セレスタの涙、オニキスの誓い  第百四十六章


 一度司令部に寄り何か連絡事項がないか確認すると、ハボックは改めて軍用車に乗り司令部を出る。通りを駅へと車を走らせながら、ハボックは徐々に緊張感が高まってくるのを感じていた。
(緊張するなってのはやっぱり無理かな……)
 士官学校を出て新兵として東方司令部へとやってきた。半年たてばロイの元で力をふるうことが出来ると信じて疑わなかった。射撃大会に出場することが決まってセントラルへと向かう列車の中、この先自分の身に何が起きるかなどどうして想像が出来ただろう。
 ハボックは車をイーストシティ駅前広場に乗り入れる。車から降りると改札を抜け駅の中へと入った。ホームに入ればブラッドレイが乗った列車の到着が近い事を知らせるように憲兵や駅職員が慌ただしく動き回っている。ハボックは憲兵に近づくと列車の到着時間を確かめた。
「三十分遅れか」
 ハボックは呟いて腕時計を見る。一つ息を吐くとゆっくりとホームを端まで歩いた。ホームの端に立ち長く伸びるレールを見つめる。そうしてハボックは吹き抜ける風が金髪を弄ぶのに任せながら列車の到着を待った。


「閣下、あと三十分でイーストシティに到着致します」
「判った」
 秘書官の女性がそう告げるのに頷いてブラッドレイは背もたれに体を預ける。シートの上に長々と足を伸ばして、テーブルの上のコーヒーのカップを手に取った。
「さて……どうしたものかな」
 幾多の苦難を乗り越えてハボックが初志を貫きロイの元に配属されたと聞いた。惹かれあう二人の間を散々に掻き回した権力者は、カップをあてた唇に楽しそうな笑みを浮かべた。
「もっと条件を付けた上で護衛の任務に就けてくるかと思ったが」
 イーストシティ滞在中、ハボックを護衛と諸々の世話をさせるために自分につけろと言う命令があっさり通ったことにブラッドレイはいささか拍子抜けして呟く。もっとも了承の回答はロイではなく直接ハボックから返ってきたようだったから、ハボックはともかくロイの気持ちは穏やかとは言えないのかもしれなかった。
「まあいい。いずれにせよ楽しませて貰う事は変わらん」
 ブラッドレイはコーヒーを啜りながら呟く。金髪に空色の瞳をした少尉の姿を思い描けば、唇に浮かべた笑みが深くなった。
「マスタングと関係を持つようになってどうなったか……私が教えてやった事が役に立っているといいものだが」
 そう呟けば快楽という苦痛に涙して身悶えるハボックの姿が脳裏に浮かぶ。何も知らない躯に男を受け入れることを覚え込まされて、その心とは裏腹に快楽に溺れるハボックの様は退屈に飽き飽きしたブラッドレイを大層悦ばせた。
「愛する男を受け入れる事を覚えた躯はどう変わったのやら……君のその美しい空色が涙に煙る様子を見るのが楽しみだよ、ハボック少尉」
 快楽を悦びとして受け入れることを覚えたハボックを抱くのは、これまでとはまた違う楽しみを感じさせてくれるだろう。
「愉しみだよ、少尉。私の退屈を紛らわせてくれ」
 退屈な日々を繰り返すのはもううんざりだ。ブラッドレイは(きた)るハボックとの再会に期待を膨らませて、楽しげにクツクツと笑った。


「────来た」
 微かにレールが振動するのを感じてハボックは小さく呟く。じっと見つめていれば長く伸びたレールの上にこちらに向かって走ってくる列車の姿が浮かび上がった。徐々に大きくなる列車をハボックは食い入るように見つめる。気がつけば爪が刺さるほど手を握り締めていて、ハボックは震える息を吐き出して握り締めた手をゆっくりと開いた。
「しっかりしろ、ジャン」
 今度こそ本当にロイの部下として働くために。忌まわしい過去と決着をつけるために。ハボックはそっと目を閉じ大きく息を吸い込む。
「たいさ……」
 瞼の裏に浮かぶロイにそっと呼びかけてパッと目を開いた。そうすればもうすぐそこまで迫った列車の姿が目に飛び込んでくる。
「ブラッドレイ大総統……」
 低く囁くハボックの金髪を掻き乱して、ブラッドレイを乗せた列車がホームに滑り込んで来た。


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