my sweet assassin  第十六章
 

「逃げないならこれが答えだと思いますよ?」
 ハボックは己の胸に頭を預けて大人しく腕の中に納まっているロイに向かって言う。そうすればロイが顔を上げてハボックのことを睨んだ。僅かに目尻を染めて睨んでくるロイの綺麗な黒曜石の瞳は言葉よりも雄弁にその気持ちを伝えてくる。ハボックはそんなロイに苦笑するとその頬にそっと触れた。
「まったく……どうしたらアンタのその口から可愛い言葉が聞けるんスかね」
「気に入らないなら他を当たればいいだろうっ」
「嫌です。オレはアンタがいい」
 そう言うなりグイと腰を引き寄せるハボックにロイはハッとする。気がついた時には唇を塞がれていて、ロイは呼吸すら奪うような荒々しい口付けに小さくもがいた。
「んっ…んんっ」
 歯列を割って入り込んできた舌がロイのそれをきつく絡めとる。今までされた優しい口付けとは違う荒々しいそれにロイはただハボックに縋りつくしかない。口内を好き勝手に嬲られて、唇が離れた時にはロイはすっかり息があがっていた。ハボックがロイの耳元に唇を寄せ甘く歯を立てる。ゾロリと首筋を舐められてロイは慌ててハボックを押し返した。
「ヤダッ」
「今更聞きません」
「待てッ、ハボ…ッ!こ、ここじゃ嫌だっ」
 必死に押し返してくるロイを見下ろしてハボックは情けなく眉を下げる。
「このタイミングでそれを言いますか、アンタ」
「だっ、だって初めてが執務室の床なんて…ッ!お前は慣れてるからいいかもしれないが私はそうじゃないんだからなッ!大体誰か来たらどうするんだっ!」
 ロイの言葉にハボックはムッとしたように目を細めた。
「心外っスね。オレだって男はアンタが初めてっスよ」
 ハボックは不愉快そうに言うとロイの腕をグイと引く。ギョッとするロイが逃げる間もなくハボックはロイの体を横抱きに抱き上げた。
「なっ…?!バカっ!!下ろせッ!!」
「嫌っス。暴れると落ちますよ?」
 ハボックはそう言うと執務室の扉を開けて司令室の大部屋へと出て行く。ロイは目を見開くと猛然と暴れだした。
「離せッ!!バカっ、どこへ行く気だッ?!」
「暴れたら落ちると言ってるのに……。アンタが執務室じゃ嫌だって言ったんでしょ?ここからだとオレんちの方が近いっスかね」
 ハボックの言葉にロイは目を丸くする。
「ちょっと待て。まさかこのまま行く気か?」
「だってアンタ、うっかりするとすぐ気が変わりそうだし」
「ちょっ……待っ……!!」
 平気な顔で出て行こうとするハボックをロイは慌てて引きとめようとした。だが、ロイが何か言うより早くハボックは司令室の扉を開けると廊下に出てしまう。勤務時間はとっくに終わっていて、司令部にいる人間は少なくなっているとはいえ全くいないわけではないのだ。ロイは咄嗟にハボックの胸に顔を埋めると腕で頭を抱える。一生懸命小さくなろうとするロイにハボックはくすりと笑って言った。
「そんな格好するより、体調悪いフリでもした方がよくないっスか?」
「しっ、知るかッ!それより早く外へ出ろッ!走れッ!わき目も振らず走れッ!!」
 ハボックの胸に顔を埋めているのでくぐもった小さな声でそう怒鳴るロイにハボックはクスクスと笑う。だが胸元からキッと睨み付けられてハボックはロイを抱えなおすと一目散に廊下を走りぬけた。途中キョトンとする顔見知りの軍人達に呼び止められたがハボックは「急ぎの用だからっ」と叫んで止まらずに司令部を駆けていく。やっとの事で司令部の外へ出ると、細い路地に入りロイの体を下ろした。
「きっ、きっ、きっ」
「なんスか、キスして欲しいの?」
 ハボックは怒りのあまり上手く喋れないロイの言葉を勝手に解釈してそう結論付けると、ロイの体をグイと引き寄せ深く唇をあわせる。
「ち…が……んんっ……ンー―――――ッッ!!」
 力強い腕はとても逃れる事など出来ない。深く貪りつくすような口付けに、ロイは唇が離れた頃には全身から力が抜け、ハボックの体に凭れかかって立っているような状況だった。
「あ……」
「なんだ、結局自力じゃ歩けなさそうっスね」
 ハボックは楽しそうにそう言うと再びロイを抱き上げる。ロイは悔しそうにハボックを睨んだが、流石に今回はそれ以上ガンを飛ばすのもやめて、ハボックの胸に顔を埋めた。

 ハボックは足早に通りを抜けるとアパートへと向かう。途中からかうように口笛が投げかけられたりしたが、ハボックはにこりと笑っただけで構いもせずに通り過ぎた。
「着きました」
 ハボックはそう言うとロイを抱いたまま器用にアパートの扉を開けると中へと入る。中から鍵を閉めてからやっと、ハボックはロイの体を下ろした。
「大丈夫っスか?」
「別に平気だっ」
 ロイは頬を染めてそう言うときょろきょろと室内を見回す。まるで遊園地のおもちゃの家に入った子供のように、ロイは目を輝かせると家の中を見て回った。
「ここに一人で住んでるのか?」
「そうっスよ」
「食事はどうしてるんだ?誰かが作ってくれるのか?」
 冷蔵庫まで開けて中を覗きこみながらそんな事を言うロイにハボックは思い切り顔を顰める。
「アンタね、人に散々メシ作らせておいてそんな事言いますか?誰かに作ってもらわなくても自分で作れますよ」
「……彼女とか?」
 チラリとハボックを見上げて言うロイをハボックはじっと見つめる。それから一つため息をつくと言った。
「この家に誰かを呼んだことはないっス」
「でも、これまで付き合った女性とかいただろう?」
「いましたけど」
 そう答えるハボックにロイは胸がチクリと痛む。この年まで彼女の一人もいなかった、なんて言ったらそれこそ気味が悪いし、自分だって女性とならそれなりの数付き合ったことがあるのだから人のことなど言えた義理ではないはずだった。
「家に入れたのはアンタが初めてっス」
 そう告げるハボックの言葉が酷く嬉しく、また自尊心をくすぐる事にロイは気付いて唇を噛み締める。だが、嬉しいと告げられるほど素直にはなれなくて、ロイは頬を染めるとハボックをじっと見つめた。ハボックはそんなロイを見つめて優しく笑う。
「アンタの唇は素直じゃないけど、目はスゲェ素直っスね」
 ハボックはそう言いながらロイの目尻を撫でた。それからロイの体をその逞しい腕の中にすっぽりと包み込んでロイの耳元に囁く。
「でもね、たまにはちゃんと言葉で聞きたいと思うんスよ」
 ハボックはそう言うとロイの頬に手を添えその瞳を覗き込む。黒い瞳をまっすぐに見つめて告げた。
「アンタが好きです、大佐。今度の事で、アンタと言葉を交わすようになるずっと前から好きだった。アンタは?アンタはオレのこと、どう思ってるんスか?」
 まっすぐにそう尋ねてくる空色の瞳からロイは目を逸らす事が出来ない。そして、これまでの様にはぐらかす事も赦されないのだとロイはハボックを見つめ返すと唇を開いた。
「私は…」
 そこまで言って、からからに乾ききった喉に何度も唾を飲み込む。唇を震わせて、瞳をギュッと瞑るともう一度開いた。
「私もお前が好きだ、ハボック」
 上ずった声で漸くそう告げればハボックが嬉しそうに笑う。
「ありがとう、大佐」
 そう言う声と共に降ってきた唇がロイのそれを塞いだ。



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