セレスタの涙、オニキスの誓い  第百十七章


「なにを、言っているんだ、お前は」
 たった今告げられた言葉が信じられないようにロイは呻く。次の瞬間ハボックの胸倉を掴んでグイと引き寄せロイは言った。
「自分が何を言っているのか、判っているのかッ、ハボック!」
「勿論っス」
 苛烈な光をたたえて睨んでくる黒曜石を真っ向から受け止めてハボックは答える。
「大総統の誘いを受けます。今夜ホテルに行ってくるっス」
「ハボックッ!」
 同じ事を繰り返すハボックにロイはカッとなって掴んだ胸倉をグッと捻り上げた。軍服の布地が締まってハボックが苦しげに顔を歪めるのに構わずロイは言う。
「アイツの目的がなにか、判らないわけではないだろうッ?アイツはまたお前を辱めるつもりで……ッ」
 自ら口にした言葉にロイはゾッと体を震わせた。この想像に間違いはないだろう。ハボックがホテルを訪ねたならブラッドレイはきっとハボックに体を要求してくるに違いなかった。
「別にそれでも構わないっス」
「な……ッ?」
 ハボックが口にした言葉にロイは目を見開く。信じられないと大きく見開く黒曜石を見つめて、ハボックは言った。
「大総統に限らずこの先オレに体を要求してくる奴がいたとして、それがアンタの有利になるならオレは構わず体を差し出します。場合によっては寝首を掻いてやってもいい。オレの体は────道具っスから」
「ッッ!!」
 そう言った瞬間、ハボックの頬が乾いた音を立てる。思い切り頬を叩かれた反動で顔を背けたままのハボックを睨んで、ロイは呻くように言った。
「本気で言ってるのか?ハボック」
「大佐」
「お前は道具なんかじゃないッ!!」
 ロイは大声で怒鳴ってハボックを抱き締める。折れんばかりにハボックの体を抱き締めてロイは言った。
「道具なんかじゃないッ、私はお前を一人の人間として側にいて力を貸して欲しい、支えて欲しいと思っている。判っているのか、ハボック────私はお前を愛してるんだぞ!」
 叫ぶように言うと同時にロイは噛みつくようにハボックに口づける。深く唇をあわせきつく舌を絡めてロイはハボックの唇を貪った。
「──大佐」
「行くんじゃない、ハボック。絶対に行っては駄目だ」
 激しい口づけを交わしてロイが言う。ハボックに対する強い想いとブラッドレイへの激しい憎悪を宿して見つめてくる黒曜石をじっと見返していたハボックは、ふわりと笑みを浮かべた。
「大佐、ありがとうございます。たとえ求められなくてもオレは大佐を護って少しでも力になりたいって思ってるっスけど、そう言って貰えてすっげぇ嬉しい。────ねぇ、大佐。オレはオレの全部捧げてアンタの役に立ちたい。あんな事があってもう二度とアンタの側にはいられないと思ったオレの、これはたったひとつの願いなんス。だから────オレの邪魔、しないで下さい」
「ハボック、お前……」
「もう一つ、クリアしなきゃ。でないとオレ、この願いを叶えられない。だから」
 切なく笑うハボックの顔からスッと笑みが消えた次の瞬間、ハボックの重いパンチがロイの腹にめり込み。
「ハボ────」
 信じられないと目を見開いてグラリと前に傾いだロイの首筋にハボックの手刀が叩き込まれる。ハボックに向かって伸ばしたロイの手が宙を掴みロイはドウと床に倒れ込んだ。
「ごめんなさい、大佐」
 切ない響きを乗せた声を聞いたのを最後にロイの意識は闇に飲まれていった。


 気を失って床に横たわるロイにハボックは手を伸ばす。艶やかな黒髪に触れる寸前、一瞬躊躇うように引っ込めた手をもう一度伸ばして、ハボックはロイの髪に触れた。
「大佐……」
 呼べばロイへの想いが溢れてきて、ハボックはギュッと唇を噛み締める。自分は道具だと言い切ったものの正直そんな風に割り切れるとは自分でも思ってはいなかった。だが、ロイの気持ちを受け入れるには自分は汚れきっているとハボックは思う。セントラルで、アエルゴで、そしてこのイーストシティで、身の内奥深くに刻まれた傷はロイの想いを受け入れるにはあまりに醜かった。
「オレは大佐の気持ち受け入れるにはあまりに汚いもの。だから」
 せめてロイの役に立てたら。そのためにも今夜のブラッドレイの誘いを避けて通る訳にはいかなかった。
「大佐……オレは」
 ロイの側にひざまずきハボックはロイの目元にそっと口づける。そうして立ち上がると、ハボックはブラッドレイの元へ向かうために執務室を出ていった。


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