セレスタの涙、オニキスの誓い  第百七章


 夜の道をロイはハボックの手を引いて歩いていく。時折微かに繋いだ手が震えるのは、恐らくハボックが涙をこらえているからだと察して、ロイは唇を噛んだ。正直このまま家に戻ってハボックに何を言えばいいのか判らない。思いあぐねて辺りを見回したロイは、自分達が丁度川にかかる橋に差し掛かっていることに気づいた。
「……」
 一瞬足を止めたロイは橋を渡らず川沿いの遊歩道に続く階段を下りる。川からの風が吹く遊歩道を暫く歩くと、ロイは立ち止まってハボックを振り向いた。
「ハボック」
 呼べば俯いたハボックの肩がビクリと震える。伏せたハボックの長い睫を見つめて、ロイは尋ねた。
「リンチ少尉が言ったのは本当か?本当に彼の友人をセックスに誘ったのか?」
 尋ねる言葉にハボックの体が大きく震える。繋いだままだった手をハボックが振り解こうとしたが、ロイはそうさせなかった。
「────ッ、〜〜ッッ」
 息を弾ませてロイの手を振り払おうとして出来ず、ハボックが泣き出しそうな目でロイを見る。ロイはしっかりとハボックの手を握ったままハボックを見つめ返した。
「何故?何故そんな事をした?」
 静かに、決して責めるでなく尋ねるロイにハボックが目を見開く。暫くの間何も言わずにロイを見つめていたハボックが消え入りそうな声で答えた。
「だって……足が竦むんだ。誰かが側に来ると足が竦んで体が震えて……訓練、出来なくて……」
 ハボックは震える声で続ける。
「時間ないのに……これ以上ぐずぐずしてらんないのに……だから、なんとか止めなきゃって……怖いの、我慢出来ないならねじ伏せなきゃ、誰でもいい、突っ込まれて滅茶苦茶にされたらきっとねじ伏せられるんだッ!怖いとかそんな事言ってらんない、オレのこと滅茶苦茶にしろよッ!早くッ、早くしないと────大佐はどんどん先に行っちゃうのにッッ!!オレはッ、オレは────」
「ハボックッ!!」
 囁くようだったハボックの声が徐々に大きくなり悲痛な叫び声に変わる。ロイは繋いだ手を握り締めハボックの体をグイと引き寄せた。
「落ち着け、ハボック!」
 空色の瞳を大きく見開き、ハアハアと息を弾ませるハボックをロイは間近から見つめる。見開く空色にせり上がった涙がポロリと零れて落ちた。
「大佐を、護りたいのに……訓練も出来ない。このままじゃもう、追いつけない」
「ハボック」
「オレは、もう」
 ポロポロと涙を零してハボックが呟く。そんなハボックの姿に胸を締め付けられながら、ロイは言った。
「おまじない、してやろうか?」
「……え?」
「前にもしてやったろう?射撃大会で三位を穫れた。今度はちゃんと訓練が出来るように、私の背中を護れるように」
 まん丸く見開いて見つめてくる空色にロイは微笑みかける。掌で涙に濡れた頬を拭って、ロイはハボックを引き寄せた。
「大丈夫だ、ハボック。お前なら大丈夫」
 間近から囁いてロイはハボックに口づける。チュッと唇を触れさせ、もう一度言った。
「何も心配する事はない、大丈夫だ。だってお前はちゃんとここにいて私の元に帰ってきたんだ。何を恐れる事がある?」
 ロイは囁いてハボックをじっと見つめる。
「ハボック、お前は私の誇りだ。私の誇り高い────護衛官だよ」
 そうしてロイは何度もハボックに口づける。そうすればいつしかハボックの体の震えも止まっていた。
「大佐……たいさ、オレは……」
 繰り返される口づけを受け止めるハボックの腕がロイの背中に回されて、二人は深くふかく口づけを交わしていた。


「────流れ星」
「え?」
 抱き合ったまま立っていると、夜空を見上げたハボックが言う。ロイが体を離して振り返れば満天の星が一つ、スッと流れて消えた。
「大佐を護りたい」
「ハボック」
「まだ、間に合うっスか?オレはまだ大佐に追いつける?」
 星を見上げて言う横顔をロイが見れば、ハボックが言う。その横顔を見つめてロイは答えた。
「勿論。私のおまじないは効果覿面だったろう?」
 ロイの言葉に夜空を見上げていたハボックがロイを見る。もう今は遠く過ぎ去ったあの日と同じ笑みを浮かべて、ハボックは言った。
「もう一回、おまじないして欲しいっス」
「いいとも。何度でも、お前がもう大丈夫だと思うまで」
 ロイはそう答えてハボックを引き寄せる。唇を触れ合わせるだけのキスを何度も繰り返して言った。
「大丈夫だ、お前なら。お前は必ず私の護衛官になるよ」
「大佐、オレ……必ず追いつくから。待ってて、大佐の背中はオレが絶対護るから」
 キスの合間に何度となく繰り返す。抱き合う二人の頭上で星が幾つも流れた。


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