セレスタの涙、オニキスの誓い  第四十章


 一定の速度で走っていた列車がカーブにさしかかりスピードを落とす。ここのカーブを過ぎればイーストシティはもう目と鼻の先であることを思い出して、ブラッドレイは手にしたコーヒーのカップを寄せた口元に笑みを浮かべた。
 退屈凌ぎに弄んでやったハボックの元を訪れる事にした。更に彼の想い人であるロイに駅まで迎えに来るように手配したが、ロイは一体どんな顔をして現れるのだろう。
「どうやって知ったのかな、少尉が私に抱かれたのを」
 素晴らしい成績を収めてきたハボックを喜び勇んで迎えた勢いのまま想いを伝えてその身に残る陵辱の痕を見つけたか、それともブラッドレイの周りでハボックの身に起きたことを知るもの──エリゼやマドラス──がお節介にもロイに告げたか。どんな形にせよロイは知っているだろうとブラッドレイは確信する。
「楽しませてくれ、マスタング大佐にハボック少尉」
 とにかく退屈で仕方ないのだ。存分に楽しませて欲しいものだと思いながら、ブラッドレイは低い笑い声を零した。


 駅に向かう車のハンドルを握ったホークアイは、ミラーに映るロイの様子を伺う。腕を組んでシートに深く腰掛けたロイの顔を時折外を過ぎるライトが照らしはしたものの、その表情を伺い知ることは出来なかった。
(例え大総統への非礼になるとしても、やはり無理矢理にでも司令部に残って貰った方がよかったかもしれない)
 ホークアイは駅に向かって車を走らせながら思う。幾らロイでもいきなり大総統に向かって発火布を使うことはないと思っているが、それでもロイの心情を計りかねる現況で不安が尽きることはなかった。それともこうしてロイが出てきたのは芽吹いた疑念を消し去りたいという気持ちもあるのかもしれないと、ホークアイはいいように考えてみる。だが、次の瞬間ロイの怒りの大きさを思い出せば、とてもそんな風に楽観的に考えることは出来なかった。
(どうか何事も起きませんように)
 今の自分には祈る事くらいしか出来ない。せめてロイが何か事を起こそうとする前に、自分が止めに入れる事を願いながらホークアイは駅に続く道へと車を乗り入れた。


 ミラー越しにホークアイの視線を感じてロイは僅かに顔を顰める。ホークアイの懸念に気づきながらも、ロイはブラッドレイを前にした時自分がどういう態度をとるか、全く想像する事が出来なかった。
(ブラッドレイの方から話を持ちかけたのか、それとも)
 ハボックの方から口利きしてくれないかと申し出たのか。ハボックの性格を考えればハボックから申し出たとは考えにくいから、おそらくはブラッドレイが言葉巧みにハボックを言いくるめたのだろう。
(いい成績を修めれば私の元への配属もすんなり決まる、とか?)
 今改めてそう考えてみて、ロイは違和感を覚える。そもそもハボックがロイの元への配属を希望していたのと同時にロイ自身もハボックを引き受けることを望んでいた。射撃大会でいい成績を修めようが修められなかろうが、配属先の決定になにも支障はないはずだったのだ。
(中尉の言うとおりハボックは実力で……いや、だが)
 秘書官を名乗る女性からの電話とハボックの躯にはっきりと残る情交の痕。それは確かにハボックがブラッドレイと関係を持ったと伝えていて、そう思うだけでロイの思考は煮え滾り冷静な判断が出来なかった。
(どういう経緯にせよハボックは私を裏切った。その事実は変わらん)
 ハボックにロイを裏切るよう仕向け助長した男。その男にもうすぐ(まみ)えるのかと思うと、ロイは心の奥底から噴き上がる憎悪と嫉妬の焔を押さえておくことが出来なかった。


(なんかここんとこ、調子が変だな)
 ハボックは賑わい始めた通りを歩きながら思う。訓練の途中で昏倒するなんて、これまでの自分にはとても考えられなかった。
(もう、躯は大丈夫なはずなんだ。セントラルにいた時は……消耗もしてた、けど)
 昼と言わず夜と言わずブラッドレイに関係を強要されていたせいで、正直日々の生活すらまともに送れないほど体力を削られていた。だが、イーストシティに戻ってそんな関係が解消されて、身の内深く迄残っていた痛みが消えれば体力的には何の問題なく訓練に当たれるはずなのだ。
(いつまでもグズグズしてられないんだ。きちんと訓練終えて、直接じゃなくても大佐の手助けが出来る部隊への配属希望を受けて貰えるようにしないと)
 ハボックはそんなことを考えながら通りを歩いていく。鼻孔を擽る食べ物の匂いが食欲を刺激する事はなかったが、それでもハボックに食事の重要性を思い起こさせる役にはたった。
(そういや最近あんまりちゃんとした食事とってなかったかも。食うもん食わなきゃ力も出ないよな)
 体調の悪さは栄養不足かもしれない。ふとそんなことが思い浮かんでハボックはメニューを並べた店先を覗き込む。だが、以前なら喜んで食べたがっつりとカロリーを摂取出来そうな料理は、全く食べる気になれなかった。
(いきなりがっつり系は無理かな。だったらせめて少しでも栄養がとれるもん、食って帰ろう)
 このまま家に帰ってはろくに食べずに寝てしまいそうだ。店先をチラチラと見回しながら歩くハボックの行き先に、イーストシティの大きな駅舎が姿を現していた。


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