セレスタの涙、オニキスの誓い  第十八章


「グラント少尉」
「あっ、マスタング大佐!」
 背後からかかった声に振り向いたグラントは、そこにいるのがロイだと気づいて慌ててピッと敬礼する。そんなグラントにロイは手を振って敬礼をやめさせると尋ねた。
「ハボックから連絡はあったか?何時頃こっちに着くって?」
 午前中めいっぱい会議に出ていたロイは、会議からの帰り道、ブラウン小隊の詰め所に足を向けていた。詰め所の少し手前で前を行くグラントに気づいて呼び止めて尋ねれば、グラントは困ったように首を傾げた。
「それがその……ハボックはまだセントラルにいるみたいです」
「なに?」
 その言葉にロイは目を吊り上げてグラントに詰め寄る。どういうことだと問いかける鋭い光をたたえた黒曜石に、襟首を掴まれたグラントはしどろもどろになりながら答えた。
「よ、よく判りませんっ!でも、もう暫くセントラルにいるからって連絡があったみたいでっ」
「何故だ?射撃大会はもう終わった筈だろう?どうしてハボックがいつまでも向こうに残る必要があるんだッ?」
「何故って言われても……」
 東方司令部のトップ、しかも焔の錬金術師の二つ名を持つロイに詰め寄られて、グラントはどうしていいか判らずオロオロする。すっかり怯えきった新兵にロイが尚も言おうとすれば、背後から声がかかった。
「マスタング大佐、うちのルーキーを苛めないでやってくれませんか?」
「────ブラウン中佐」
 その声に振り向けばブラウンが苦笑して立っている。ロイはグラントから手を離してブラウンに向き合うと尋ねた。
「ハボックが暫くセントラルに留まると連絡があったそうだがどう言うことだ?」
 ロイの鋭い眼光にも、ブラウンは怯むこともなく首を傾げて答えた。
「それが私にもよく判らんのです。ただ、ブラッドレイ大総統の秘書官の女性から、暫くの間大総統がハボックを預かると連絡があったので」
「大総統が?何故?」
「さあ、私にはなんとも」
 大総統が入賞者たちを集めて祝賀のパーティを開いたのは聞いている。だが、その後もその身が拘束されるとは全く予想もしていなかったことで、ロイは眉間に深い皺を寄せた。
「他の受賞者達も残っているのか?」
「私のところに連絡があったのはハボックだけです」
 暗にそれぞれの所属長に尋ねてくれと告げるブラウンの言葉に、ロイは不快げに顔を顰める。それでも一つ息を吐くと、ブラウンに他の受賞者の名前を尋ねた。そうすればあげられた何人かの名を頭に入れて、ロイは足早にその場を後にする。そのまま聞いたばかりの名前の主達のところへ向かおうとしたロイは、聞こえてきたホークアイの声にため息をついた。
「中尉」
「大佐、そろそろ出ませんと会食に間に合いません」
 そう告げてくる副官をロイは眉間に皺を刻んで見つめる。その苛々とした様子に、ホークアイは僅かに眉を寄せた。
「どうかなさいましたか?」
「ハボックだが、もう暫くセントラルに留まると連絡があったそうだ」
「えっ?」
「大総統のところにいるらしい」
「何故です?」
 当然の如くロイと同じ質問を口にするホークアイに、ロイは判らんと首を振る。
「今、他の受賞者もハボック同様向こうに引き留められている者がいるのか、確かめようとしていたところだ」
 ロイがそう言うのを聞いて、ホークアイは腕時計を確かめる。
「名前を教えてください。大佐が会食に行かれている間に確かめておきます」
「中尉」
「私が調べても大佐が調べても結果は変わりません。時間がありませんからもうお出かけになってください」
 そう言われてロイは口の中で悪態をつく。それでもホークアイが絶対に言を翻す事がないのは判っていて、ロイはため息をついて肩を竦めた。
「判った、頼んだよ、中尉」
「はい、大佐」
 ピッと敬礼を寄越すホークアイを軽く睨んで、ロイは会食の席に出かけるために廊下を歩いていった。


「……んっ」
 ハボックは零れそうになる声を唇を噛んで必死に飲み込む。広い執務室の中では、ブラッドレイが数人の士官から報告を受けていたが、すぐそこで交わされている筈の会話の内容はハボックの耳には全く入ってこなかった。
「……ッ、〜〜ッ、ッッ!!」
 ハボックには会話よりも己の下肢から聞こえるモーター音の方が余程大きく聞こえる。ブーンと低く響く音が、ブラッドレイの前に立つ男たちに聞こえているのではないかと、ハボックは気が気でなかった。
「────ック少尉、ハボック少尉!」
「ッ、イエッサー!」
 呼ぶ声がビリと空気を震わせるに至って漸く呼ばれている事に気づいたハボックが、ビクンと躯を震わせて直立の姿勢を取る。ふと見れば執務室にいる人間の視線が全て己に向いていた。
「これをエリゼ秘書官に渡してくれたまえ」
「アイ・サー」
 ハボックは渡された書類を受け取ろうと一歩踏み出す。その途端、躯を突き抜けた衝撃に身を強張らせた。
「どうしたね?」
「な、なんでも、ありません」
 ハボックは震える声で答えると書類を受け取り扉に向かう。そうすればブラッドレイが他の士官達に退室を命じる声がして、士官達はハボックの顔を伺うようにしながらハボックよりも先に部屋を出ていった。
「ぅ……」
 その後を追うように執務室を出たハボックは、なるべく躯に振動を与えないよう、そろそろと大部屋を横切る。部屋の一角に置かれた机で書き物をしている女性の前に書類を差し出した。
「大総統、閣下から、です」
 僅かに息を弾ませてそう言うハボックをエリゼ秘書官は冷たい目で見上げる。無言のまま書類を受け取ると、ハボックには見向きもせずに書き物に戻った。
「……っ、は……ァ」
 ハボックは俯いて書類を書く女性の頭を見下ろしていたが、やがて向きを変えるとゆっくりと歩き出す。執務室までのほんの短い距離がとてつもなく長く感じられ、一歩踏み出すごとに湿度の高い息が唇から零れるのをどうすることも出来なかった。
 やっとの思いで辿り着いた扉をノックして開けると、ハボックは後ろ手に執務室の扉を閉める。そのまま扉に寄りかかるようにしてズルズルと座り込めばブラッドレイの声が聞こえた。
「どうしたね、少尉」
 俯いていたハボックは、聞こえた声に顔を上げる。そうすればブラッドレイと目があって、ハボックは立ち上がれないままブラッドレイに躙り寄った。
「も……無理っス、サー……抜いて、抜いてくださいっ」
「まだ午前中も終わっていないぞ、いくら何でも早すぎるのではないか?」
「サー……ッ!」
 ハボックはブラッドレイの上着の裾を掴んで男を見上げる。ガクガクと震えながら縋りつくハボックに、ブラッドレイは眉を跳ね上げてフムと息を吐いた。
「それなら自分で脱ぎたまえ。下につけているもの全部だ」
「ッ!」
 冷たく告げられる言葉にハボックは目を見開く。それでもゆっくりと立ち上がると、ボトムに手をかけた。


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