my sweet assassin  第七章
 
 
「はいどうぞ」
 そう言って目の前に置かれた皿からはガーリックのよい香りがする。チラリとハボックを見上げれば空色の瞳がにっこりと笑った。
「このソース、結構イケるんスよ。この辺じゃあんまり見かけませんけどね、東の方の国の調味料使ってるんス」
 そう言われてロイは皿の上の肉を切り分けると口に運ぶ。ガーリックは効いているがクリームチーズのおかげで全体的にまろやかな味に仕上がっており、ロイは思わずにっこりと笑った。
「本当だ、美味いな、このソース」
「でしょ?残ったらパンにもつけて食って下さい」
「そうする」
 ロイはそう答えるとさっそくパンを千切ってソースをつけて食べてみる。満足そうに食べるロイの姿に、ハボックもまた満足そうな笑みを浮かべた。時折言葉を交わしながら食事を済ますとリビングへと移動し、食後のコーヒーを飲む。機嫌のよい猫のようにだらしなくソファーに脚を伸ばすロイにハボックは言った。
「アンタ、最初に会ったころより顔色よくなったっスね」
「そうか?」
「そうっスよ。初めて会ったときは青い顔して汗かいて」
「それは追われてたからだろう?」
 車に轢き殺されかけたところをハボックに助けられた事を思い出してロイが言う。だが、実際最近は疲れも溜まらず、すこぶる体調がいいのは毎度きちんと食事を取っていることが大きな要因だという事は間違いなかった。
「オレが毎晩愛情込めてメシ作ってるから」
「お前のメシが美味くて食事が楽しみになったのは認めるがな」
 そう言ってコーヒーを啜るロイにハボックはグイと顔を近づけると囁く。
「で、教授してくれる気にはまだなりません?」
 そう言われてロイは昼間の事を思い出してハッとした。
「そういえば、お前っ、昼間はよくもふざけた事をッ!!」
 あの後暫くして執務室に戻ったロイは、ハボックの唇が押し付けられた箇所から湧き起こる疼きに悩まされたのだ。原因を作った相手を怒鳴り付けようにもハボックは一向に戻ってくる気配がなく、ロイは構成式を唱える事で必死にそれを頭の外へと押し出したのだった。
「お前の所為であの後私は…ッ」
「あの後?疼いちゃって仕事にならなかったっスか?」
「なっ…!」
 シレッとして言うハボックをロイは睨みつける。ハボックはヒョイと手を延ばしてロイの襟元に指を入れると軽く引っ張って中を覗き込んだ。
「ああ、結構しっかり痕付いてるっスね」
 白い肌に紅く浮かび上がる印を目にしてハボックが言う。ロイは手近のクッションを掴むとハボックの顔を思い切り殴りつけた。
「…てぇ。綺麗な顔して乱暴なんスから、アンタ」
「煩いッ!お前が悪いんだろうっ!」
「だってアンタ、ちっともその気になってくれないし」
 首を竦めて悲しそうに言うハボックに、昼間女子職員に囲まれてにこやかに笑っていたハボックを思い出して、ロイはムカムカしながら怒鳴る。
「お前こそ、女性に囲まれて嬉しそうに笑ってただろうがっ!」
「嬉しそうにって、ありゃ職業病みたいなもんスから」
 バーをやってるんだから、と言うハボックにロイはプイとそっぽを向くとデザートのチーズケーキをバクバクと食べる。そんなロイを見つめながらハボックは言った。
「そんな風にヤキモチ妬くくせにまだその気になってくれないんスか?」
「煩い。何のことだか判らんな」
 そっぽを向いたままそう答えるロイに、ハボックはくすりと笑うとコーヒーに手を伸ばしたのだった。

「ハボック、帰るぞ」
「アイ、サー」
 林間地の貯水設備の工事現場の視察を終えると、ロイはハボックに言う。現場の責任者達に見送られて車に乗り込んだロイはホッと息を吐いた。
「今日はこのまま帰ってよかったんスよね?」
 ハンドルを握ったハボックがそう聞けばロイが頷く。
「ああ。思ったより早く終わったから早めに戻れそうだな」
 答えてシートにゆったりと背を預けたロイは窓の外を流れる景色が妙に速い事に気付いた。
「おい、スピード出しすぎじゃないのか?」
 ハボックの運転技術は大したものだがそれにしても林間道路でこのスピードは速すぎる。心配になったロイがそう言った時、プカリと煙を吐き出してハボックが答えた。
「なんかブレーキ、効かないんスよねぇ」
「は?」
 のんびりしたハボックの口調にロイは言葉の意味が判らずポカンとする。次の瞬間、脳みそが理解するとロイは運転席のシート
を掴んで身を乗り出した。
「ブレーキ、効かないって、お前ッ?!」
「ちょっと運転、乱暴になるんで、掴まってて下さいね。出来ればなるべく体縮めて、舌噛まないように口はきかんでください」
「ハボ…ッ?!」
 ロイが言葉を返す間もなく、下り坂を猛スピードで走る車はカーブにそって左へとタイヤを向ける。キキキと嫌な音を立ててカーブを曲がりきると、ハボックは反対方向へハンドルを切った。右に左にと山道を駆け抜ける車は一つ操作を間違えば道を外れて谷底へと落ちてしまう。頼るはハボックの運転技術しかなく、ロイはシートに掴まって車の中で転げまわらぬよう、必死に体を支えた。
「ハボックッ!!」
「ちょっと頭低くしててッ!」
 ハボックはそう怒鳴ると路肩沿いにずっと続いていた林が切れた箇所目がけて車を突っ込ませる。低い木をなぎ倒すようにして緩い上り坂を登った車はようやくそのスピードを緩めた。暫く進んでようやく車が止まると、ハボックはホッと息をつき車を下りる。後部座席の扉を開けると中を覗き込むようにしてロイに言った。
「怪我、ないっスか?」
「ああ、大丈夫だ」
 ロイは答えるとハボックが差し出した手を取って車から下りる。ロイに怪我がないのを己の目でも確かめてハボックは腕を伸ばすとロイの体を抱き締めた。
「おい」
 突然抱き締められて慌てて身を捩るロイをハボックはさらにギュッと抱き締めるとその耳元に囁く。
「すんませんでした。危ない目にあわせて」
 微かに震える声にロイは目を瞠るとハボックの顔を見た。いつもはふてぶてしいくらいの笑みを浮かべている男が見せる傷ついたような表情にロイはフッと笑うとハボックの背に手を回し、ポンポンと叩く。
「お前のおかげで助かったよ、ハボック。ハンドルを握っていたのがお前じゃなかったらどうなっていたことか」
 ロイがそう言えばハボックが苦笑した。
「気をつけてたつもりだったんスけどね……すんませんでした」
 ハボックはそう言うと抱きしめていた腕を緩めてロイの手を取りゆっくりと歩き出す。車がなぎ倒した木々の痕を辿って道路まで出ると言った。
「どうします?オレ達がなかなか帰ってこないと判れば中尉達が探しに来てくれると思いますけど」
「そうだな。どのあたりだろう、ここは」
 そう言ってロイがあたりを見回せばハボックが答える。
「大分くだっては来てますけどね、でも歩いていったら夜になるのは間違いないっスよ」
「じゃあすることは決まってるだろう?」
「野宿っスね。んじゃ、どっか適当なとこ探しますからアンタはちょっと休んでて下さい」
 ハボックはそう言うとロイを置いて林の中へと入っていった。ロイはひとつ息を吐くと路肩に腰を下ろす。ザワザワと風にざわめく木々の音に耳を傾けていると世の中に自分一人きりになってしまったような感覚に陥った。
「遅いな…」
 実際にはさほどの時間は経っていないのかもしれなかったが、ロイは落ち着かなげにそう呟く。それでも何とか路肩から尻を上げずに我慢していたが、もういい加減耐え切れずに立ち上がろうとした時、後ろからポンと肩を叩かれてロイは飛び上がった。
「なっ…」
 驚いて物凄い勢いで振り向くロイにハボックは目を丸くする。困ったように首を傾げるとハボックは言った。
「とりあえず休めそうなとこ、見つけたっスけど」
「……足音を忍ばせて歩くなっ!」
 キィッと喚くロイにハボックは苦笑する。
「忍ばせてなんかいないっスよ。アンタがぼうっとしてたんでしょ」
 そう言って差し出す手をロイはムスッとして取ると立ち上がった。
「すぐそこっスから」
 歩き出すハボックの背を、ロイはじっと見つめる。
「大佐?」
 肩越しに振り向いて不思議そうに名を呼ぶハボックの声に、ロイは軽く首を振ると歩き出した。
 
 
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