿論ロイはこの東方司令部のトップでありその動向は知ろうと思わなくとも聞こえてきたが、それはただ自軍のトップの動きでありそれ以上でもそれ以下でもなかった。ハボックがブラッドレイに抱かれているのを見たあの時から、ロイはハボックのもとを尋ねてはこなかったしハボックもまたロイの前に立つことは出来なかった。
(もう、オレの事なんてどうでもよくなってるだろうもの)
 あの瞬間は怒りも嫌悪もあったろう。だが、ロイの立場と求める先を思えばそんな感情は一時のことで、今ではハボックのことなど思い出すこともないだろう。
(それでも……オレは今でも大佐が好きだ)
 想っていたところでなんの実りもない想い。何度も忘れようと諦めようとして、どうしても出来なかった。むしろ時を重ねれば重ねるほどロイへの想いはより純粋なものへと昇華していった。今はただ、何れロイが頂点に立つであろうこの国の為になることだけがハボックの願いだった。
(こんな薄汚れたオレの命でも、この国の礎にくらいはなれるっしょ?一人でも多くの敵を倒して一歩でも領土を確固たるものにして、いつかアンタがこの国を手中に収めるその時の為にオレの命が役に立つなら)
(今はただそれだけが)
(それだけがオレの望み)
(それだけが)
 ハボックは蒼く広がる空を見上げる。
「────ぃさ」
 言葉に出来ない想いを震える吐息に乗せて、ハボックはそっと目を閉じた。


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