セレスタの涙、オニキスの誓い  第百十五章


「は……ぁ……」
「おい、ハボックっ?」
 グラリと揺らいだハボックががっくりとその場に膝をついたのを見て、リンチが慌ててハボックの側に駆け寄る。両手を床につきハアハアと息を弾ませるハボックの顎を伝ってパタパタと落ちた汗が床に染みを作った。
「大丈夫か?」
「うん……はは、緊張した……」
 心配そうに覗き込むリンチをチラリと見てハボックが苦笑する。今になってガタガタと体が震えて、ハボックは右手で左の腕を指が食い込むほど握り締めた。
「ハボック?」
「平気、だっ」
 ハボックは答えて勢いよく立ち上がる。リンチを見て笑みを浮かべて言った。
「オレは大丈夫だから。行ってこいよ、こんな機会なかなかないぜ?」
「ああ、そうだけど」
 リンチが答えた時、背後でワッと歓声が上がる。振り向けばブラッドレイが新兵の一人を思いきり床に叩きつけたところだった。
「お前、大総統と面識があったんだな」
「え?……あ、うん。ちょっとだけね」
 聞かれて僅かに目を見開いたハボックは、目を逸らして頷く。その横顔がそれ以上の質問を拒絶しているようで、リンチは開きかけた唇をギュッと噛み締めた。
「────ちょっと行ってくる」
「ああ」
 言ってブラッドレイを取り囲む新兵達の輪へと向かうリンチを見送って、ハボックはそっと息をついた。


「ハボックの奴、やりましたな」
 そう声が聞こえて、ロイは詰めていた息を吐き出す。振り向けばブラウンが嬉しそうに笑って頷いた。
「……ああ、とりあえず、な」
「いや、大したものでしたよ。大総統に一歩も引けを取らなかった。これならもう安心でしょう」
 嬉しそうにそう言うブラウンの声を聞きながらロイはハボックを見つめる。リンチと言葉を交わしていたハボックが一人離れて壁際に下がるのを見て、ロイは駆け寄って抱き締めたい衝動を手を握り締めてこらえた。
(ハボック……)
 もう逃げないと言ったハボック。その言葉通りブラッドレイに向き合い恐怖を乗り越えた姿は、これまでの経緯を思えばロイは感動と誇らしさを覚えずにはいられなかった。
(よかった、本当に、ハボック……っ)
 多少荒療治ではあったがこれでよかったのだ、とりあえず無事終えることが出来たのだととロイが思った時、飛び入りの訓練参加を終えたブラッドレイがパンパンと服の埃をはたいて新兵達を見回した。


 気紛れに数人の新兵の相手をしてやって、いい加減飽きてきたブラッドレイは服の埃を払い脱いでいた上着を拾い上げる。この国の最高権力者が自分達の訓練に参加してくれたことで誇らしげに顔を紅潮させる新兵を見回してブラッドレイは口を開いた。
「実に有意義な訓練だった。諸君らのこれからの活躍を期待している。是非私の元で力になってくれるよう、訓練に励んでくれ────待っている」
「「イエッサー!!」」
 ぐるりと見回して言う隻眼に、新兵達が一斉に踵を打ち鳴らして答える。本当は欠片も思ってもいないことを口にすればそれを真に受けた新兵達が感激した様子を見せるのに、ブラッドレイは楽しそうな笑みを浮かべてそれに頷くと居並ぶ新兵達に背を向けて扉へと歩きだした。闘技場の扉に手をかけ押し開き外へと足を踏み出す。恐らくはこれで終わったとホッと息をついているであろう姿を想像して、ブラッドレイはゆっくりと振り向いた。
「ハボック少尉」
「────え?あっ、は、はいっ、サー!」
 全く予期していなかったのだろう、一瞬キョトンと目を見開いたハボックが慌てて答える。かつて涙で濡らした空色を見つめて、ブラッドレイは身振りでついてくるよう示して廊下に出た。
「大総統閣下……なにか?」
 指示を仰ぐように視線を向けたものの、咄嗟にうまい言葉が出てこなかったのであろう無言のままのブラウンに、ハボックは不安げな表情を浮かべてブラッドレイを追って廊下に出てくる。闘技場の中、こちらを睨むように見つめてくるロイの視線を扉を閉じて遮るとブラッドレイはハボックを見て言った。
「君の快気祝いをさせて貰おう。今夜、ホテルへ来たまえ。ああ、勿論一人で来てくれたまえよ。保護者同伴では碌な話もできんだろうから、それではお互いつまらんだろう?」
「────サー、折角のお話ですが」
「少尉」
 ブラッドレイはハボックに仕舞まで言わせず言葉を遮る。不安げな光をたたえる空色を楽しげに見つめて言った。
「是非、セントラルから戻った後の話を聞かせてくれ、少尉。ダグラスの話だけではよく判らなかったのでな」
 言えば大きく見開く空色の瞳を、ブラッドレイはズイと身を寄せて間近から覗き込む。
「久しぶりだ。楽しみにしているよ、ハボック少尉」
「閣下」
 青褪めたハボックの顔を楽しげに見たブラッドレイは、クルリとハボックに背を向けゆっくりと廊下を歩いていった。


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