| セレスタの涙、オニキスの誓い 第四十四章 |
| 微かな物音にブラッドレイは閉じていた目を開ける。傍らに金髪の少尉の姿はなく、代わりに寝室の扉の向こうのリビングから人の気配がした。ブラッドレイは起き上がるとベッドから足をおろす。行為の後シャワーは浴びていたし、シーツは清潔なものに取り替えられていたから別にそのままでも構わなかったが、ブラッドレイは全裸のまま寝室に備え付けられた浴室へと向かった。熱い湯を全身に浴びて出てくれば、新しいタオルとバスローブが用意されている。ブラッドレイは逞しい体に残る水滴を拭き取るとバスローブに身を包み、寝室を抜けてリビングの扉を開けた。 「おはようございます、サー」 途端にハボックから朝の挨拶をかけられ、ブラッドレイは鷹揚に頷く。ソファーに腰を下ろしたブラッドレイに、ハボックはグレープフルーツジュースが入ったグラスを差し出した。 「朝食の準備をさせてよろしいでしょうか」 尋ねる言葉に頷けば、ハボックはすぐさま電話で朝食の手配をする。きっちりと軍服を着込んだハボックの姿からは昨夜のベッドでの痴態など微塵も感じられず、ブラッドレイは唇の端を持ち上げて笑った。 程なくして朝食が届けられるとハボックが手早くテーブルにセットする。ソファーからテーブルの前の椅子に移ると、ブラッドレイは一人黙々と食べ始めた。ほぼ食べ終えたところでコーヒーのカップが目の前に置かれる。ブラッドレイはナフキンで口の周りを拭くと、カップに手を伸ばした。 「ハボック少尉」 「はい、サー」 一口飲んで側に控えていたハボックに声をかける。無表情を装う少尉を見上げて、ブラッドレイは言った。 「イーストシティには一週間ほど滞在する。その間君は事務官として全ての会議や会食に私と同行するように。無論それ以外の時間も側に控えて雑務をやって貰う。ブラウン中佐だったか、彼には私から話を通しておく」 「────はい」 一瞬逆らうかに見えたが、ハボックは短くそう答える。僅かに伏せた長い睫が震えるのを見て、ブラッドレイはにんまりと笑った。 「着替える」 「はい」 カップを置いて立ち上がれば、すぐさまハボックが身支度の準備を手伝う。あっという間に軍服に身を包むと扉に向かうブラッドレイに、ハボックは無言のままつき従った。 窓の外から聞こえる鳥の声に、ロイは俯けていた顔を上げる。ゆっくりと視線を巡らせて棚の上の時計を見れば、もうまもなく迎えの車が来る時間だった。ロイはのろのろとソファーから立ち上がると浴室に向かう。服を脱ぎ捨て中に入ると熱い湯を頭から浴びた。 結局夕べはまんじりともせず夜を過ごした。ブラッドレイが車の中で口にした言葉が頭の中で繰り返し響いて鳴りやまず、ブラッドレイと共にホテルの中へ消えていったハボックの姿と相まってロイを苦しめた。 (私がずっと心配している間、ハボックはブラッドレイに取り入るためにずっと) (夕べもホテルでブラッドレイの相手をして) ロイはダンッと拳で壁を殴る。思考は螺旋を描いて同じ考えを繰り返し、そこから出ていこうとはしなかった。螺旋の外側ではホークアイがハボックを信じたいと繰り返していたが、その声は螺旋が描くあまりの怒りの激しさに弾き飛ばされて中にいるロイには届かなかった。 ロイはコックを捻って湯を止め、浴室から出る。体を拭きそのままの姿で浴室を出ると二階に上がり軍服に着替えた。ろくに拭いていない髪から垂れた水滴が軍服の襟を濡らしたが、ロイは気にせず軍服の襟を止めた。その時、外から車の音が聞こえ、少しして玄関のチャイムが鳴る。迎えが来たことを知らせるその音に、ロイが階下に降り玄関の扉を開ければそこに立っていたのはホークアイだった。 「おはようございます、大佐」 「迎えに来るのは君ではなかった筈だが?」 「替わって貰いました」 そう言うホークアイをロイはじっと見つめる。見つめてくるその顔がポーカーフェイスが得意なロイとは思えぬほど憔悴し、黒曜石の瞳だけがギラギラと異様なまでの光を放っているのを見て、ホークアイはギュッと手を握り締めた。 「夕べは眠れなかったのですね」 「そんなことはない。真実が判って、夕べは久しぶりにゆっくり眠れたよ」 「大佐」 どう過ごしたか疑う余地もなくはっきりと判るその顔で、口調だけは冷静に答えるロイにホークアイは顔を歪める。だが、ホークアイが何か言おうとする前に、ロイは家の前に停めてある車に向かって歩きだした。 「なにをしている。行くぞ、中尉」 自分で車の扉を開けながら、ロイはそう言うとさっさと車に乗り込んでしまう。ホークアイは深いため息をつくと玄関の鍵を閉め、急いで車に乗り込んだ。ハンドルを握ったものの車を発進させようとしないホークアイの横顔を見つめて、ロイは口を開いた。 「何故行かない?」 「大佐、ハボック少尉と話をして下さい」 「その話は夕べで決着がついた筈だ」 「ついていませんッ」 ロイの言葉にホークアイが振り向く。怒るような、縋るような鳶色に、ロイは低い声で言った。 「今すぐ車を出せ。出さないなら降りる」 言って車の扉に手を伸ばすロイを見て、ホークアイは唇を噛んで正面に向き直る。アクセルを踏み込み車を出したホークアイは、司令部に向かってハンドルを握りながら、チラチラと鏡越しにロイの様子を伺った。 「大佐」 鏡の中、表情がよく伺えないロイにホークアイは何度も呼びかける。だが、ロイは一言も答えずただ重苦しい沈黙が車の中を支配し、そのまま車は司令部へと着いた。警備兵が開けたドアからロイは車を降りる。その時、丁度もう一台車が到着し、開いた扉からハボックが降りてきた。 「ッ?」 ハボックはロイの姿を認めて一瞬体を強張らせる。だが、なにも言わずに目を逸らすと、すぐさま車の後部座席の扉を開けた。開いた扉からヌッとブラッドレイが姿を現す。視線を感じたのか、ロイの方を振り向いたブラッドレイはその隻眼でロイの姿を捉えるとニッと笑った。 「行くぞ、少尉」 「イエッサー」 短く、だがはっきりとロイに聞こえるようにブラッドレイが言えばハボックがそれに答える。ハボックを伴って司令部の中へ消えていくブラッドレイの背中を、ロイは突き刺さるような視線で見送った。 |
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