アフ・チュイ・カック  第七章


「ジャン」
 倉庫の扉を開けて工具を選んでいたハボックはかかった声に振り向く。そこには栗色の髪を高く結い上げた綺麗な少女が立っていた。
「ミリア。おはよう。勝手に工具探させてもらってる」
 そう言うハボックにミリアは近づいていくとハボックが選んだ工具を受け取る。
「別に構わないけど、今日はどこへ行くの?」
「ベンじいさんとこの屋根の修理に」
「ベンじいさんっ」
 ミリアは思い切り顔を顰めた。
「やめなさいよ、あのじいさんのところに行くの。ジャンにいろんなこと手伝って貰ってるくせにジャンに酷い事ばっかり言うじゃないの」
「うん、でもだいぶ雨漏りしてるっていうから困ってるだろ」
「ジャン!」
 ミリアは手にした工具を投げ捨てるとハボックを睨む。
「人が良すぎるのにも程があるわ。感謝の気持ちを持てない人に何かやってやる必要なんてないわよ」
 きつく睨みつけてくる赤褐色の瞳にただ苦笑するハボックにミリアはため息をついた。
「それより聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「ジャンの家に魔物が住み着いたって噂を聞いたんだけど」
「へ?魔物?」
「黒髪の綺麗な顔をした魔物。昨日の夕方ジャンの家に入っていくのを見たって」
 ハボックはきょとんとしてミリアの顔を見たが、次の瞬間プッと噴き出した。その様子にミリアはキッと目尻を吊り上げる。
「なによ、人が心配して言ってるのに」
「だって…」
 くすくすと笑うハボックがミリアに説明をしようとした時。
「ハボック」
二人の後ろから綺麗な声がした。

 声のした方を振り向くと、ロイのすらりとした姿があった。その言いようのない美しさにミリアは言葉もなく息を飲む。
「ロイ」
 ハボックがにっこり笑って答えるのにミリアはギョッとしたようにハボックを見た。
「用意は出来たのか?」
「ええ、一応」
 ハボックは答えるとミリアを振り向く。
「ミリア、彼はロイ。今度一緒に住む事になったんだ」
「えっ?」
「言っとくけど、ロイは魔物なんかじゃないよ」
 くすりと笑ってそう言うハボックにロイは眉を顰めた。
「なんだ、魔物って」
「オレの家に魔物が住み着いたっていう噂が流れてるらしいんスよ。アンタ、綺麗過ぎるから」
「は?なんだ、それは」
 心底判らないと言う顔をするロイにハボックは笑う。そんなハボックを目を見開いて見つめていたミリアは、ロイをキッと睨むと何も言わずに走りさってしまった。
「ミリア?」
 突然何も言わずに行ってしまったミリアにハボックは首を捻る。
「どうしたんだろう」
「誰だ、彼女は?」
 ロイに聞かれてハボックは答えた。
「ああ、彼女はミリアといってカイおじさんの娘っスよ。でも、どうしたんだろう、一体」
 ハボックは不思議そうに言いながら、選び出した工具を纏めてザックに詰め込む。その袋を肩にかけるとロイに言った。
「オレ、これからベンじいさんのところに屋根の修理に行ってきますから」
「判った、一緒に行く」
 そう言うロイにハボックは困ったように笑う。
「ロイ、家に帰っていてくれませんか?」
 ハボックがそう言えばロイは眉を跳ね上げてハボックを見た。
「ベンじいさんってちょっと偏屈っていうか…だからきっとロイが一緒に行ったら嫌な思いをすると思うから」
 ほんの少し視線を落としてそう言うハボックにロイは思い切り舌打ちする。
「その偏屈じじいの家はどっちだ」
「ロイ」
「さっさと行くぞ」
 そう言って歩き出すロイのスッと伸びた背をハボックはじっと見つめていたが、次の瞬間ふわりと微笑んだ。
「こっちです」
 ハボックは小走りにロイの隣りに並ぶと、ベンじいさんの家に向かって歩き出したのだった。

「父さんっ!」
 バンッと乱暴に扉を開けるのと同時にミリアは家の中に向かって叫ぶ。その剣幕にびっくりして振り向いたカイは、ミリアの形相を見て更に驚いて言った。
「どうしたんだ、ミリア。怖い顔して」
「あの男、誰っ?」
「ああ、ロイのことか」
 カイはなんだ、と言う顔をすると箱から商品を取り出して棚に並べる。
「ジャンと一緒に住む事になったと言っていたな」
「ジャンと一緒に、って父さん、あの男がどこから来たのか知ってるの?」
「いや、知らん」
「そんなどこの誰ともわかんないヤツがジャンと一緒に住んでも平気なわけっ?」
 ミリアはカイに近づくと、その手から商品を取り上げた。
「危ないヤツかも知れないじゃないのっ」
「今話をした限りではそういった感じはしなかったがね」
「父さんっ!」
 カイはミリアの手から商品を取り戻して言う。
「ミリア、お前、何をそんなにカリカリしてるんだ」
 カイは商品を棚に置くと腰に手を当ててミリアを見た。
「俺はこれでもそれなりに人を見る目はあるつもりだ。ロイが悪いヤツだとは俺には思えんし、それになによりあんなに楽しそうなジャンは久しぶりに見た。ジャンがいいなら俺達がとやかく言うことではないだろう」
 そう言われてミリアは悔しそうに黙り込む。
「ミリア」
「もういいわっ」
 諭すようなカイの声にミリアは身を翻すと家の奥へと続く扉を開け2階へと駆け上がってしまった。カイは驚いてその背を見送っていたが、肩を竦めると再び商品を並べだしたのだった。

 2階の自室に駆け込むとミリアは乱暴に扉を閉めた。
「何よ、父さんったら。悪いヤツじゃないなんてどうして判るのよ…」
 ミリアはそう呟くと唇を噛み締める。
「ジャンがあんな風に笑うなんて…」
 ジャンの祖母が死んでから、ミリアが知っているハボックの笑い顔はいつもどこか淋しげだった。だが、さっきロイに向けた笑顔はミリアが今まで見たものとはまるで違っていて。
『あんなに楽しそうなジャンは久しぶりに見た』
 カイの言葉が脳裏に蘇ってミリアは頭を振る。のろのろと窓辺に歩み寄ったミリアが窓の外を見れば、ちょうどハボックがロイと連れ立って歩き出した所だった。
「ジャン…」
 自分には向けられたことのない笑顔をロイに向けるハボックにミリアは胸が締め付けられる想いがする。
「…っっ」
 それ以上その笑顔を見ていられなくて、ミリアは乱暴にカーテンを引いたのだった。


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