セレスタの涙、オニキスの誓い  第百二十七章


「ハボック」
 ポロポロと涙を零すハボックにかける言葉を見つけられずリンチはハボックを見つめる。見つけられないままに無言でリンチは金髪に手を伸ばすとハボックを引き寄せた。左手で金色の頭を左肩に抱え込むようにしてハボックを抱き締め右手で背をさすってやる。時折震える躯を黙ったまま抱き締めてやれば、やがてハボックはリンチの胸を押し返すようにして顔を上げた。
「ごめん」
「いや────大丈夫か?……って、大丈夫なわけねぇな」
 自分で尋ねておきながらそう言って顔を顰めるリンチに、ハボックがクスリと笑う。ハボックはシャツの袖で涙を拭って言った。
「服、ありがとう。明日返すから」
「そんな急がねぇよ、いつでもいい」
 礼の言葉にリンチはぶっきらぼうに答える。少し躊躇って、だがはっきりと言った。
「例え誰だろうと赦される事と赦されない事がある。お前のそれは赦されない事だ」
「うん……、そうだね」
 そう答えるハボックにリンチは「クソッ」と吐き捨てる。赦されない事なのは互いに承知だ。承知の上で訴えることすら出来ないのも。
「泣き寝入りかよ」
「今はね。でもいつかきっとあの人が変える」
 きっぱりと言い切るハボックをリンチは驚いたように見る。傷つきながらもそれでも必死に顔を上げるハボックを見つめて、リンチは言った。
「そうだな、お前が護るならきっと変えられるだろうな」
 そんな風に言われてハボックが目を見開く。リンチはハボックを真っ直ぐに見つめて言った。
「馬鹿でもなんでも護るって決めたんだろう?だったら迷うな。傷つけちまったと思うなら尚更だ。大丈夫、お前がちゃんと顔を上げていたらきっと最後は上手くいく」
「リンチ」
 言ってニッと笑うリンチを見つめたハボックの顔がクシャリと歪む。涙を滲ませて俯くハボックの目尻を太い指で拭って、リンチは言った。
「手当てした方がいい」
「────平気。自分で出来るよ」
 ハボックはそう答えて顔を上げる。見つめてくるリンチに笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
「おう」
 リンチは答えて手のひらでハボックの額を押す。
「気をつけてな────また明日」
「うん。おやすみ、リンチ」
 ハボックは微かに頷いて歩き出す。闇の中に消えていく背を見送って、リンチはそっとため息をついた。


 リンチと別れてハボックはアパートへと歩いていく。とても今の状態でロイの家に戻る気にはなれなかった。躯の奥底に残る違和感から必死に意識を逸らして歩いていたハボックは、不意に吹き抜けた風に俯けていた顔を上げた。
「────たいさ」
 足を止め夜空に煌めく星を見上げれば、逃げるように置き去りにしてきてしまった相手の顔が浮かぶ。
『ハボック』
 後悔と怒気を滲ませたロイの声。思い出せば胸が痛くて苦しくて、ハボックはキュッと唇を掻み締めた。
「護りたいんだ。望むのはそれだけだから」
 迷わずにそう望み続けていれば叶うだろうか。ハボックは見上げた空から視線を落とすと歩き出す。以前住んでいてそのままになっていたアパートに戻ってくると錆の浮かぶ階段をゆっくりと上がった。部屋の扉の側に置かれた鉢の下から鍵を取り出したハボックは、中に入ると借りてきた服を脱ぐ。全部まとめて洗濯機に放り込んでスイッチを入れると、浴室に入った。
「……ッ」
 手首にくっきりと残る痕をもう一方の手で握り締める。温く出したシャワーの滴が肌に当たれば、ゾワリと肌がそそけ立ってハボックは唇を掻み締めた。
「……う……ふァ」
 首を振ってハボックはシャワーの温度を下げる。冷たい水は肌を刺すようで、ハボックはホッと息を吐き出した。ザアザアと降り注ぐ滴を暫く浴びてから泡立てたスポンジでゴシゴシと躯を洗った。髪を洗い泡を全て流して浴室を出ると、タオルで濡れた躯の滴を押さえるように拭き取る。下着だけを身につけ真っ直ぐ寝室に向かうと倒れるようにベッドに身を投げ出した。
「…………ごめんなさい」
 瞼に浮かぶ面影に向かってハボックは呟く。リンチが言うように迷わずにしっかりと顔を上げていれば護っていけるだろうか。ロイがこの国を変えていく為に力を振るえるだろうか────ふるっていいだろうか。
「たいさ……たいさ」
 ハボックはベッドの上で小さく丸めた己の躯を抱き締めて、ロイの事を呼び続けた。


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