セレスタの涙、オニキスの誓い  第四十六章


 ロイは会議室の扉を開けると中へと入っていく。己の名前が記されたプレートが置かれた席に腰を下ろすと、ロイは机に置かれた資料を手に取った。ページをめくり文字の列を追うものの、思考は文字の上っ面を滑るだけで内容が頭に入ってこない。ロイの頭の中ではさっきホークアイが言った言葉が繰り返し響いていた。
『そうやって意地を張って、貴方はどうするおつもりですか?』
(意地?意地など張ってはいない。裏切ったのはハボックだ。その裏切りを赦せないと思うのは意地なんかじゃない)
『大事なものを本当になくしてしまってから後悔しても遅いということが、どうしてお判りにならないんです?』
(もう、とっくになくしてしまった。──── いや、最初から手になどしていなかったのかもしれない。後悔するというのなら手に入れてもいなかったものを手にしたと思いこんでいた己の愚かさ加減だ)
 頭の中で繰り返される問いに、ロイは言い訳のように何度も繰り返す。その時聞こえたざわめきに文字の羅列を眺めていた視線を上げたロイは、扉から入ってきたブラッドレイの姿を捉えて目を見開いた。ブラッドレイの後ろからハボックが静かにつき従って入ってくる。ふと伏せていた視線を上げたハボックが首を巡らせ、大きく目を見開くロイを見た。その一瞬空色の瞳がロイを切なげに捉えたように思えてロイは息を飲んだが、それを確かめる間もなく視線は逸らされ、ハボックはブラッドレイのすぐ側に立つ。そうすればニヤリと笑みを浮かべるブラッドレイの表情に、忽ちロイの心は今のハボックの視線の意味を考える余裕をなくし、嫉妬の焔に飲み込まれてしまった。
「本日の会議にはブラッドレイ大総統閣下にご臨席賜ります。是非、活発な意見を交わして実りのある会議として下さい」
 司会役の事務官が緊張した声でそう告げる。それに答えるように会議が始まったが、今のロイにはブラッドレイとその側に立つハボック以外目に入らなかった。


「マスタングがこっちを見てるぞ」
 机に肘をついて書類の端を指先で弄びながら、ブラッドレイがハボックにだけ聞こえる声で言う。それに返す言葉を見つけられず、ハボックは小さく「はい」とだけ答えた。そんなハボックの横顔をブラッドレイは楽しげに見上げる。おそらく後孔に押し込まれたローターの存在を何とか意識の外へ押しやろうとしているのだろう。僅かに寄せられた眉根からそう察して、ブラッドレイは目を細めた。ポケットの中を探り薄いリモコンを手にする。僅かな膨らみでボタンの種類を探り当て、ブラッドレイは中の一つを押した。
「ッッ」
 その瞬間ハボックの体が傾ぎ、ブラッドレイが腰掛ける椅子の脚を蹴飛ばす。ガンッと会議室に響く音に、出席者の視線がハボックの方へと向いた。
「し、つれい、しました……っ」
 ハボックは消え入りそうな声で言葉を絞り出すと唇を噛み締める。下手に口を開けばイヤラシい声が零れてしまいそうで、ハボックはブラッドレイが座る椅子の背を指先が白くなるほど握り締めた。
「サー……っ」
 ハボックはため息のような声でブラッドレイに訴える。必死に表情に出さないようにしようと思えば思うほど、尻の中で暴れるローターの動きを細部まで追ってしまい、ハボックは目尻に涙を滲ませた。
「ハボック少尉」
 その時、ブラッドレイが呼ぶ声が聞こえて、ハボックは伏せていた視線を上げる。口を開けず視線で問いかけるのが精一杯のハボックに、片手を上げて会議の進行を止めたブラッドレイが言った。
「これまでの意見を聞いて貴官はどう思うね?」
「え……?」
 ハボックに会議の内容を聞く余裕などないことを知っていながら意地悪に尋ねる言葉に、ハボックは空色の目を見開く。出席者の視線が己に集中するのを感じ何か言わねばいけないのは判っていたが、後孔を掻き乱すローターの動きにハボックの思考は千々に乱れて答えることが出来なかった。
「オレには……どちらの意見もそれぞれに良いように思えて……すぐには判断できないっス」
 何度も唾を飲み込みながらハボックはそれだけをやっとのことで答える。そうすれば馬鹿にしたように鼻をならす音やため息がが聞こえて、ハボックは後孔を抉られる羞恥とは別の羞恥で消えてしまいたくなった。
「ふむ、少尉は遠慮深いな。ここにいるのは上官ばかりだ、意見も言いにくかろう。なら後でゆっくり聞かせて貰うとしよう」
 後半部分、ブラッドレイはハボックを見上げていた視線を巡らせてロイを見つめながら言う。その隻眼に楽しげな光が宿っているのを見れば、その言葉の裏に潜む意味を勘ぐりたくなるのを止められず、ロイはブラッドレイを睨んだ。
「中断させて悪かった、続けてくれたまえ」
 突き刺さるようなロイの視線をものともせず、ブラッドレイは進行役の事務官にそう告げる。そうすれば会議が再開されたが、ロイの耳には誰の言葉も入っては来ず、ただブラッドレイとその隣に立つハボックとを睨み続けた。
(後でゆっくり……だと?……好きにすればいい)
 ロイは心の中で吐き捨てるように言う。だが、そう思いながらも心の中は嫉妬に煮えたぎり、ロイは食い入るようにハボックの顔を見つめた。その時、不自然にハボックの躯が揺れる。食いちぎらんばかりに唇を噛み締めるハボックの目元が刷いたように染まるのを見てロイが訝しむように目を細めた時、ブラッドレイがロイを見てその口の端を持ち上げた。
(なにか、されてるのか……?)
 二人の様子が否応なしにロイに二人の間で何がなされているのかを知らせる。
(ブラッドレイ……貴様……ッ)
 ロイは怒りと嫉妬に手のひらに爪が刺さるほど手を握り締めた。


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