セレスタの涙、オニキスの誓い  第百四十二章


「ハボック」
 きっぱりと言い切るハボックの顔をロイは目を見開いて見つめる。そんなロイにハボックは苦笑して見せた。
「まあ、オレが禄でもない間違いばっかりしてたから、大佐が不安になるのも無理ないっスけど」
 その時は、これがなによりロイのために一番の方法だと信じて決めてきた。そしてその度誰より守りたい人を傷つけてばかりいた。例え自分が傷ついてもロイを守りさえ出来ればいいと、そんな考えがどれほど独り善がりかと言うことに気づいたのは、何度も何度もロイを傷つけ苦しめた後だった。だからこそ。
「大佐、オレ、ちゃんと大佐と一緒に前に進んでいきたいっス。大佐と一緒に未来を築いていきたいっス。だから今度は絶対間違えません」
 そう言って笑うハボックの顔を食い入るように見つめたまま何も言わないロイに代わって、ホークアイが口を開いた。
「そうね、今の少尉ならきっと大丈夫だわ」
「ありがとうございます、中尉」
 そう言うホークアイを見てハボックが言う。見つめてくる鳶色に頷くと、ロイを見て言った。
「甘やかし過ぎないで、もっとビシビシ鍛えて欲しいって言ったっしょ」
 それでもロイは答えない。クルリと背を向けると、何も言わずに執務室に入ってしまった。
「やっぱ今まで間違ってばっかいたから信用ないんスかね」
「貴方が大切だから不安なのよ。信用していない訳じゃないわ」
 苦く笑うハボックにホークアイが言う。閉じられた執務室の扉をじっと見つめたままハボックは言った。
「セントラルに連絡して貰えるっスか?“了解しました”って。詳しい日程、決まったら教えて下さい」
「判ったわ」
 答えてホークアイはセントラルに連絡を入れるため受話器を取る。そんな二人のやり取りと見つめていたブレダが、口を開いた。
「本当にいいのか?大佐だって反対してんのに」
「ブレダ」
 不安げなブレダの顔を見てハボックが言う。
「平気。今度こそオレは大佐の護衛官としての一歩を踏み出すんだ。だから心配しないで────って、散々心配かけといて言える台詞じゃないか」
「ハボック」
 あはは、と笑って頭を掻くハボックを見てブレダはギュッと拳を握り締め、その手を伸ばしてハボックの金髪をワシャワシャと掻き混ぜた。
「判った、もう心配しねぇ。そんなデカイ図体の奴、もう心配するような年でもないしな」
「わわ……ひでぇ、ブレダ!」
 金髪をクシャクシャにされて騒ぐハボックと笑うブレダと、そんな二人のやり取りを見てホークアイは優しい笑みを浮かべた。


 パタンと閉じた執務室の扉にロイは背中を預ける。少しすればなにやらじゃれあうように笑うブレダとハボックの声が聞こえて、ロイは深いため息をついた。
 ハボックの言わんとしていることは判っている。信じて行かせてやらなければいけない場面だと言うことも。だが、判っていてもこれまでの辛い経験がロイを臆病にさせていた。
「くそ……ッ、いっそ燃やしてやりたい」
 ブラッドレイと言う存在を己の焔で焼き尽くすことが出来たなら、どれほど心穏やかになれることだろう。だが、そうするには今の自分には力が足りないこともはっきりと判っていた。今はただ、ハボックの事を信じて力を蓄えるしかないのだ。
「ブラッドレイ……ッ」
 いつかいつかきっとこの手で決着をつけてやる。ロイは扉越し聞こえてくるハボックの声を聞きながら、心に堅く誓った。


 沈殿する澱のように心の奥底に不安を抱えながら、日々の業務をこなしていく。机に置かれたカレンダーの日付がいよいよ明日、ブラッドレイがイーストシティにやってくることを告げているのを見て、ロイはグッと唇を噛んだ。その時、コンコンと扉をノックする音がする。答えて開いた扉から顔を覗かせたハボックがにっこりと笑って言った。
「もうそろそろ終わりっスか?車回していい?」
「────ああ、そうだな。もうそんな時間か」
 カレンダーから視線をハボックの顔に移して、ロイは無理矢理に笑みを作る。ロイが机の上の書類を片づけ始めるのを見て、ハボックは車の用意をするために行ってしまった。ロイは抽斗を閉じると立ち上がりコートを手に取る。執務室を出たロイは終業の挨拶を寄越してくる部下達に軽く頷いて答えると、ハボックを追うように歩きだした。司令部の入口を出れば丁度ハボックが車を玄関前につける。ハボックが降りてくるのを待たず、ロイはステップを駆け下り自分でドアを開けて車に乗り込んだ。
「すんません、大佐」
「構わんよ」
 ロイは答えてシートに体を預ける。ゆっくりと走り出した車の窓からロイは暮れゆく街の通りをじっと見つめた。そのまま互いに口を開かないまま、車はやがてロイの自宅へと到着する。さっきとは逆にシートに座ったまま待っていると、運転席から降りたハボックが外からドアを開けた。
「どうぞ、大佐」
「ああ、ありがとう」
 ロイは礼を言って自分のために開けられたドアから外へと出る。頭半分高いハボックを見つめれば、ハボックがにっこりと笑った。
「お疲れさまでした。オレは明日から大総統の護衛につくっスから暫く面倒見られないっスけど、ちゃんとサボらず仕事して下さいね」
 そんな風に言ってハボックは「おやすみなさい」とロイが家の中に入るように促す。ロイは黙ったままハボックの顔をじっと見つめていたが、不意にハボックの手首を掴んだ。
「大佐?」
「寄っていけ────頼む」
 ハボックを見ずにそう言うロイの横顔をハボックは目を見開いて見つめる。それからフッと笑みを浮かべて言った。
「車、裏に置いてきます。一晩ここに停めておく訳にいかないっしょ」
 そう言えば振り向いたロイが見つめてくるのにハボックが頷くと、痛いほどに手首を握り締めていたロイの手が弛む。
「先に行ってて下さい」
「────ああ、判った」
 漸くホッとしたように頷いたロイが家の中に消えるのを見送って、ハボックは運転席に乗り込むと車を裏の駐車場へと進めた。


→ 第百四十三章
第百四十一章 ←