セレスタの涙、オニキスの誓い  第百三十八章


「おはよう、リンチ」
 ロッカーから取り出した服に着替えていたリンチは、背後からかかった声にシャツから突き出した顔を捻って振り向く。そうすればにこやかな笑みを浮かべるハボックが近づいてきて、隣のロッカーの扉を開いた。
「────おはよう」
 その横顔を思わずじっと見つめてしまってからリンチは気がついたように答える。目を離せないまま見つめ続けていれば、流石に視線を感じたハボックがリンチを見た。
「なに?オレの顔になんかついてる?」
 見つめられる意味が判らず小首を傾げてハボックは尋ねる。そうすれば漸く自分が見つめていることに気づいたリンチが、ハッとして目を瞬かせた。
「ああ、いや……」
「なに?」
 聞かれてリンチはボリボリと頬を掻く。どうして自分がハボックから目が離せなかったのか、少し考えてから答えた。
「なんかお前、雰囲気変わったな」
「え?そう?」
「ああ。なんか────そうだな、何だか吹っ切れた感じだ」
 吹っ切れて清々しい顔をしている。そう感じたままを口にすればハボックが目を見開く。それから嬉しそうに笑った。
「そうかな」
「そうだよ。なんかいい事あったのか?」
「そうだね」
 尋ねれば一層にこやかに笑うハボックにリンチは目を瞠る。少し前までの思い詰めたような表情が消えて、晴れやかな笑顔を見せるハボックに、リンチはドキリとしながら言った。
「そうか、ならよかったな」
「うん」
 着替えを済ませてハボックはバンッとロッカーの扉を閉める。
「行こうか。訓練に遅刻したらヤバイ」
「ああ」
 歩き出すハボックに頷いてリンチもロッカーを閉めた。そうしてハボックの後を追ったリンチは幾つもの視線がハボックを見ていることに気づいた。
「なあ、ハボック」
「なに?」
 思わず呼び止めればハボックが振り向く。その顔が今までにない落ち着きを浮かべているのを見て、リンチは言いかけた言葉を飲み込んで、別の言葉を口にした。
「配属先の希望、なんて出すんだ?」
「ん?司令室。マスタング大佐のところ」
 ロッカールームの扉を開きながらハボックが言う。
「もうずっとマスタング大佐のところで働きたかった。やっと願いが叶うんだ」
 そう言って振り向いたハボックの顔に浮かぶ表情に、リンチは一瞬言葉を失った。
「リンチは?どこを希望するんだ?」
「え?ああ、俺か?そうだな……南にでも行くかな」
「こっちには残らないの?寂しくなるな」
「すぐ俺の武勇が聞こえてくるからさ、寂しくもないさ」
「はは、そっか。お互い頑張ろうな」
 そう言って笑うハボックの晴れやかな顔に、リンチもニッと笑って見せた。


 各々がそれぞれの進むべき道を歩み始める季節がやってくる。ブラウンはもうすっかりと逞しい兵士の顔になった部下達をゆっくりと見回した。
「今日を持って訓練期間も終了だ。これからは配属された場所でそれぞれにその実力を発揮して欲しい。貴官らならきっとこれまでに学んだ事を生かして存分な働きをしてくれるものと信じている」
 ブラウンは言って自分が育てた部下達一人一人の顔を見る。
「武運を祈る。アメストリス国軍の一員として恥じない働きを期待している」
 そう言うブラウンに。
「「イエッサー!」」
 居並ぶ兵士達が一斉に踵を打ち鳴らして敬礼した。


「ハボック」
「ブラウン中佐」
 ブラウンの声にハボックが振り向く。ピッと背筋を伸ばして立つハボックに近づいたブラウンは、その長身を頭から足下まで見遣って言った。
「明日からはマスタング大佐のところか」
「はい、中佐」
 笑みを浮かべて答えるハボックにブラウンも笑みを浮かべる。ポンとその肩を叩いてブラウンは言った。
「よくここまで頑張ったな、ハボック」
 彼の身に降り懸かった事を思い返せば、よくここまでと思わざるを得ない。感極まったように顔を顰めるブラウンにハボックは言った。
「ここまで来られたのも中佐のおかげです。本当にありがとうございました」
 ハボックは言って深々と頭を下げる。ブラウンは首を振って答えた。
「私は大したことはしとらんよ。これからはマスタング大佐のために尽力を尽くしてくれ。もしなにかあったらいつでも相談に来い」
「はい、ありがとうございます、サー」
 ブラウンの言葉にハボックは笑みを浮かべる。サッと敬礼してブラウンを見つめた。
「ジャン・ハボック少尉、これからは(おの)が信じるものの為に精一杯力を尽くします」
 きっぱりとそう告げたハボックは、長い道のりを越えて漸く最初に行くと決めたロイの元へと一歩を踏み出した。


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