my sweet assassin  第六章
 
 
 ハボックがロイの護衛官となって1週間が過ぎた。その頃にはもうすっかり司令室の面々とも慣れ親しんで、ハボックはもう随分と昔からそこにいるような顔で皆に溶け込んでいた。メインの仕事は護衛官なのでロイが行くところは会議だろうが視察だろうがすべてついて歩いていたハボックだったが、流石にロイが執務室に篭って書類仕事に忙殺されている時は精々コーヒーを淹れるくらいしかすることがなく、書類に埋もれてブツブツと文句を言っているロイをひとしきり構った後、ハボックはぶらぶらと司令部内を歩いていた。ふと目に入った資料室と言う文字に、ハボックは咥えていた煙草を携帯灰皿に放り込むと扉を押し開ける。中に入るとひんやりとした空気に支配される書架の間で、暇つぶしにと適当なファイルを取り出して捲るハボックの耳に男の声が聞こえた。
「上手い具合に入り込んだものじゃないか」
 楽しそうに言う男にハボックは眉を顰めてファイルから顔を上げる。どうやら相手は書架を挟んで反対側の通路にいるらしかった。
「…なんのことっスか?」
 ハボックがそう尋ねれば書架の向こうにいる男が低く笑う。
「あの警戒心の強いマスタングがお前には随分簡単に懐いたようじゃないか。やはりあれか、抱いて懐柔したか?あの年であそこまで出世したのも将軍に脚を開いたかららしいが、抱き心地はよかったかね、マスタングは」
 クククと笑う男にハボックは思い切り顔を顰めた。
「大佐があの年であそこまで出世したのはあの人自身の実力っスよ。それも見極められないからアンタは大佐に敵わないんスよ」
「なんだと…ッ」
 ビシリと言われて男は声を荒げかけたが思いとどまると口を噤む。何度か落ち着かせるように息を吐く気配がしたと思うと男が言った。
「まあ、いい。お前がマスタングの懐に入り込んだなら仕事もしやすかろう。実はもう一人雇ったんだ。そいつと連絡を取って早いところマスタングを始末してくれ」
「…何のことを言ってるのか、さっぱり判らないっスね」
 ハボックが平坦な声でそう告げれば男は笑って「また連絡する」とだけ言い置いて出て行ってしまう。残されたハボックはファイルを書架に戻すと考え込むようにファイルの背を睨んだのだった。

「…ック、ハボック」
「えっ、あ、はい」
 考えに沈んでいたハボックは自分を呼ぶ声にはたと気がつくと声のする方をみる。肩越しに見上げればロイが呆れたような顔をして立っていた。
「どうした?疲れたか?」
「ああいや、ちょっと考え事してまして。…で、なんスか?またコーヒー?」
 そう言いながら立ち上がればロイは首を振る。
「この書類を総務に出してきてくれないか、急ぎだと言われていたのを忘れていた」
「忘れてたって、オレ、アンタの代わりに文句言われるのはヤなんスけど」
 考えを見透かされたように言われて、ロイは引きつった笑みを浮かべた。
「なに、お前なら精々二言三言言われれば済むさ。じゃあ、頼んだぞ」
 ロイは早口にそう言うとハボックに書類を押し付けて執務室へ逃げ込んでしまう。ハボックはやれやれとため息をつくと短くなった煙草を揉み消し、新しいものを咥えて司令室を出た。書類を手に足早に歩いて総務へと向かう。そう言えば総務の誰に届ければいいのか聞くのを忘れたなと思いながら手近の女子職員に声をかけた。
「すんません、これ、マスタング大佐に総務に持ってけって言われたんスけど」
 そう声をかければ女子職員が書類に何やら書き込んでいた顔を上げる。ハボックがにっこりと笑いかければ彼女は飛び上がるようにして立ち上がった。
「はいっ、あの、すみませんっ、マスタング大佐が何ですか?」
「ああ、あのね、この書類なんスけど、どうも急ぎって言われてたの忘れてたみたいで」
すみませんね、と言いながら差し出した書類を受け取って目を通すと彼女はハボックを見上げた。
「大丈夫です。私が上手く言っておきますから」
「そっスか?なんか悪いっスね、迷惑かけて」
 ありがとうと微笑めば女子職員の頬が紅く染まる。じゃあ、と立ち去ろうとするハボックを二人のやり取りを見ていた他の女子職員が声をかけた。
「あのっ、マスタング大佐のところに新しくいらした方ですよねっ」
「え?ああ、そうっスけど」
 ハボックが笑って答えれば耳をそばだてていたらしい女子職員達がわらわらと寄ってくる。
「マスタング大佐のところに突然護衛官が来たって噂になってたんですよぉ」
「今までどちらにいらしたんですか?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる女子職員達に囲まれてハボックは笑みを浮かべて答えながら内心げんなりとしていた。

「しまった、もう一枚あった」
 ロイは重ねた書類の下から出てきたそれにチッと舌を鳴らす。上手いことハボックに押し付けて総務の担当官の嫌味を聞かずに済んだと思ったのにとロイは思い切り顔を顰めた。それでも運悪く次の身代わりとなる部下が皆席を外しているので仕方なしに自分で書類を手にすると執務室を出る。ついでにこのまま息抜きに出かけてしまおうかなどと思いながら総務へと入っていけば女子職員達に囲まれてにこやかに話すハボックの姿が見えた。思わずその場に立ち尽くしてその光景をまじまじと見つめていると、視線に気付いたのかハボックが顔を向ける。ロイがいるのに気がつくとにっこりと笑った。
「大佐」
 ハボックの言葉に彼を囲んでいた女子職員達が一斉にロイを見る。ハボックはロイの方へ歩み寄ってくると言った。
「どうしたんスか?オレに押し付けたの気が引けたとか?」
「もう一枚あるの、忘れてた」
 ロイはムスッとしてそう言うとハボックの手に書類を押し付ける。そのままくるりと踵を返すと足早に出て行ってしまった。
「あ、ちょっと大佐、待って下さいよ」
 ハボックはそう言うと手にした書類を最初に声をかけた女子職員に渡し、慌てて後を追いかける。丁度廊下の角を曲がる背が見えて、ハボックは長い脚で駆けるとアッと言う間にロイに追いついた。
「大佐」
 呼びながら肩に手を置けばジロリと睨まれる。機嫌が悪そうなロイにハボックは首を傾げた。
「どうしたんスか?なんか怒ってます?」
「…随分楽しそうだったな」
 ボソリとそう言われてハボックは目を瞠る。それからにんまりと笑うと言った。
「もしかしてヤキモチっスか?」
「な…ッ、何で私がヤキモチなんて妬かなきゃならんのだっ」
 カッと頬を染めてそう怒鳴るロイにハボックはニヤニヤと笑う。
「ふぅん、ヤキモチ妬くくらいにはオレのこと気にしてくれてるんスね」
「だから違うと言っているだろうッ!」
「いいからいいから」
 ハボックは楽しそうに言いながらロイの背を押して階段の影へと入っていった。
「おい、私は忙しいんだ、そこをどけっ」
 壁とハボックの体の間の狭い空間に閉じ込められてロイはハボックを睨みつける。キラキラと光る黒曜石の瞳をうっとりと見つめながらハボックは言った。
「ああ、やっぱり、怒ったアンタって綺麗っスね」
「何寝ぼけた事言ってるんだっ、そこをどけと言ってるだろうがっ!」
 キィと喚くロイの頬をハボックはスルリと撫でる。その感触にビクリと身を竦めるロイに言った。
「そんな大声出したら誰か来ちまうじゃないっスか」
「べっ、別に来たってかまわないだろうっ」
「それ、本気?」
 ハボックは低く笑うと頬を撫でた指を首筋へと滑らせる。指を差し入れた襟元をクイと引くと屈み込むようにして唇を近づけた。
「なん…ッ、…アッ?!」
 突然近づいてきたハボックに身動きできなかったロイはいきなり強く唇を押し付けられてビクリと体を竦ませる。チクリとした痛みが走った途端、体を離したハボックをロイは目を見開いて見つめた。
「今日も腕、振るいますから」
 ハボックは薄く笑ってそう言う。
「早く教授する気になってくださいね」
 それだけ言うとハボックはロイの頬をスルリと撫でて階段の影から出て行ってしまった。
「な……」
 後には呆然として襟元を握り締めるロイが取り残されたのだった。
 
 
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