セレスタの涙、オニキスの誓い  第三十九章


「あ、れ……?」
 ハボックは目を開けると白い天井を見上げる。ベッドの周りを囲む白いカーテンが微かに揺らいで、ハボックは自分が医務室のベッドに横たわっていることに気づいた。
「なんで、オレ……」
 確か自分は闘技場で組手の訓練中だった筈だ。次々とかかってくる仲間を受け止めて技を仕掛けていたのに、どうしてこんなところにいるんだろうとハボックが思った時、シャッと音がしてカーテンが開いた。
「ああ、目が覚めたか」
「先生」
 顔を出したのは初老の軍医で、ハボックが気がついているのを見て笑みを浮かべる。脈を取り診察する軍医を見上げて、ハボックは尋ねた。
「オレ、どうしてここに?」
「ん?なんだ、覚えておらんのか」
「訓練してました、組手の。なのにどうしてここに?」
 心底判らないというように言うハボックに軍医は軽く目を見開く。それから診察をするためによけたブランケットをハボックの体に掛けなおしながら言った。
「軽い貧血だな。組手の真っ最中に倒れたんだよ、少尉」
「倒れた?オレが?」
 確かに最近体調が優れなかった。だが、訓練中に倒れるほど体調が悪かった覚えはなく、ハボックはゆっくりとベッドに体を起こすと軽く頭を振った。
「無理せん方がいい。今日一日休んで────」
「平気っス。訓練遅れてんのに休んでなんかいられません」
 制止する軍医の言葉を遮ってハボックは言うとベッドから足を下ろす。立ち上がり特になにもないと判ると、ハボックは軍医を見下ろして言った。
「ありがとうございました、先生。訓練に戻ります」
「焦る気持ちは判るが、休むことが近道になることもあるんだぞ」
「はい。肝に銘じておきます」
 軍医の言葉ににっこりと笑って答えると、ハボックは医務室を飛び出していく。その背を見送って軍医はやれやれとため息を零した。


「あれっ?もう終わり?」
 闘技場に戻ったハボックは、中に誰もいないのを見て声を上げる。何時だろうと壁の時計を見て、針がもう夕刻を指していることに気づき目を見開いた。
「なんで……っ」
 こんなに長く伸びていたなんて信じられない。ハボックは闘技場を飛び出すとブラウンの下へと走った。
「失礼しますッ、中佐!」
 ノックもそこそこに扉を開ければ書き物をしていたブラウンが顔を上げる。駆け込んできたのがハボックだと見ると、ブラウンは軽くため息をついた。
「すみません、中佐!オレ、すっかり寝込んでしまってっ!明日からはこんなことがないよう、気をつけますッ!」
「ハボック」
 必死の形相で喚くハボックを宥めるようにブラウンは名を呼ぶ。心配そうな顔で見つめてくるハボックを見上げて、ブラウンは言った。
「少し休んで体調を整えた方が────」
「平気っス!!」
 ブラウンの言葉を遮ってハボックは声を張り上げる。
「平気ですっ、休んでる暇なんてありません。もうすぐ訓練後の配属先希望出さなきゃなんだし」
「お前の希望はマスタング大佐のところだろう?別に焦らんでも通るさ」
 ロイがハボックの事を買っているのは判っている。多少訓練が遅れているのもセントラルで引き留められていたせいだと知っているのだから、ハボックが希望を出せば配属はすんなり決まるだろうとブラウンは言った。
「だから今は体調を整える事を優先しろ。なに、三日も休めば元気になるだろう?若いんだからな」
 そう言って笑うブラウンにハボックは唇を噛む。ギュッと手を握り締めて、ハボックは言った。
「マスタング大佐のところには行きません。だからちゃんと訓練しないと、オレを認めて受け入れて貰えるところを探せるよう、頑張らないと駄目なんス」
「マスタング大佐のところへ行かない?だが、ハボック────」
「大佐からもオレのことは受け入れないって言われてます。だから、希望出したところに行けるように腕、磨いとかないと……っ」
「ハボック」
 驚いて見上げてくるブラウンにハボックは笑みを浮かべた。
「明日からはちゃんと訓練に臨めるようにします。ご指導よろしくお願いします!」
 ハボックはそう言うとピッと敬礼をして部屋を出ていく。
「……どうなってるんだ、一体。てっきりマスタング大佐のところへ行くものとばかり思っていたが」
 ハボックの背を見送ったブラウンは、訳が判らないとばかりに呟いた。


 ジリジリと耳障りな音を立てて鳴り響く電話を、ロイは書類を書いていた手を止めて睨む。ロイの鋭い眼光も不格好な電話にはなんら効力はなく、ロイは仕方なしに手を伸ばして受話器を取った。
「はい」
 直通の電話にかけてくるなど一体なんの用件だろう。そう思いながら相手の声に耳を傾けていたロイの目が僅かに見開かれる。端的に必要事項を知らせる電話が一方的に切れても、ロイは暫くの間受話器を握ったままだった。
「失礼します」
 丁度その時、ノックの音がする。少しして(いら)えがないのを訝しむ顔でホークアイが入ってきた。
「あら」
 ロイが受話器を握っているのを見て、ホークアイは執務室を出ようとする。だが、呼び止める声に足を止めれば、受話器を置いてロイが言った。
「大総統がイーストシティに来るそうだ」
「ブラッドレイ大総統が?」
 今この時期に大総統がセントラルから出てくる理由があったろうか。ホークアイが問いかける視線を投げる中、ロイはゆっくりと立ち上がった。
「もう少しで大総統が乗った列車が着くらしい。私に迎えに来いと言っている」
「ッ」
 そう聞いてホークアイが目を見開く。執務室を出ていこうとするロイに、ホークアイが慌てて言った。
「大佐、私が参ります。大佐は司令部でお待ちに────」
「大総統直々のご指名だぞ、行かないわけにいかんだろう?それに」
 と、ロイは一度言葉を切る。発火布を填めた手を握り締めて口を開いた。
「逃げるつもりもない」
「大佐っ」
 低い声に籠もる殺気にホークアイは息を飲む。カツンと歩き出すロイの靴音にハッとして、ホークアイは言った。
「私が運転します」
 その言葉にロイがホークアイをチラリと見る。駄目だとも頼むとも言わずに出ていくロイを追って、ホークアイも足早に執務室を出た。


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