| アフ・チュイ・カック 第五章 |
| 「おはようございます、昨夜はよく眠れました?」 翌朝、ロイが目を覚ますとハボックはもう起きていてキッチンでいい匂いをさせていた。 「目玉焼きは食えます?」 フライパンと卵を手に聞いてくるハボックにロイは欠伸をしながら言う。 「sunny side up がいい」 その返事が思ってもみないものだったのだろう、ハボックは「はいはい」と答えながらくすりと笑った。 「なんだ?」 ハボックの様子にロイはムッとして欠伸を引っ込める。楽しげなハボックを睨むロイにハボックはフライパンに卵を割りいれながら答えた。 「いや、なんだか精霊って言っても随分人間くさいんだなぁと思って」 卵の焼き方なんてよく知ってるっスね、と言うハボックに、ロイは宙を見つめながら答える。 「昔人間と一緒に暮らしていたことがある」 ハボックはロイの言葉に目を瞠った。 「それってやっぱり契約した相手ってことっスか?」 そう聞かれて、ロイはハッとして口を噤む。余計なことを言ったという後悔の気持ちが思わず言葉の端に現れてきつい物言いになった。 「お前には関係ない」 そう言われてハボックは思いの外傷ついている自分に動揺する。関係ないといわれたことと、人間と契約することを嫌っているかのように思えたロイが自分の前にも誰かと契約を交わし、一緒に住んでいたことがあるのだという事実に酷く傷つきながらハボックは消え入るような声で「すみません」と呟いた。しょぼんとうな垂れて食事の支度をする大きな背中をロイは眉を顰めて見つめた。近づいていくとハボックの脛を思い切り蹴り上げる。 「いたっ!何するんスか…」 肩越しに振り向いた痛みと情けなさで涙の滲む空色の瞳を睨みつけてロイは言った。 「朝っぱらからシケた顔、してるんじゃない」 メシが拙くなるだろう、ロイはそう言うとさっさとテーブルにつく。 「一晩寝たら腹が減った。早くメシを出せ」 ふんぞり返って言うロイをハボックは目を見開いて見つめていたが、やがてホッと息を吐くと微笑んだ。 「今すぐ出しますから」 そう言うと焼きあがった卵をカリカリのベーコンと一緒に皿に盛る。ロイの前に卵の皿とコーヒーを置くと、サラダの入った大きなボウルと温めたパンを真ん中に置いた。 「お待たせしました」 ミルクのたっぷり入ったコーヒーに口を付けるロイにハボックが聞く。 「パン、何をつけますか?このマーマレード、自家製なんスけどよかったら」 「じゃあそれにする」 勧められるまま温かいパンにマーマレードをつけてもらい、ロイはパンの皿を受け取ると早速それを口にした。 「…美味い」 「よかった」 途端ににっこりと笑うハボックの顔から居心地悪そうに目を逸らすとロイが聞く。 「昨日も思ったけど、お前、料理が上手いな。呪術師をしていたというおばあさんから教わったのか?」 「教えてくれたのはアンナって言ってオレのお袋の幼馴染のおばさん。ばあちゃんが生きてた頃は、オレがいつもメシ作ってたから」 パンを頬張りながら答えるハボックにロイは言った。 「だが、その頃ならまだほんの子供だろう?」 「でも、ばあちゃんは忙しかったし、オレがいつも家の中のことはやってたから。特にばあちゃんが死ぬ前の1年間は殆んど寝たきりになってて、少しでも美味しい料理を食べさせてやりたいと思ったし」 頑張って色々覚えたんスよ、と笑って言うハボックにロイは押し黙った。村の連中には疎まれ、頼りの祖母は幼い頃に亡くしたと言うのに、どうしてこの男はこんなに綺麗に笑うのだろう。判らない問いの答えを探すようにじっとハボックの顔を見つめるロイにハボックは首を傾げた。 「あの…なにか?」 「…いや。美味いな、このマーマレード。絶品だ」 ロイの言葉に嬉しそうに笑う空色の瞳に、ロイの心ははるか昔へと戻っていった。 「ロイ、ほら、もう少し食えよ」 そう言って男が差し出したマーマレードをたっぷり塗ったパンの載った皿をロイはため息と共に押し返した。 「お前と同じだけ食えるわけがないだろう。大体私は精霊なんだから、そんなに必死になって食べなくてもいいんだ」 「そう言ってちっとも食わないから痩せてるんだろう」 そう言う男をロイは睨みつける。 「お前のような筋肉だるまに言われたくない」 眉間に皺を寄せて言うロイに男が笑った。 「あんまり細いと思い切り抱きしめられないだろう」 「な…っ」 「昨日だって折れちまうかと思った」 そう言って笑う男の男くさい笑みにロイの中でずくりと熱が沸き上がる。そんなロイを男は楽しそうに見つめるとロイの顎を掴んだ。 「思い出したのか、昨夜のこと」 「誰がっ」 男の指を振り払おうとするロイの手を男がガッシリと掴む。 「楽しかったな、昨夜は」 「…っっ」 真っ赤になって睨むロイに男は笑うと顔を寄せた。近づいてくる空色の瞳から逃げることもできずにロイは、重なってくる唇を受け止めたのだった。 「もう少し食べますか?」 物思いにふけっていたロイはハボックの声にハッとした。数度瞬きをすると目の前のハボックをじっと見つめる。 「…いや、もう十分だ」 そう言ってカップに手を伸ばしたロイは、もうコーヒーが空である事に気がついた。 「おかわり注ぎますね」 微かに眉を顰めるロイの手からカップを取ると、ハボックは席を立つ。その背を見つめながらロイは考えた。 (似てるのは瞳と髪の色だけだ) 大体アイツはこんなに優しく笑わなかった、ロイは記憶の中の人物とハボックを比べてそう思う。 (顔もタイプだって全然違うのに。敢えて共通点をいうなら体がデカイことと、呪術師ということだけだ) それだって、ハボックは呪術師の家系だというだけで使えるわけではない。ロイが小さくため息をついた時、目の前にカップが差し出された。 「どうぞ」 「…ありがとう」 受け取って口を付けるロイを見つめながらハボックが言った。 「オレ、食事が済んだら雑貨屋のオヤジんとこ行って食材を買うのと、あと、何か手伝えることないか聞いてこようと思ってますんで」 「手伝えること?」 「オレ、村の中の雑用、って言うか、壊れた家の屋根とか橋とかそんなの直したり、年寄りばかりの家の畑耕すの手伝ったり、そういうのしてんですよ。まあ、雑用が殆んどですけど。今日はやっと雨も上がったみたいだし、あちこち修理したりする所があるかもしれないから」 そう言うハボックにロイは僅かに顔を顰めると言う。 「私も行く」 「え、でも、見てて楽しいものじゃないっスよ?それに…」 ハボックと行けば興味本位で見られることは間違いない。そういうのが好きそうでないロイにハボックは言った。 「きっとジロジロ見られて嫌な思いすると思いますから」 家にいたほうが、と言うハボックにロイは言った。 「私が行くと迷惑なのか?」 「や、そんなことないっスけど…」 ハボックはモゴモゴと答えると俯く。ジロジロ見られて不愉快だろうということと同時に、ハボックはロイが自分と関係があるということで嫌な思いをするのではないかと心配していた。 「やっぱり家にいたほうがいいっスよ。オレと一緒だと絶対嫌みの一つも言われるし」 ハボックが小さな声でそう言うとロイはハボックの耳を抓り上げる。 「いててててっ」 「顔を上げろ」 ロイは苛々とハボックの空色の瞳を覗きこむと言った。 「言いたいヤツには言わせておけばいい。お前が気に病む必要はない」 わかったか、ともう一度抓るとロイは手を離す。ハボックはじんじんと痛む耳を押さえながら、耳ではなく心から沸き上がる痛みに涙を滲ませる。 「ありがとうございます」 そう呟くように礼を言うと、ハボックは泣き笑いのような表情を浮かべたのだった。 |
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