セレスタの涙、オニキスの誓い  第百四十章


「ほう、そうか。ついに念願叶ったというわけか」
 手にした報告書に目を通して男は言う。ドサリと大振りな椅子に背を預けて窓の外に広がる空を見上げた。
「大した意志の強さだ。普通あそこまで痛めつけたら壊れてしまうものだがな」
 少なくともこれまで玩具にしてきた人間はそうだった。男は隻眼を報告書に戻し、それにつけられた写真を見る。
「折角だ。一度祝いの席を設けてやるのもよかろう。懐かしい話も出来るだろうしな」
 楽しげに笑ってブラッドレイは写真の中から見つめてくる空色にそっと触れた。


「大佐、サインお願いします」
 執務机で書類に目を通していたロイは、聞こえた声に顔を上げる。ハボックが差し出す書類を受け取りぱらぱらとめくってサインをすると、書類を返しながら言った。
「どうだ?仕事にはもう慣れたか?」
「はい。ブレダも中尉もよくしてくれるから、仕事もやりやすいっス。でも」
 にっこり笑って答えたハボックが、ほんの少し眉を寄せる。
「ちょっと甘やかし過ぎかも」
 そんな風に言うのを聞いて、ロイはプッと吹き出した。
「笑い事じゃねぇっス。そりゃオレは新人っスけど、だからこそビシビシ鍛えて貰わねぇと」
 クスクスと笑うロイにハボックが唇を突き出して言う。そんなハボックにロイは笑って言った。
「まあいいじゃないか。みんな期待してるのさ」
「そういうもんっスか?」
 ロイの言葉にハボックが首を傾げる。書類を受け取り出ていこうとするハボックを呼び止めてロイは言った。
「三十分ほどしたら視察に行く。車を頼むよ、ハボック」
「イエッサー!」
 ニコッと笑って答えたハボックが扉の向こうに消える。こんな風に穏やかにやり取りが出来るようになる日が来たことを、ロイは漸く実感して笑みを浮かべた。
「さあ、さっさと済まさないとだな」
 嵐の中の小舟のように心乱される日がもう二度と来ることがないように。ロイはそっと願いながらペンを取り書類に向かった。


「すまん、待たせたな」
「いいえ」
 ロイは足早にステップを降りながら声をかける。車の側に立って待っていたハボックが開けた扉からロイは車に乗り込んだ。
「今日はどうするっスか?」
「そうだな……Bにするか」
「了解っス」
 幾つかある視察コースの中の一つを指示すれば、ハボックが答えてハンドルを切る。ロイは車の窓から外を見遣りながら言った。
「次のお前の休みはいつだ?」
「えっと……来週っスね」
「そうか。それなら私もその日に休みをとるかな」
 ロイが言うのを聞いて、ハボックがミラー越しロイを見る。
「平気なんスか?」
「特に急ぎの案件も事件もないし、大丈夫だろう」
「そっスか」
 その言葉にハボックが嬉しそうに笑った。
「家に来るか?」
「いいんスか?」
「旨いメシを作ってくれるならな」
「大佐の好物作りますよ」
 ハボックは答えてハンドルを切る。ふふ、と小さく笑い声を上げるのを聞いて、ロイがクスリと笑った。
「嬉しそうだな」
「そりゃあね」
 ロイの言葉にハボックが素直に答える。
「嬉しいっス。大佐の背中護れるのも大佐の好物作れるのも、大佐のために出来るなら全部嬉しい」
 そう言ってハボックが笑うのを見ればロイの唇にも自然と笑みが浮かんだ。
「そうか。だったらもっともっとこき使ってやらんとな」
「いいっスよ。幾らでもどんな事でもやるっスから。じゃんじゃんこき使って下さい」
「いいのか?そんな事言って。大丈夫か?」
「ぜーんぜん平気っス!どんと来いっスよ」
 そう言って笑うハボックにロイも楽しそうに笑った。


「中尉、セントラルから電話なんですけど」
「セントラル?どこから?」
 電話のベルに受話器を取ったブレダの不安げな声に、司令室から出ようとしていたホークアイが振り向いて答える。尋ねるように見つめれば、ブレダは一呼吸おいて答えた。
「大総統の秘書官から、です」
 思いがけない名を聞いて、ホークアイが鳶色の瞳を見開く。無言のまま手にしていたファイルを机に置くと、ブレダに代わって電話に出た。
「ホークアイ中尉です。ご用件を伺います」
 電話の相手にそう言うホークアイをブレダは心配そうに見る。何度か頷きながらメモを取ったホークアイが受話器を置くのを見て、ブレダが尋ねた。
「何の用でした?」
 心配そうに尋ねる声にホークアイはブレダを見る。
「中尉?」
 だが、すぐには口を開かず見つめてくる鳶色に俄に不安をかき立てられたブレダが呼べば、ホークアイはゆっくりと口を開いた。
「ブラッドレイ大総統が来週こちらに来るそうよ」
「……え?」
 至極平坦に返る答えに、ブレダの目が大きく見開かれた。


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