セレスタの涙、オニキスの誓い  第二十四章


「まったく、大総統の気紛れも思いやられる」
 マドラスは受話器をおくとやれやれとボヤく。幾ら射撃大会でいい成績を収めたとはいえ結局のところハボックは一介の新兵に過ぎない。引き留める理由などこれっぽっちも浮かばず、マドラスはボリボリと頭を掻いた。
「側に置きたいなら一度返してからにしてくれ」
 射撃大会の担当としては大会の関係者にいつまでも留まられていては迷惑以外の何物でもない。マドラスはため息をつくと置いた電話に手を伸ばした。


 執務室から悲鳴混じりの泣き声が微かに聞こえて、エリゼは唇を噛み締める。嫉妬と憎悪にギラギラと目を輝かせて声が漏れ聞こえる執務室の扉を睨みつけた。
 これまでブラッドレイが司令部の中でもとびきりの美女を秘書官と称して側に置いていたのは見てきたし、恐らくはそういった事をさせているのだと思っていた。だから自分が選ばれた時は息が止まりそうなほど嬉しかったし、てブラッドレイとベッドを共にした時のあの喜びは一生忘れられないだろう。この国の頂点に立つ男に選ばれた己が誇らしく、誰よりも優れているのだと感じたものだ。これまでブラッドレイに選ばれながら結局捨てられた女たちとは違い、自分は永遠に彼の側にいるのだと信じて疑わなかったし、その自信があった。それなのに。
(どうして私が)
 何故自分が他の女たちと同じように捨てられなければならないのだ。しかも今自分の代わりに抱かれているのは二十歳そこそこの男なのだ。
(すぐ飽きると思ってたのに)
 新兵で射撃大会に参加し優秀な成績を収めたハボックに対する単なる興味で手を出したのだと思っていた。だからハボックをホテルに呼ぶよう命じられた時も、精々二回も抱けば飽きるだろうと思っていたのだ。だが、エリゼの予想に反してブラッドレイはハボックを側に置きその身を貪り続けている。
(どこがいいって言うのよ、ろくに奉仕も出来ないくせに)
 ブラッドレイに選ばれて、彼を悦ばせる為にあらゆる努力をしてきた。己の躯を磨きあげるのは勿論、ブラッドレイを飽きさせないようテクニックも日々新しいものを取り入れてきたのだ。
(悔しい、悔しいッ、あんな……ッ、あんな奴に……ッ!!)
 エリゼは鬼のような形相を浮かべ、手を握り締める。綺麗に整えマニキュアで彩られた長い爪が手のひらに傷を付けんばかりに食い込んだ時、机の上の電話が耳障りな音を立てた。
「────」
 エリゼは電話をじっと睨んでいたが握っていた手を開くと受話器を取る。口を開いた時には笑みさえ感じさせような柔らかい声が唇から零れた。
「はい、大総統執務室、エリゼ秘書官です」
 そう答えれば受話器の向こうの相手が名乗る。それがあの忌々しい射撃大会の担当者だと判ると、綺麗な眉間に皺を寄せた。
「…………ハボック少尉の、ですか?」
 だが、相手の用件がハボックの現在の処遇を尋ねるものだと判ると僅かに目を見開く。相手の話を聞きながら考えを巡らせたエリゼはゆっくりと口を開いた。
「それでしたら今夜サンセベーリアホテルにいらしてください。私が説明するよりご自身の目で確かめて頂くのが一番早いと思いますから」
 エリゼはそう言ってホテルのロビーにくるように言って電話を切った。
「見てなさい、思い知らせてやるわ」
 唇を笑みの形に歪めてエリゼは低く囁いた。


「エリゼ秘書官」
 そう呼ぶ声にエリゼはロビーに並べられた椅子から腰を上げる。早足で近づいてくる中佐の肩章をつけた男を見つめて笑みを浮かべた。
「マドラスです」
「お呼び立てしてすみません、でもこれが一番早いと思ったものですから」
 にっこりと笑って言う女性秘書官をマドラスは疑わしげに見つめる。
「私はただハボックの現在の処遇を尋ねたかっただけなんだが。その上で一刻も早くハボックをイーストシティに戻して頂くよう申し入れを────」
「でしたら尚の事直接見ていただくのが早いですわ」
 言いかけた言葉を遮るエリゼの無礼にあからさまに眉を顰めるマドラスに、エリゼはキーを差し出した。
「このキーで部屋に入ったら見つからないよう身を隠してそのまま静かに待っていてください。お望みのものがご覧いただけますわ。ただ、なにを見ても声を上げたりなさらないで、私がキーを渡した事も絶対に知られないようにして下さい」
 そんな事を言うエリゼをマドラスは驚いたように見つめる。それでもブラウンに約束した手前、マドラスは差し出されたキーを受け取った。
「用事が済んだらキーはフロントに返して下さって結構です。それでは私はこれで」
 エリゼはにこやかに笑って言うとマドラスに背を向けホテルから出ていってしまう。その背を見送ったブラウンは手にしたキーに視線を移した。
「スイートルームのキー……?」
 部屋の番号はホテルの最上階にあるスイートルームのものだ。マドラスはほんの少し迷ったものの番号の部屋に行くためにエレベーターへと歩いていった。


 車の後部座席に座ってぐったりとシートの背に身を預けていたハボックは、ガチャリと扉が開く音に顔を上げる。横を見ればシートに腰を下ろしたブラッドレイが運転手に車を出すように命じていた。真っ直ぐに前を見つめたままシートにゆったりと座る男をハボックはじっと見つめていたが、なにも言わずに視線を落とす。今夜もまたあの地獄のような時間が待っているのだと思うと、ブルリと躯を震わせた。ロイを守る為とはいえ男の言いなりに身を差し出すのは死ぬほど辛かった。それでも最初のうちは苦痛を耐えて時間が過ぎるのを待てばよかった。だが、何度も抱かれるうちハボックの躯は苦痛の中に快感を見いだすようになってしまった。望まないまま強引に男に躯を開かれ貫かれているにも関わらず、そこにあるのは苦痛ではなく快感だ。嫌で嫌で堪らない筈なのに、己の躯が快感に震え唇から嬌声が零れるのが意志に反して抱かれるという行為以上にハボックの心を傷つけていた。
(嫌なのに……こんなの……ッ)
 今も異物を埋め込まれた後孔からじわじわとした快感が沸き上がってくる。玩具を引き抜かれ男の怒張を突き入れられればきっと今夜も躯は快感に溺れ、唇からはイヤラシい声ばかりが零れるに違いない。
(大佐……オレ……)
 躯が小刻みに震える理由を必死に考えまいとしようとするハボックの心が、またポロポロと欠け落ちた。


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