| セレスタの涙、オニキスの誓い 第百二十九章 |
| そうして日が過ぎていき、ハボックはいつもと同じように訓練に挑む。ブラッドレイによって刻まれた傷も表面的には癒えて、訓練も問題なくこなせるようになっていた。 「ハッ!」 ダンッと組み合った相手を床に叩きつけ、ハボックは手刀を相手の喉に突きつける。「参った」と手を上げてみせる相手から体を離し、ハボックはホッと息を吐いた。相手の腕を取り立ち上がるのに手を貸したハボックは、次の組と入れ替わりに壁際へと下がる。トンと壁に体を預けて大きく息を吐いて、ハボックは目を閉じた。 ブラッドレイとの一件後、直ぐに出張に出たロイとは話が出来ないままに時間だけが過ぎていた。このままロイと会わずに訓練だけを続けていけば、ただロイの背中を護る事だけを信じて疑わなかった士官学校の頃のようにいられるだろうか。ふと、そんな事を思ってハボックは苦く笑う。何も疑わずロイの背中だけを追い続けていたあの頃の自分とは大きく変わってしまった。このままロイと会わずにいてもあの頃の自分には戻れない。戻れないなら変わるしかないと判っていてもその一歩を踏み出すことが出来るのか今のハボックには判らず、叶う事ならただ頓に訓練を続けるだけの日々が続けばいいと思わずにはいられないハボックだった。 会食の後の会議を終えると、ロイは足早に司令部を出る。車を、とホークアイが言っていたが一人になる時間が欲しくて、ロイは車には乗らずにイーストシティの街を歩いていった。 夏が過ぎ吹く風が涼しさと共に秋を運んでくる。高い空を見上げればハボックの瞳を映す色にロイの胸に苦しい程の想いが沸き上がってくる。ロイは足を止めると頭上に広がる空をじっと見つめた。 射撃大会に出場するハボックをセントラルに送り出してから一体どれだけの時間が流れたのだろう。ハボックが好成績を納めたと聞いた時の誇らしさ。そのハボックがブラッドレイに身を任せたと知り、怒りと嫉妬に何も見えなくなった。裏切られたとただただハボックを責めて、ハボックが心の内に抱えた苦悩に気づきもしなかった。そうしてハボックを追いつめて一度はなくしかけて、やっとのことで本当に自分が望む物に気づいたのだ。もう二度と迷わない。絶対にハボックの手を離すまい。自分が先に進むため傍らにハボックがいなくてはならないのだから。 ロイはゆっくりとひとつ瞬くと求める相手をその腕に抱き締める為に、立ち止まることなく歩いていった。 一日の訓練を終えてハボックはロッカーの扉を閉める。小さくため息をついたハボックがロッカールームから出ようとすれば、近くにいた新兵の一人が声をかけてきた。 「なあ、ハボック。訓練期間が終わったら赴任地はセントラルを希望するんだろう?」 「えっ?」 「大総統に目をかけて貰ってるんだもんな、迷うことないよなぁ。俺なんてこの先どうしようって感じだよ」 羨ましいぜ、と大袈裟にため息をついてみせる相手にハボックは笑みを浮かべる。目をかけて貰っているというのがどういう意味か知っても、かれはまだ羨ましいと言うのだろうか。 「迷うくらいの方がいいかもしれないよ」 「なに言ってんだよ。そんなの将来が決まってっから言えるんだって」 どうするよ、俺、と喚きながらシャワーを浴びに向かう背をハボックは笑みを浮かべて見送る。その背が視界から消えれば唇からは笑みが消えて、ハボックはロッカールームを出た。 ポケットに手を突っ込んで俯き加減に通りを歩いていく。さっきの新兵の言葉がもうこの先の道を決めなければいけない時期に来ていることを否応なしに知らせて、ハボックは唇を噛んだ。 『馬鹿でもなんでも護るって決めたんだろう?だったら迷うな。大丈夫、お前がちゃんと顔を上げていたらきっと最後は上手くいく』 ふと、あの夜にリンチが言った言葉が頭に蘇る。リンチの言っている言葉の意味は痛いほどに判ってはいたし自分が望む物はそれしかないと判っていても、実際にそう出来るのかハボックには顔を上げていられる勇気がなくて、視線は地面を歩く己の足下を見続けるばかりだった。 そうして視線を上げることなく歩き続けて、ハボックはアパートにたどり着く。知らずため息を零して漸く視線を上げたハボックは、アパートの階段の前に立つ人影を見つけて足を止めた。 「ハボック」 真っ直ぐに見つめてくる黒曜石にハボックは目を見開いて立ち尽くした。 |
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