セレスタの涙、オニキスの誓い  第百九章


「ブラウン中佐、セントラルから電話が入ってます」
「セントラルから?」
 そろそろ訓練の時間と、執務室から出れば副官からそう声をかけられてブラウンは眉を寄せる。
「誰だ?マドラスか?」
 特にセントラルからわざわざ連絡を貰うような事案が思い浮かばず、ブラウンは同期の男の名を出してみる。こんな時間からご機嫌伺いもないだろうと、やはり心当たりがないまま置かれた受話器を取ってブラウンは口を開いた。
「ブラウンです」
 言って耳に押しつけた受話器から聞こえる声を待つ。聞き覚えのない女性の声が告げる内容に、ブラウンは目を大きく見開いた。
「はい、いや、ですがそんな急に……、────確かにそれはそうですが、……はあ、……判りました」
 思い切り顔を顰めて答えるブラウンを副官が心配そうに見る。深いため息をついて受話器を置いたブラウンに、副官が尋ねた。
「なにか問題でも?」
 そう言う副官に少し考えてブラウンは口を開く。たった今聞いた事を伝えれば、副官は驚いたように目を見開いた。
「まだ連中には伝えるな、動揺するだけだ」
「はい、でも……」
「私はちょっとマスタング大佐のところへ行ってくる。すまんが少し遅れると伝えておいてくれ」
「判りました」
 頷いて副官は闘技場へと向かう。ほんの一瞬迷うようにその背を見送ったブラウンは、一つ頭を振って部屋を出た。


「どうしたんだろう、中佐」
「遅いな、いつもならとっくに来てるのに」
 訓練が始まるまでの間、体を解しておこうとストレッチをしながらハボックが呟けば、同じように体を動かしていたリンチも言う。普段ならとっくに現れている筈のブラウンがなかなか姿を見せない事に、集まった新兵たちの間にザワザワとした空気が流れ始めた時、闘技場の扉が開いてブラウンの副官が入ってきた。
「ブラウン中佐は所用の為少し遅れる。各々適宜訓練をしているように」
 副官はそれだけ言ってそそくさと出て行ってしまう。新兵達が戸惑うように互いに顔を見合わせる中、リンチが言った。
「珍しいな、何か問題でも起きたのかな」
「さあ」
 理由も何も告げられなければ首を捻るしかない。ハボックはトントンと軽くジャンプして言った。
「遅れるなら仕方ないよ、オレたちはオレたちがやるべき事をやろう」
「そうだな。案外すぐやってきて何も始めていない連中をどやすかもしれんし」
 ありそうじゃないか?と顔をしかめるリンチにハボックは軽い笑い声を立てる。
「じゃあ、手合わせ頼む」
「オッケー」
 そう言うリンチと向き合って、ハボックは腰を落として構えた。


「大佐、ブラウン中佐がお見えです」
 軽いノックの音に続いて聞こえたホークアイの声に答えるより早く執務室に入ってきたブラウンに、ロイは眉をしかめて書類から顔を上げる。一言言ってやろうと口を開いたロイは、ブラウンの顔を見て言おうとした事とは違う事を口にした。
「何があった?」
 そう尋ねるロイに、執務室の扉を後ろ手に閉めたブラウンが歩み寄ってくる。書類が積まれた机に手をついて、ブラウンは低い声で告げた。
「大総統が来ます」
「――――なんだと?」
 驚きに目を見開いてロイはブラウンを見上げる。無言で先を促され、ブラウンは早口に言った。
「今し方セントラルから連絡がありました。視察の名目でこちらに向かっていてもうすぐイーストシティに着くそうです。滞在中に新兵の訓練に参加したいと」
「っ、もう新兵達には伝えたのか?」
「まだです。混乱するだけですから」
「そうだな」
 大総統が訓練に参加するなどと聞いたらハボックでなくとも動揺するのが目に見えている。
「何とかして拒否出来ないのか?それが無理ならハボックだけでも外してくれ」
 やっとここまで辿り着いたのだ。いずれブラッドレイと対決するにしても今はまだ早すぎる。下手にブラッドレイと関われば元の木阿弥になりかねないとロイには思えた。
「拒否する理由がありません。ハボックを外すにしても時間がなさ過ぎる。もう皆、闘技場に集合してるんです」
 あの場からハボックだけを連れ出すのはいかにもブラッドレイを避けているのが明らかで、余計な詮索をされかねなかった。
「クソッ、ブラッドレイめ。ギリギリまで連絡してこなかったな」
 突然の訪問はこちらに手をうつ(ひま)を与えない為の手段としては、単純だが極めて有効だと認めざるを得なかった。
「とりあえず私が迎える。車を回してくれ。それと……やはりハボックは外してくれ。この際多少強引な理由でもいい」
「判りました」
 ロイは乱暴な仕草で立ち上がると、靴音も荒く執務室を出た。


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