| セレスタの涙、オニキスの誓い 第百十六章 |
| ブラッドレイに促されたハボックが廊下に出ていく。パタンと音を立てて閉まった扉が視線を遮って、ロイは慌てて二人の後を追って闘技場の外に出た。 「ハボック」 「……大佐」 呼べば廊下に立ち尽くしていたハボックが振り向く。その顔色が明らかに悪い事が見て取れて、咄嗟にハボックの腕を掴んだロイが尋ねようとするより一瞬早く、廊下の先の方からよく通る声がロイを呼んだ。 「マスタング大佐、部屋に案内してくれるかね」 ハッと声のした方へ視線を向ければ廊下の角を曲がろうとしたところで振り向いたブラッドレイがこちらを見ている。これだけの距離をおいても射貫くような隻眼の強さにロイは唇を噛んで、掴んでいた腕を放した。 「後で私の執務室に来い。いいな」 「大佐」 短く言いおいてロイは足早にブラッドレイの後を追う。すぐに追いついたロイにブラッドレイはにんまりと笑みを浮かべた。 「すまんな、流石に疲れたのでね」 「いいえ。新兵達も大総統閣下直々に訓練を賜り大変励みになったと感激しておりました」 平坦な声でそう告げるロイをブラッドレイは鼻で笑って歩き出す。つき従うロイの怒りの滲むオーラを感じながらブラッドレイは言った。 「ハボック少尉はもう完全に復調したようだ。嬉しいだろう?マスタング大佐」 「ええ、これからは実戦を重ねて勘を取り戻せば今まで以上の働きが期待出来ると考えております」 「今まで以上」 「そうです」 ロイの言う意味を正確に受け取って繰り返せばきっぱりと返る言葉にブラッドレイは低く笑う。 「楽しみにしていよう」 出来るものならやってみろと送る視線を受け止めて黒曜石の瞳が睨み返した時、辿り着いた扉にロイが手を伸ばした。 「こちらです、閣下。イーストシティご滞在中はこちらの部屋をお使い下さい。ご入り用なものがございましたらなんなりと」 開いた扉からブラッドレイを通しながらロイが言う。単に儀礼的に発せられた言葉と知りながら、ブラッドレイは笑みを深めて言った。 「なんなりと?なんでも希望のものを用意して貰える訳だ、マスタング大佐」 ドサリと大振りな椅子に腰を下ろし、長い脚を組んでブラッドレイがロイを見上げる。その言葉の裏に潜む意味にあからさまな嫌悪を示してロイは答えた。 「常識的な範囲で用意出来るものでしたら、閣下」 「常識など権力者の前では無いに等しいものだよ。いや、権力者の求めるものが常識というべきか」 「お言葉ですが、常識に関して私にはそう言った考えはございませんので」 「そうかね。見解に相違があるのは残念だよ、大佐」 笑みを浮かべてそう返すと、ブラッドレイは身振りで退室を促す。軽く頭を下げたロイが去り際一瞬鋭い視線をブラッドレイに投げつけて部屋を出ていった。 「さてさて……これからが楽しみだ」 ブラッドレイはロイが出ていった扉を見つめてクツクツと低く笑った。 「ハボックっス」 コンコンと響くノックの音に続いて聞こえた声に、窓際に立っていたロイは答えるより早く扉に歩み寄る。開き始めた扉を勢いよく引けば、扉に引っ張られるようにして執務室に入ってきたハボックの腕を掴んで、ロイはその長身を中に引っ張り込んだ。 「遅い!今までなにをしていたッ?」 ブラッドレイを部屋に案内した後、急いで執務室に戻ったロイはハボックが来るのを今か今かと待ちかまえていた。執務室の扉がノックされる度ハボックが来たかと腰を浮かせ、その都度違う顔が現れるのを見ては落胆し、それを何度も繰り返すうち苛々が募ったロイの機嫌は急降下して、夕方になる頃には誰も執務室に近寄らなくなっていた。 「なにって……まだ訓練続いてたし」 指が食い込むほど強く腕を掴まれきつく問い質されて、ハボックは困ったように言う。見つめてくる空色にハッとしてロイは掴んでいた手を離した。 「すまん」 そう言ってからロイは今日のブラッドレイとの訓練の感想を言っていなかった事に気づく。ロイは改めてハボックに向き合うと口を開いた。 「素晴らしかったな、今日の訓練は。本当によくやった、ハボック」 「大佐」 両手でハボックの肩を叩いてそう言えば、ハボックが嬉しそうに笑った。 「正直ブラウンにお前が訓練に参加すると聞いた時は不安で堪らなかった。まだ早いんじゃないかと、もしまたお前になにかあったら、と……だが、お前は見事にやり遂げてくれた。本当に嬉しいよ、ハボック」 「終わった後は腰が抜けかかったっスけどね」 ストレートな褒め言葉にハボックは照れたように肩を竦めて見せる。真っ直ぐに見つめてくる黒曜石を見返して、ハボックが続けた。 「オレもよかったって思ってるっス。これでやっと一つクリア出来た。後は」 「そうだ。さっき訓練の後ブラッドレイに何を言われた?わざわざお前を呼びつけて、アイツは何を言った?」 そもそもハボックを執務室に呼んだ理由を思い出してロイは尋ねる。そうすれば僅かに揺らぐ空色に不安を駆られてロイはハボックを呼んだ。 「ハボック?」 「もう一つ、クリアしなくちゃ」 「もう一つ?何をクリアしなくてはいけないと言うんだ?」 ロイは尋ねてハボックの両腕を掴む。間近から見つめるロイの視線を受け止めて、ハボックはゆっくりと口を開いた。 「今夜、大総統に呼ばれたっス。オレの快気祝いをするからホテルに来いって」 「な……ッ?まさか行くつもりじゃないだろうなッ?!」 掴んだ手に力を込めて尋ねれば。 「行くつもりっスよ。今夜、大総統の部屋に行ってくるっス」 ハボックがきっぱりと告げた。 |
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