| セレスタの涙、オニキスの誓い 第十章 |
| 扉を開けて中へ足を進めようとしたハボックは思いの外暗い室内に目を瞬かせる。広い部屋には光源といえば間接照明のスタンドが二つあるきりで、そのせいでかえって部屋が暗く感じた。 「ジャン・ハボック少尉?」 ソファーから声が聞こえたと思うとゆらりと影が立ち上がってハボックはギクリとする。その声の主がブラッドレイだと気づけば、自分が何のためにここにきたのか思い出して、ハボックは慌てて背筋を伸ばした。 「失礼いたしました、サー!ジャン・ハボック少尉であります。本日はお招き頂き光栄に存じます」 ピッと敬礼を寄越すハボックに、ブラッドレイは薄く笑みを浮かべてゆっくりと近づいていく。ものも言わず近づいてくる男は足音すら立てず、薄暗い部屋と相まってハボックの不安をかき立てた。 「サー、あの……」 敬礼をするために上げた手をそろそろと下ろしてハボックはブラッドレイを見る。その姿を目だけで追うにはあまりに背後に回り込まれて、ハボックは困りきって視線をさまよわせた。 「三位入賞おめでとう。見事な腕前だった」 「ありがとうございます、サー!」 突然背後から声が聞こえて、ハボックはさまよわせていた視線を正面に据えて直立不動の体勢を取る。後ろを振り向く訳にもいかず、ハボックは必死にブラッドレイの気配を探った。 「久しぶりに感動したのでな、祝いの席を設けさせて貰った」 「光栄です、でも、あの……他の受賞者の方は?」 確か秘書の女性は受賞者を招いてと言っていた筈だ。僅かな光源だけの部屋は幾ら広いと言っても人がいれば判る筈で、確かに今この部屋にはブラッドレイとハボックしかいなかった。 「今日招待したのは君だけだ」 「えっ?」 驚きのあまり思わずハボックは振り向いてブラッドレイを見る。そうすればすぐ後ろに立たれていた事に気づいて、ハボックは無意識に後退った。 「オレだけ?どうして……」 優勝者と言うならまだしも三位の自分一人だけを招く理由が判らず、ハボックは目を丸くしてブラッドレイを見る。驚きのあまり最高権力者に対する礼節も忘れてしまったらしいハボックにブラッドレイが言った。 「感動したのは君だけだ、それとも何か不満があるかね?」 「とんでもありませんっ、サー!ただ、ちょっと、驚いてしまって」 もごもごと困りきった様子のハボックにブラッドレイは鷹揚に笑ってみせる。ゆっくりと体の向きを変え、窓際に設えられたテーブルに向かって歩きながら言った。 「驚くことでもあるまい。こっちへきたまえ、少尉。簡単だが食事の用意をさせてある」 「イエッサー」 ハボックは答えてブラッドレイに続く。二人分の食事の用意がされたテーブルに、ブラッドレイはさっさと腰を下ろすとハボックを見上げて言った。 「座りたまえ」 「失礼します、サー」 座るよう促されてハボックは軽く頭を下げてから椅子に腰を下ろす。そうすればブラッドレイがテーブルに置かれたベルを取り上げチリンと軽く鳴らした。それに答えて現れた給仕が二人のグラスにワインを注ぐ。ブラッドレイはグラスを高く掲げると笑みを浮かべて言った。 「優秀な成績を納めた事に」 「ありがとうございます」 答えてグラスを掲げたハボックは、ワインを一口飲む。おそらく普段のハボックには口にすることも出来ないほど高級な品であろうワインだったが、ハボックはあまり美味しいと思えなかった。 (大佐と飲んだワインの方がずっと美味しいや) そう思いながらも言葉にしてはとても美味しいと告げる。そんなハボックの心の声が聞こえたかのように、ブラッドレイが尋ねた。 「マスタング大佐にはもう報告したのかね」 「えっ?い、いえ……タイミングが悪くてまだ連絡がつかないんです」 うっかり声に出したりしてないよなと、ちょっぴりビクビクしながらハボックが答える。 「先に私が祝ってしまって申し訳なかったかな?」 「そんなっ、大総統閣下に祝って頂くなんてっ!オレなんてラッキーで三位に入れたようなもので、他に祝って貰うべき人が幾らでもいるのに」 慌ててそう答えたハボックをブラッドレイが片方だけの目でじっと見つめた。 「君は自分の実力で新兵として初参加、第三位という結果を残したのだ。例え謙遜でもラッキーなどと言うべきではない、違うかね?」 「も、申し訳ありません、サー!」 ブラッドレイの言葉にハボックはカッと顔を赤らめ、次の瞬間青褪める。ドキドキと心臓が鳴って、体が緊張に強張った。 「まあ、謙譲の美学というものもあるらしいが」 「はあ」 ハボックの緊張に気付いてかブラッドレイがそう付け足す。だが、ひきつった笑いを浮かべたハボックは、もう完全にテンパってしまった。 「さあ、どんどん食べたまえ」 ブラッドレイの言葉に答えて次々と運ばれてくる食事も、緊張しきっているハボックにはろくに味を感じることも出来ない。 (全然味判んねぇ……) 食事の合間に話しかけてくるブラッドレイに返事を返すだけで精一杯だ。せっかくの機会なのだから楽しんでこいとグラントに言われたが、楽しむ余裕などなく正直ハボックは早く帰りたくて仕方なかった。 (わぁ、もう限界っ、大体なんでオレだけなんだよ……っ) 感動したのが自分だけだと言っていたが、新兵のくせに居並ぶ強豪を押し退けて三位を勝ち得たのがよほど目新しかったのだろうか。そんな事を考えていたハボックは、漸く食後のコーヒーが目の前に置かれたのを見て内心ホッとする。いつものようにブラックのまま口を付けようとして、ブラッドレイの声にハボックは顔を上げた。 「これを入れてみるといい。ちょっと芳ばしい香りがしてコーヒーが旨くなる」 「これをコーヒーに、ですか?」 テーブルの上を滑るように寄越された小さなボトルを手にとってハボックは小首を傾げる。コーヒーはブラックでが信条だったが断るわけにもいかず、ハボックは蓋を開けるとシロップのような液体を二滴垂らした。蓋を閉めボトルをテーブルに戻してカップに口を付ける。その途端コーヒーの香りと共に芳ばしい匂いが口の中に広がって、ハボックは僅かに目を見開いた。 「とてもいい香りです」 初めて飲むが悪くない。そう思いながら失礼に値しない速さでコーヒーを飲み干して、ハボックはブラッドレイを見た。 「ごちそうさまでした。普段は食べられないようなものばかりで、とても美味しかったです」 ハボックはそう言って軽く頭を下げる。にっこりと笑って見せるハボックをじっと見つめていたブラッドレイは、腰を上げるとハボックの近くに立った。 「あの……」 ブラッドレイに倣って立ち上がるべきか悩んで、ハボックは椅子に腰掛けたままブラッドレイを見上げる。腰の後ろで手を組んで立っていたブラッドレイは、ニィと笑みを浮かべて言った。 「食事が気に入ったようでよかった。ではもう一つ、別の方法で祝うとしよう」 「え?」 言われた意味が判らずハボックはキョトンとしてブラッドレイを見つめる。不意に手を伸ばしてきたブラッドレイに腕を掴まれ引っ張られるように立ち上がって、ハボックは不思議そうにブラッドレイを見た。 「サー?」 食事以外にどうやって祝うと言うのだろう。もうこれ以上祝ってなどいらないから帰してくれないだろうかとハボックが思った時、ブラッドレイに腕をグイと引かれてハボックはよろけるように歩きだした。 「サー、あのっ」 訳が判らないまま腕を引かれてハボックは扉の向こうの続き部屋に入る。灯りを落としたその部屋にあるのが大きなベッドだと気づいた瞬間、ハボックはドンッとベッドに突き飛ばされた。 |
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