アフ・チュイ・カック  第八章


「ここです」
 そう言ってハボックはたどり着いた家の玄関の前に立つと扉を叩く。暫くして顔を出した老人はハボックの顔を見ると不愉快そうに言った。
「何をしに来た、この疫病神め」
「カイおじさんに屋根の修理をするように言われたんです」
 ハボックはそう言うと僅かに首を傾げる。
「やらせてもらえますか?」
「カイの頼みなら仕方ない。やらせてやるからありがたく思え」
「ありがとうございます」
 にっこり笑って答えるハボックの様子を見ていたロイは苛々とした声で言った。
「おい、貴様、それが人にものを頼む態度かっ」
 ロイの声に初めてロイを見た老人はその小さな目を見開く。わなわなと震えるとロイを指差して言った。
「なんだ、コイツはっ!儂の家に魔物を連れてくるとは…っ!この疫病神がっ!!」
 老人はそう怒鳴ると持っていた杖でハボックのことを打ち据える。よけもせずされるままになっているハボックにロイは声を荒げた。
「誰が魔物だっ?!ハボック、お前も少しは抵抗しろっ!!」
 ロイはそう言うと振り下ろされた杖を発止と掴み思い切り捻りあげた。
「ひぃっっ」
「危ないっ!」
 たたらを踏んでよろける老人の体をハボックが咄嗟に支える。ハボックはロイの方を振り向くと言った。
「乱暴はやめてください」
 そう言うと老人の方へと向き直る。
「ケガはない?ベンじいさん」
「…やっぱりお前は疫病神じゃ!年寄りに向かってこんなことをするなんて…!」
「ごめんなさい、ロイも悪気があったわけじゃないんだ」
「ハボックっ!!」
 怒りを込めてハボックを呼ぶロイを振り向くとハボックは言った。
「ロイ、外で待ってて」
 そうしてハボックは老人の背を押すようにして家の中に入ると扉を閉めてしまう。閉じた扉の向こうで老人の喚く声とそれに答えるハボックの声が暫く聞こえていたが、やがてガチャリと扉が開くとハボックが顔を出した。
「ロイ、オレ、屋根の修理をしますからカイおじさんのところで待っていてもらえますか?」
 お願いします、と頭を下げるハボックのシャツから覗く肌に真新しい痣を見つけてロイは目を見開く。
「ロイ」
 それでも、まっすぐに見つめてくる空色の瞳にロイは言うべき言葉を見つけられず、踵を返すと着た道を駆け戻っていった。

 カイの店に戻る道すがら、ロイは自分に向けられるあからさまな嫌悪の視線に眉間に刻まれた皺を深くしていく。いっその事燃やしてやろうかと思った矢先、路地の中から聞こえた声にロイは脚を止めた。
「おにいちゃん」
 辺りを気にしながら自分を手招いているのが先ほど会った子供だと気づいてロイは路地に入っていく。眉間に皺を刻んだままの表情で子供を見下ろせば、その子はにっこりと笑って見せた。
「おにいちゃん、ジャンの家に来た人だよね?」
「ああ、お前は昨日診療所にいた子供だな」
 ロイがそう言えば子供が頷く。
「うん、ボク、ヘンリーっていうんだ。おにいちゃんは?」
 名乗って差し出してくる手を握り返すとロイは答えた。
「私はロイだ」
 ヘンリーは口の中で教えられた名を呟くとロイに向かって言う。
「ロイはジャンの家に住んでるんでしょう?ずっと一緒に住むの?」
「そのつもりだ」
 ロイがそう答えればヘンリーは安心したように笑った。
「そうなんだ、よかった」
 そう言うヘンリーにロイが尋ねる視線を向ければヘンリーが答える。
「ジャン、ずっと一人ぼっちだったから…」
 そう言うとヘンリーはグッと唇を噛んで必死の形相で言った。
「あのね、ジャンは凄く優しいんだ。ボクが困ってるときはいつも助けてくれるし、ママに怒られた時だって慰めてくれたり。おもちゃ作ってくれたり、お菓子だって作れるんだよ。ボク、ジャンのことが大好きだからもっとたくさんジャンのとこに遊びに行きたいけど…でも…」
 ヘンリーはうな垂れると小さな声で言う。
「ママがジャンのところに行っちゃダメだって…」
「お前の母親はハボックのことをよく思っていないようだな。彼女だけじゃない、大半の村人がそうだ」
「みんなジャンのこと、よく知らないんだっ!知らないで酷い事ばっかり言って!!でも、ジャンはホントは…っ」
 ヘンリーは弾かれたように言うとポロリと涙を零した。
「ロイ、ジャンの側にいてくれるんでしょう?側にいてよ」
 ぐしぐしと目元を擦りながら言うヘンリーの側に跪くとロイはその頭を撫でる。
「お前はハボックが好きなんだな」
 そう言えばヘンリーが何度も頷いた。
「ボクだけじゃないよ、村の子供はみんなジャンのこと好きだ。でもママたちがダメだって言うからなかなかジャンのとこに行けないんだ」
 ロイはそう言う子供の顔をじっと見つめていたが、その体をそっと抱きしめる。
「私もハボックが好きだよ。一緒にいたいと思う」
 ロイがそう言えば、ヘンリーの顔がぱあっと明るくなった。
「絶対、絶対だよ」
「ああ、だからお前も時々は遊びに来い」
 ロイの言葉にヘンリーは何度も頷く。そうして近いうちに必ず遊びに行くからと約束して走り去る子供に、ロイはほんの少し慰められたような気がするのだった。

 カランとドアベルを鳴らして入ってきたロイにカイは「やっぱり」という顔をしてみせる。ロイを手招いて店の奥の扉を開けるとダイニングへと通した。
「ジャンに帰ってろと言われたんだろう?」
「…あんな偏屈じじい、見たことない」
 ムスッとして言うロイにカイは「ハハハ」と笑う。ハーブティのカップを差し出してくるカイを睨むとロイは言った。
「なんであんなヤツのところにハボックをやるんだ」
「ジャンが行きたがるからな」
「…どうして?」
 あんな無礼者のじじいの所へハボックを行かせるカイを詰ってやろうと思っていたロイは、返ってきた思いがけない答えに目を見開く。だが、カイはそれには首を振って答えた。
「俺にもわからん。俺もベンじいさんのところにジャンをやるのは気が進まないんだ。あのじいさんはジャンに対して特に酷いから。だが、ジャンが行きたがるし俺が行けと言ったといえばベンじいさんもジャンを中へ入れるからな」
 その時、店の方から呼ぶ声にカイは扉の方へと歩きながら言う。
「ジャンが帰ってくるまでここで待っているといい。何かあったら声をかけてくれ」
 そう言って店へと出て行くカイの背を見送ると、ロイは唇を引き詰むってカップに手を伸ばしたのだった。


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