セレスタの涙、オニキスの誓い  第三十六章


「遅い!」
「すみません!」
 訓練場へ入れば既にブラウンを始め他の新兵たちは皆揃っていて、ハボックたちは謝罪の言葉と共に列の後ろにつく。三人が他のメンバーと同じように休めの姿勢で上官の言葉を待っていると、居並ぶ部下たちを見回してブラウンが口を開いた。
「訓練も半ばを過ぎて諸君らも粗方慣れてきたところだろう。この時期は最も中だるみしやすい。だが、中だるみなど以ての外だ。今日からは訓練内容も倍増して一層厳しくいくからな。心して参加するように」
「「イエッサー!」」
 ダンッと軍靴の踵を打ち鳴らして新兵たちが一斉に答える。そのいい意味で緊張した表情に、ブラウンは満足そうに頷いた。
「では、十分に体を解してから組手の訓練を行う!」
 訓練開始の合図を受けて、まずは怪我予防の為の準備運動から始まる。仲間たちと一緒に体を動かしながら、ハボックは妙な圧迫感を感じていた。
(なんだろ……ここで訓練するの、久しぶりだからかな)
 訓練場は勿論十分な広さがあるものの、屈強な男たちがその鍛えられた四肢を動かせばそれだけで空間を圧する迫力がある。男たちが吐き出す息が持つ熱、振り動かす手足から発する熱で、ハボックは頭がボウッとしてきた。
(クラクラする……)
「おい、ハボック!」
 フラリと上体が傾いだハボックの腕をグラントががっしりと掴む。グラントはグイとハボックの体を引き起こして言った。
「顔色悪いぞ。やっぱ調子悪いんじゃないか?少し休んでこいよ」
「でも……」
「さっき戻したんだろ?無理するなって」
 吐き気が込み上げたものの実際戻してはいないのだが、そう言われればなんだか気持ちが悪くなってくる。ハボックは小さく頷くとグラントの側を離れ壁際に下がった。壁に背を預けるようにしてズルズルと座り込むのを見て、グラントが心配そうな視線を向ける。膝を抱え込むようにして顔を伏せ、ハボックが少しでも呼吸を整えようとしていれば、少ししてブラウンの声が頭上から降ってきた。
「どうした?ハボック」
「中佐……すみません、ちょっと気分が優れなくて」
「顔色が悪いな」
 顔を上げたハボックを見てブラウンが眉を顰める。ため息と共にブラウンは言葉を吐き出した。
「医務室へ行ってこい、その調子じゃ訓練は無理そうだ」
「少し休めば大丈夫です、オレ、訓練しないとっ」
「ハボック」
 ふらふらと立ち上がるハボックをブラウンは腕を組んで見つめる。
「無理して怪我でもしたら益々訓練が遅れるぞ。医務室で休んで、午後からでも復帰出来そうなら戻ってこい、いいな」
「……アイ・サー」
 ブラウンの言葉にハボックは肩を落として答えると、のろのろと訓練場を出ていった。


「大佐、こちらにサインをお願いします」
 そう言ってホークアイが差し出した書類をロイは黙ったまま受け取る。ページを繰りながら書類に目を通すと、サインを認めホークアイに返した。顔を上げれば見つめてくる鳶色と目があう。問いかけるようなその視線に、ロイは眉を顰めて言った。
「何か言いたそうだな、中尉」
 そう言えばホークアイが一瞬躊躇った後口を開く。
「ハボック少尉となにがあったのか伺ってもよろしいですか?」
「奴の名を私の前で二度と出すなと言ったはずだ」
「セントラルからなかなか戻らない少尉の状況を調べるために、私は業務を差し置かなければなりませんでした。大佐の私用の為に残業までいたしましたから、私には聞く権利が発生すると考えます」
 そう主張するホークアイにロイは表情を険しくした。普通の人間なら気後れしてしまいそうなそんな空気にも、だが全く動じる様子をホークアイは見せない。普段は頼もしく感じる副官のそんな態度も今のロイには腹立たしく、ロイは口の中で有能な部下を罵ると口を開いた。
「ハボックを有能な、信頼するに値する男だと思ったのは私の見込み違いだったと言うことだ」
「見込み違い?どういうことです?」
 驚いて尋ねてもロイはすぐには答えない。
「少なくとも銃の腕に関しては有能だと言えるのではありませんか?射撃大会で入賞も果たしたのですし」
「それが実力ではないとしたら?」
 そんな風に言われてホークアイは目を瞠った。
「ハボックがどうやって新兵で三位という成績を納めたか教えてやろうか?────ブラッドレイと寝たんだよ」
「────そんな……何かの間違いじゃ」
「この目で見た。イヤラシい痣が躯中にあった」
「ッ?!」
 驚きのあまり咄嗟に声が出せずに、ホークアイはロイを見つめる。信じられないとその鳶色の瞳に否定の色を浮かべるホークアイを嘲笑うように、ロイは言った。
「信じられないか?だが本当だ。アイツがいつまでもセントラルから帰ってこなかったのは、あわよくばそのままブラッドレイの元に残ろうと思ったからだろう。抱かれて身も心もブラッドレイに委ねたか、権力に(おもね)たか、いずれにせよハボックは自ら望んで男に脚を開いて栄誉を得たんだ」
「少尉がそんな……」
「ハボックは私を裏切った。赦す気はない。二度と私の前でハボックの名を口にするな。もし言えば例え君でも容赦しない」
「大佐」
 黒曜石の瞳に燃え上がる憤怒の焔の激しさにホークアイは息を飲む。
「この話はもう終わりだ。判ったら出ていってくれ」
 吐き捨てるように言って書類を手に取るロイを、ホークアイは顔を歪めて見つめた。
「そんなこと、私には信じられません」
 ホークアイがそう言ってもロイは顔を上げない。ホークアイは深いため息をつくとそれ以上はなにも言わずに執務室を出ていった。


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