セレスタの涙、オニキスの誓い  第三十七章


「あれ……?オレ、なんでここに……」
 訓練中、気分が悪くなって訓練場を出た。医務室に向かう筈が気がつけば司令部の中庭に出ていて、ハボックはゆっくりと辺りを見回した。中庭の木々はもうすっかりと色づいて、季節が秋から冬へと向かっていることを告げている。その中を歩きながらハボックの頭に浮かぶのはロイの事だった。
(大佐……)
 あんな風にロイに拒絶された今でも、いや、拒絶されて一層、ハボックのロイへの想いは日に日に強くなっていた。というよりも、その想いがハボックを今なんとかこうして動かしていると言えるのだろう。ゆっくりと中庭を歩いてハボックはあるところまで来ると足を止める。庭に面した窓をハボックは目を細めて見上げた。
(大佐……今頃書類に埋もれてんのかな)
 飲みに出かけた時、よく書類の多さを嘆いていたロイを思い出してハボックは笑みを浮かべる。やっていられないとボヤくロイを宥めれば、黒曜石の瞳が己を見つめて優しく笑ったのを思い出して、ハボックは僅かに眉を寄せた。
(大佐……オレの体も心も命すらもアンタのものだから。アンタの為ならどんなに(よご)れても傷ついても構わない。全部アンタに────)
『汚らわしい』
 突然ロイの声が頭に響いてハボックはビクリと体を震わせる。記憶の中の黒曜石が冷たい侮蔑の光を帯びるのを見てハボックは緩く首を振った。
「大佐、オレは……っ」
 不意に蘇る体の奥底を支配する熱。ハボックは窓から目を逸らすと逃げるようにそこから走り去った。


 カタンと窓が揺れる音がしてロイは書類から顔を上げる。窓から見える空は綺麗に晴れ渡って、嫌でもロイにこの司令部のどこかにいるであろう誰かの事を思い起こさせた。
「……」
 ロイは脳裏に浮かんだ面影を必死に追い出そうとする。だがそうしようとすればするほど、その面影はロイを哀しい空色でヒタと見つめた。
「何故そんな顔をする」
 ロイは低い声でその面影に問いかける。望んで権力者に脚を開き裏切ったのはハボックであるはずだ。その証拠とも言える白い肌に残るイヤラシい痣も確かにこの目で見ているのに、胸の奥底から覗くこの罪悪感一体何なのだろう。
『私には信じられません』
 様子がおかしいロイにハボックとのことを尋ねてきたホークアイに、怒りのあまり隠すこともせずに話せば返ってきた言葉。
「あれを見れば嫌でも信じるだろうさ」
 白い肌に浮かぶ鬱血の痕。それが意味するところを考えればブラッドレイに組み敷かれ悶えるハボックの姿が浮かんで、ロイは拳で机を殴りつけた。
「くそっ……くそッッ!!」
 愛していた。たぶん、今でも。己のうちを焼く怒りの焔が激しい嫉妬に彩られていることに気づいて、ロイは手を握り締める。
「何故だ、ハボック……ッ」
 尋ねても目の前の面影はただロイを哀しそうに見つめるだけだ。
「────ッッ」
 ロイはバンッと机を叩いて立ち上がると窓に近寄る。そうして綺麗な空色が視界に入らぬよう、ブラインドを下ろしてしまった。


「ハボック!」
 廊下を歩いていると聞こえた声にハボックは俯けていた顔を上げる。そうすれば訓練場からゾロゾロと出てくる新兵達の中から、グラントが手を挙げて走り出てきた。
「これから移動して射撃訓練だって。出られそうか?」
「────ああ」
 心配そうに尋ねてくるグラントの顔をハボックはじっと見つめていたが、少ししてから頷く。まるで自分がとるべき行動を忘れてしまったかのようなハボックの様子に、グラントは眉を顰めた。
「本当に大丈夫か?」
「……ああ」
 ゆっくりと頷くと、ハボックは新兵達の一番最後について歩き出す。そんなハボックと一緒に歩き出しながら、グラントは眉間の皺を深めた。
「おい、ハボック、お前」
 声をかけてもハボックはグラントを見ない。何も言わずただ前を行く仲間の後について、ハボックは廊下を歩いていった。


「よし、今日は折角射撃大会の入賞者が帰ってきたことだし、通常の射撃訓練の前にセントラルで皆を唸らせたその腕前を披露して貰うことにしよう」
 射撃場に移ると、ブラウンが居並ぶ新兵達を前に言う。そうすれば皆の視線がハボックへと集中した。
「ハボック、いけるか?」
「……イエッサー」
 ピッと敬礼を返してハボックは一歩進み出る。ブラウンが示したブースに入りイヤーマフをつけるハボックの後ろに、新兵達がよく見えるようにとワラワラと群がった。
「標的は決勝の時と同じ方法で現れる。────おい、そこ!あんまり前に出るな!」
 前半はハボックに、後半は新兵達にブラウンが言う。なんとか部下達が静かになったのを確認して、ブラウンはハボックに視線を向けた。
「用意はいいか?ハボック」
「アイ・サー」
 尋ねる言葉にハボックは正面を見据えたまま答える。
「始めッ」
 鋭いブラウンの声に答えるように現れた標的に向かって、ハボックは引き金に掛かった指を引いた。


→ 第三十八章
第三十六章 ←