セレスタの涙、オニキスの誓い  第百十八章


「今夜の予定はキャンセルしておいてくれ。それからハボック少尉が私を訪ねてくる事になっている。彼を部屋に通したら明日の朝まで誰も通すな」
 車の用意が出来たと告げに来た秘書官の女性にそう言って立ち上がったブラッドレイは部屋を出る。ブラッドレイの後に慌ててついて歩きながら秘書官が言った。
「ですが、閣下。本日の会食はイーストシティ市議会の議長で────」
「聞こえなかったのかね?今夜の予定はキャンセルだと言ったのだが」
「────失礼いたしました、閣下……」
 ジロリと隻眼に睨まれて、秘書官の女性が身を強張らせる。それにフンと鼻を鳴らして、ブラッドレイは丁度辿り着いた司令部の玄関を潜り用意された車に乗り込んだ。
「ホテルへ」
「はい、サー」
 行き先が変わった事にハンドルを握っていた警備兵は僅かに目を見開いたものの、聞き返すことなく頷く。会食場所のレストランに向かう筈だった車を今夜の宿であるイーストシティでは由緒あるホテルへ向ければ、車は程なくしてホテルの入口へとついた。
「どうぞ、サー」
「ご苦労だった」
 警備兵が開けたドアからブラッドレイは降りる。助手席から降りた秘書官を従えホテルに入ればすぐさま支配人が飛び出してきた。
「大総統閣下、お待ち申しておりました。ご案内致します」
 深々と頭を下げて言う支配人にブラッドレイは鷹揚に頷く。支配人に案内されて最上階にあるスイートルームに入ると、ブラッドレイは言った。
「これから客が来ることになっている。快気祝いなのでな、盛大にもてなしたい」
「すぐ食事の準備をいたします」
「うむ」
 ブラッドレイが求めるものをすぐさま理解して支配人は軽く頭を下げて部屋を出ていく。他に用事はと尋ねる秘書官にないと退室を身振りで示せば、ブラッドレイは部屋に一人残された。
「ふふ……懐かしい光景だ」
 射撃大会で新兵として素晴らしい成績を収めたハボックを祝賀の席だと言ってホテルに呼び出し、ロイを盾にその身を要求したことを思い出してブラッドレイは笑みを浮かべる。ロイに恋心を抱くハボックをそのロイの身の安全と引き替えに犯すのは愉しかった。ロイを想いながらロイを護るためにと必死にブラッドレイの要求に応えようとするハボックの、苦悶に歪む顔を見下ろしながらその身を穢したことを思い出せばゾクゾクとした昏い悦びが蘇る。男を知らないハボックに男に犯される悦びを骨の髄まで覚え込ませた暴虐なな権力者は、クツクツと笑って窓辺に歩み寄った。
「久しぶりだ、たっぷり楽しませてくれ、ハボック少尉」
 綺麗な空色の瞳を再び快楽と言う名の苦痛に濡らす事を思い描いて、ブラッドレイは愉しそうに囁いた。


「ここか」
 イーストシティでブラッドレイが定宿にしているホテルを見上げてハボックは呟く。ホテルのフロントで訪ねる相手と己の名を告げれば、すぐさま秘書官の女性が姿を現した。
「どうぞ。大総統閣下がお待ちです」
 女性はそう言って先に立って歩き出す。見事なプロポーションを誇る女性の後について乗ったエレベーターが上がるにつれ、ハボックは息苦しさを覚えてギュッと手を握り締めた。
(しっかりしろ、逃げることなんて出来ない。これをクリアしなきゃこれから先大佐を護っていくなんて出来はしないんだから)
 必死に自分に言い聞かせる間にもエレベーターは上昇を続け、やがてチンという軽い音を立てて最上階に停まる。開いた扉からエレベーターを降りたハボックに、秘書官の女性は目の前の扉を指し示した。
「どうぞお入り下さい────よい夜をお過ごしになって」
 低くしゃがれた声で付け足された言葉に女性を見たハボックは、美しい顔が嫉妬と憎悪に歪んでいる事に気づく。美しい故により一層醜く見える女性を哀れむように見つめれば、女性はプイと顔を背けてエレベーターに乗っていってしまった。おそらく今夜はもうこのエレベーターが動くことはないのだろう。
「大佐、オレ……」
 ハボックは脳裏に浮かんだ面影に言いかけた言葉を飲み込むと、キュッと唇を噛み締める。そっと閉じた目を次に開いた時にはその顔から表情が消え、ハボックは目の前の扉を軽くノックした。


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