| セレスタの涙、オニキスの誓い 第百十四章 |
| 闘技場にいる全ての人間の視線が互いに向き合って構えるブラッドレイとハボックに向けられる。だが、ハボックはその全ての視線を合わせたよりもブラッドレイの隻眼から向けられる視線を強く感じていた。 「────」 隻眼とは思えぬほど強い視線に、震えそうになる体をハボックは意思の力で押さえ込む。辛い記憶が蘇って恐怖心が沸き上がってくるのを感じて、ハボックは唇を噛んだ。それでも。 (もう、逃げないと決めた。オレは大佐の背中を護るんだ) 沸き上がる恐怖心を真っ正面から見つめてハボックは思う。ブラッドレイの隻眼を真っ直ぐ見返すハボックの体からストンと力が抜けた。 真っ直ぐに見つめてくる空色にブラッドレイは僅かにその隻眼を見開く。変わらず緊張感を滲ませるハボックの表情が、恐らくは己に抱いているであろう恐怖心から逃げることなく向き合っているのを感じて、ブラッドレイは薄く笑みを浮かべた。 「いつでも来たまえ、少尉」 「────ッ」 挑発するような言葉を言い終わるより一瞬早く、踏み込んできたハボックのパンチが飛んでくる。それを腕で弾くようにしてかわしたブラッドレイが伸ばしてくる手を掻い潜るようにして、ハボックはブラッドレイの左側へと回った。 「フン」 己の死角へと回り込むハボックにブラッドレイは笑みを深めてその動きを追う。死角からハボックが攻撃を仕掛けるより早く、ブラッドレイがその体躯からは考えられないスピードでハボックに突っ込んできた。 「ッ!!」 伸びてくるブラッドレイの手からハボックは後ろに飛び退るようにして逃げる。後ろに飛んだその足が続けて地面を蹴って、横に回り込んだハボックは即座に攻撃へと転じた。伸びてきた腕を掴んだハボックは突っ込んでくる勢いを利用してブラッドレイの体を投げ飛ばそうとする。だが、投げるより早くブラッドレイの足がハボックのそれに絡んで、ハボックは押し潰されるようにしてブラッドレイ共々床に倒れ込んだ。 「くッ!」 圧し掛かってくる体に押さえ込まれる前に、ハボックはブラッドレイに向かって足を蹴り上げる。ブラッドレイは横に転がってハボックの蹴りをよけると立ち上がり、同じように立ち上がったハボックと向き合って構えた。 「いい動きだ、少尉」 最初の攻防が過ぎて闘技場の中に感嘆の騒めきが広がる中、ブラッドレイが笑みを浮かべて言う。何も答えずただ次の動きに備えるハボックを見て、ブラッドレイは笑みを深めた。次の瞬間その笑みが消えると同時にブラッドレイが床を蹴ってハボックに強烈なパンチを繰り出してくる。交差した腕でその一撃をかわしたものの、重いパンチに体勢を崩したハボックは続けて飛んできた蹴りを脇腹に受けて、横向きに吹っ飛んだ。 「グハッ」 体に食い込むスピードの乗った蹴りにハボックの唇から呻き声と共にせり上がった胃液が飛び散る。床に叩きつけられたハボックは続けざまに繰り出される攻撃を転がってよけると何とか立ち上がった。 「ハアッハアッ」 ハボックは手の甲で乱暴に口元を拭ってブラッドレイを見据える。面白がるような光をたたえる隻眼を真正面から見返して、ハボックは床を蹴った。 「ハッ!!」 繰り出した拳をブラッドレイの掌にガッシリと掴まれたまま、ハボックは体を捻るようにして蹴りを繰り出す。その蹴りをもう片方の手で掴むブラッドレイに、ハボックはそのまま身を預けるようにして膝を蹴り上げた。 「ムンッッ」 顎に向かってくる膝をブラッドレイは背後に倒れ込むようにしてよける。倒れる体勢のままハボックを頭上に投げ上げれば、ハボックは突き出した両手で床を突いてポーンと回って立ち上がった。立ち上がると同時にやっと身を起こしたブラッドレイに向かって突っ込む。片膝をついて立ち上がろうとするブラッドレイのこめかみに向かってハボックが蹴り出した回し蹴りを、ブラッドレイは間一髪掌で受け止めた。 「うわッ!」 受け止めた足首を掴んで、ブラッドレイはそのまま腕を横に開くようにして引く。フワリと浮かんだ体をどうすることも出来ないまま、目を見開くハボックをブラッドレイは思い切り床に叩きつけた。 「ガッ!」 受け身もとれずに叩きつけられ、ハボックは衝撃に息が止まりそうになる。それでも掴まれた足首を支点にしてブラッドレイの頭めがけてもう一方の足を蹴り付ければ、ブラッドレイは掴んでいた足首を離して蹴りをよけた。 「────ッ」 ブラッドレイの手が離れて、ハボックは素早く立ち上がり体勢を整える。臆すことなく見つめてくる空色に、ブラッドレイは楽しそうに笑って蹴りを繰り出した。半瞬遅れて同じようにハボックが繰り出した蹴りとガッッと鈍い音を立てて二人の脚がぶつかる。互いに体をねじるようにして距離を詰めると、ガシッと両手を掴んで間近から互いを見据えた。 「確かに完全に復調したようだな、少尉」 「いえ、まだまだこれからっス」 笑みを浮かべて言うブラッドレイにハボックは低く答える。次の瞬間互いを突き飛ばすようにして離れると、ブラッドレイは構えを解いてゆるりと立った。 「いい動きだ、少尉。安心したよ」 「ありがとうございます、サー」 これで終わりだと態度で示すブラッドレイにハボックも体の力を抜いて答える。騒めく闘技場の中をぐるりと見回してブラッドレイはロイの姿を見つけると、食い入るように見つめてくるロイに口の端に笑みを浮かべた。 「これでひと安心だ。嬉しいだろう?マスタング大佐」 そう言うブラッドレイを睨むように見つめて、ロイは軽く頭を下げる。ブラッドレイはそんなロイにクッと低く笑うと、新兵達を見遣って言った。 「さあ、我はと思うものはかかってくるといい。次は誰だ?」 そう言うブラッドレイの様子に、一先ずは終わったのだと大きく息を吐き出したハボックの体が糸が切れたようにぐらりと揺らいで膝をついた。 |
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