セレスタの涙、オニキスの誓い  第三十八章


「よし!撃ち方、やめッ!」
 よく通るブラウンの声に部下たちが各々射撃の的に向けていた銃を下ろす。ブラウンはゆっくりと部下たちの後ろを歩きながら言った。
「教官に指摘された事を忘れず、欠点を克服するためにはどうすればいいか、よく考えろ」
 その言葉に新兵たちの口からそれぞれに返事が返る。ブラウンはいつになく張り切った彼らの声に、満足げな笑みを浮かべた。
「今日の訓練はここまで。居残りは自由だ、だが無理はするな」
「「ありがとうございましたッ!!」」
 一斉にピッと敬礼を寄越した部下たちの殆どがその場に留まりトレーニングを続けるのを見て、ブラウンは笑みを深める。ほぼ中央に位置するブースでイヤーマフを外しホッと息を吐いたハボックが片づけ始めるのを見て、ブラウンはゆっくりと近づいていった。
「ハボック」
「中佐」
 ブラウンが近づいてきたのに気づいて、ハボックが気をつけの姿勢を取る。その顔に浮かぶ疲労の色にブラウンは眉を寄せて言った。
「体調は大丈夫か?」
「はい。午前中は申し訳ありませんでした」
 ハボックの言葉にブラウンは頷く。
「先ほどは見事だった。お前の腕前を見てあいつらも発奮したようだしな。これからも頼むぞ」
「ありがとうございます。ご期待に添えるよう努力します」
「うむ。今日はもう休め」
 そう言うとブラウンはハボックの側を離れ自主トレーニングを続ける部下たちの方へと歩いていった。その背を見送ったハボックは深いため息をつく。片づけを済ませると銃声が響きわたる射撃場を後にした。


「失礼します」
 ノックに続いて聞こえた声に入室の許可を返せばホークアイが執務室に入ってくる。決済済みの書類の箱から書類を取り出し確認しながらホークアイが言った。
「今日の射撃訓練では見事な腕前を披露したそうですわ」
 誰がとは言わずにそう告げたが、聞こえているはずのロイは書類から顔を上げようともしない。黙ったまま書類にペンを走らせるロイを見下ろして、ホークアイは続けた。
「射撃大会に出て、益々腕を上げたようだとあのブラウン中佐が手放しで褒めちぎっていました」
 そう言ってホークアイはじっとロイを見つめる。もう書類を持って出ていける筈なのに動こうとしないホークアイに、ロイは手を止めると顔を上げた。
「それで?なにを言いたいのか全く判らんな」
 判らない筈などないのにと思いながらもホークアイははっきりと言葉にする。
「ハボック少尉は実力で入賞したということです。彼は卑怯な手など使っては────」
「どうしてそう言い切れる?そもそもある程度の実力がなければ大会そのものにエントリーできん。腕があるのは当然だ」
「だったら入賞も当然なのではありませんか?少尉は実力で賞を取ったとどうして信じてあげられないんです?ハボック少尉は────」
 ダンッ!!と机を殴りつける音にホークアイは言い募る言葉を飲み込んだ。ロイは乱暴な仕草で立ち上がると、ホークアイに発火布をはめた手を突きつける。
「下らんことを口にすれば中尉と言えど燃やすと言った筈だ」
「大佐」
 冷たい黒曜石でホークアイを睨みつけると扉へと歩いていくロイの背に、ホークアイは呼びかけた。
「よろしいんですか?本当にこのままで──大佐!」
 だが、ロイは一切答えず執務室から出ていってしまう。
「大佐……」
 冷たく閉じられた扉を見つめて、ホークアイは深いため息をついた。


 微かに眉を寄せて欲を吐き出したブラッドレイは、執務室に置かれた椅子の足下に蹲るようにして男のものを舌で清める秘書官の女性を見下ろす。紅く染めた唇を白濁で汚した美しい顔を見てもなんの感慨も湧かず、ブラッドレイは窓の外へと視線を向けた。
(つまらん)
 退屈しきった権力者は澄み切った空を見上げて思う。綺麗に晴れ渡った空色を見れば、ふと玩具にしていた青年の顔が浮かんだ。
(どうしているか)
 彼が慕う相手を盾に取り強引にその躯を奪った。別の男を想いながら、その男を守るためにブラッドレイを受け入れなければならなかった彼の苦悶や絶望は、ブラッドレイの悦い退屈凌ぎになった。最後は少々壊れてきた玩具をブラッドレイは捨て去り、彼は想う男がいる場所へ帰っていったが、散々に汚し仕込んでやった躯で今彼はどうしているのだろう。
(一度イーストシティへ行ってみるか)
 もしかしたらまたいい退屈凌ぎができるかもしれない。
「イーストシティへ行く」
 男の身支度を整え立ち上がった秘書官に短くそう告げれば、女性は何事もなかったように返事を返して執務室を出ていく。
(楽しませて欲しいものだ────ハボック少尉)
 ブラッドレイは窓の外の空を見上げながら、楽しそうにクスクスと笑った。


「ハボック!」
「グラント」
 着替えを済ませロッカーの扉を閉めたハボックは、聞こえた声に俯けていた顔を上げる。そうすれば隣のロッカーへやってきたグラントが上着を脱ぎながら言った。
「昨日は凄かったな。やっぱ大した腕だよ、お前」
「……ありがとう」
 笑みを浮かべて言うグラントに答えながら、ハボックは無意識のままグラントとの距離を開ける。そうすれば丁度入ってきた男とぶつかって、ハボックはギクリと身を強張らせた。
「ごめん、先行ってる」
「えっ?あ、おい、ハボック?」
 奇妙な息苦しさに耐えきれず、ハボックは早口に言うとロッカールームを出てしまう。そのまま逃げるように闘技場へと走っていくと、ハボックは少しずつ集まり始めている仲間たちから離れた隅に腰を下ろした。
(しっかりしなきゃ。これ以上訓練休むわけにいかないんだから)
 ハボックは心の中で己を叱咤する。やがて全員が闘技場に揃うと、最後にやってきたブラウンが居並ぶ部下たちを見回して言った。
「今日の組手は“雷”だ。最初の元立ち五人は……そこ、サイモンからハボックまで、前へ」
 その声にハボックはハッとして視線を上げる。指名された仲間と共に闘技場の中央へ間を開けて並べば、残った新兵たちがぞろぞろと壁際に寄り列を作った。
「三十秒毎に笛を鳴らす。そうしたら次の相手に取りかかれ、いいな」
「「イエッサー!!」」
 一斉に返事が返るのに頷いて、ブラウンは手にした笛を口元に寄せた。
「よし、始めッ」
 言うと同時にピッと短く笛の音が響く。そうすれば列の先頭にいた新兵が中央に並ぶ一人に向かっていった。
「はああッ!!」
「やああッ!!」
 互いに大きな声と共にがっちりと組み合う。次々と技を繰り出し相手から一本取ろうとしていれば、三十秒などあっと言う間に過ぎて次の笛の音が響いた。
「次ッ」
 笛の音を合図に最初の新兵が二人目の元立ちへと組み付けば、列の二番目にいたものが一人目の元立ちへと向かう。そうして次々と組手の相手を変えながら、列の先頭にいた男が最後の元立ちであるハボックに向かってきた。
「はあああッッ!!」
「ッ!!」
 息を弾ませながらも男がハボックに腕を伸ばす。がっしりと組み合えば息を荒げた男の顔が間近に迫り、ハボックは目を見開いた。
「たああッ!」
 フワリと躯が浮いてハボックは闘技場の床に叩きつけられる。追い討ちをかけるようにグイと襟元を締められ圧し掛かられて、ハボックは凍りついた。
「ハボック!しっかりせんかッ!」
「ッ!……はいッ」
 笛を鳴らす合間にブラウンの叱責の声が飛ぶ。その声に弾かれたようにビクリと躯を震わせると、ハボックは男の躯を蹴り上げた。
「くそッ、まだまだッ!」
 蹴りを受けてよろめいた男が、体勢を立て直して再びハボックに組み付いてくる。長い三十秒を終えて男の躯が離れホッとしたのも束の間、次の組手の相手に肩を掴まれて、ハボックは短い悲鳴を上げた。
「ヒッ!」
 組み付いてくる相手を突き飛ばし、ハボックは後ずさる。相手の攻撃をなんとか凌いでも、短い笛の音と共に次々と伸びてくる腕と荒い呼吸に、ハボックは今自分がどこにいてなにをしているのか判らなくなっていった。
「……めてっ」
 ガシッと襟元を掴まれ、ハボックは目を見開く。
 ハアハアと耳元に聞こえる荒い息遣い。己の腕を掴む男の手。飛び散る汗と間近に迫る熱い身体。
「嫌だぁぁッッ!!」
 目の前にニヤリと笑う隻眼が浮かんで。
 高い悲鳴を上げたハボックは、フッと意識を失って闘技場の床に倒れ込んだ。


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