アフ・チュイ・カック  第四章


 ぬかるんだ坂道を足元に注意を払いながらそれでも出来うる限り早く歩いていけば、二人は村の入口へとたどり着いていた。村の少し前にあった板にペンキで書いただけの簡単な標識で村の名を確認していたロイはまるで懐かしいものを見るかのような表情で村の中へと入っていく。
「先に薬師のところへ薬草を届けたいんだけど、いいっスか?」
 ハボックの言葉に頷くロイを連れてハボックは村のほぼ中央にある薬師の家へと向かった。
「先生っ」
 ノックもせずに扉を開けるとハボックは中へと入っていく。中にいた薬師と思しき初老の男が驚いたように振り返ると言った。
「ジャン!山に行くと言ったきり帰って来ないから心配していたんだぞ」
「すみません、でも、これ、手に入ったから」
 ハボックはそう言うと懐から油紙に包まれた薬草を取り出す。それを目にした薬師がホッとしたように笑った。
「よかった、これですぐ良くなる。ありがとう、ジャン」
 薬師はそう言うと薬を調合すべく奥へと入って行った。ハボックはそれを見て微笑むとロイを振り向いて言う。
「これで一安心っスよ。じゃあ、オレんち行きましょうか」
 そう言ってハボックはロイを促して外へと出た。もう夕方が近いのだろう、重く垂れ込めた雲は益々黒味を帯びている。ぽつりと雨粒を頬に受けて、ハボックは思わず空を見上げた。
「そろそろ降りだすぞ」
 ロイに言われてハボックは視線を正面に戻すと足を速める。
「じゃ、急ぎましょう。こっちっスよ」
 殆んど駆けるようにして村のはずれにあるハボックの家に入った途端、外は再び空の底が抜けたかのように篠突く雨に包まれた。
「うわ、間一髪っスね」
 ハボックはそう言うとロイを奥へと案内した。家の中は必要最小限のものだけが置かれた質素なものだったがそれでも快適に過ごせるようしつらえてある。ロイはハボックに勧められるままダイニングの椅子に腰かけると家の中を見回した。
「こんな村の外れに一人きりで住んでいるのか?」
「ばあちゃんが12の時に死んでからはね」
 ハボックは答えながらコーヒーをセットする。ぽたぽたと落ちるコーヒーが部屋の中をいい香りで満たす中、ロイは眉を顰めるとハボックに聞いた。
「12の時から一人でここに住んでいるのか?親はどうした」
「オヤジはオレが生まれてすぐに事故で死んだそうっス。お袋はある日山に入ったきり帰ってこなかった。オレが5つか6つの時っスよ。それからは呪術師をしていたばあちゃんがオレを育ててくれて、でも12の時ばあちゃんも死んで、それからは一人っス」
 なんでもないようにそう言うハボックをロイはじっと見つめる。そんなロイの視線に気づいてハボックは苦笑した。
「呪術師なんてのはね、何か問題が起こったときには頼りにされるけど、普段は誰も寄り付きゃしないんスよ。オレのばあちゃんはそれなりに力があったし、オレはその孫だからやっぱりね」
「だが、お前には力がないと言っていただろう?」
「ばあちゃんはオレに呪術を教えたがらなかった。だから知らないだけで本当は力があるんじゃないかってみんなそう思ってるんスよ。今、この村でオレと付き合ってくれてるのはさっきの薬師のじいちゃんと、村長、後は雑貨屋のオヤジを始めとするほんの数人っス」
 ハボックはコーヒーを注ぐとロイに出しながら言った。
「ついアンタのことここに連れてきちゃいましたけど、ここにいたって楽しく過ごせるかわかんないし、契約してるっていってもオレの方からアンタに何か頼むなんてことはたぶんないと思うし、アンタはあの洞窟に帰ってくれて構わないっスよ。つか、そうしてください」
 そう言って微笑むハボックを睨みつけるようにしてロイは言う。
「私がここにいるのは迷惑か?」
「や、そんなことないっスけど、アンタが嫌な思いをするかもしれないし」
「お前が迷惑でないと言うなら私はここにいる」
 ぴしりとそう言い切るロイにハボックは空色の瞳を見開いた。それから嬉しそうにふわりと笑うと言った。
「じゃあ、今夜は歓迎会で腕、ふるいますね」
 嬉しそうなハボックに、ロイもまた小さく微笑んだのだった。

「大したもんはできないっスけど。」
 ハボックがそう言って出した料理はそれでもどれもとても美味しそうに見えた。特別豪華ではなくても心のこもった温かい料理に、知らず心も体も温まっていく。ロイは手にしたグラスを灯りに透かすと目を細めて言った。
「綺麗な色だな。とてもフルーティだ」
「赤ワインにオレンジとか桃とかレモンとか色々入れて漬け込んだんスよ。アルコールがもっと強い方がよければラムとかジンとか加えることも出来ますけど」
「いや、この味が好きだ」
 そう言って一口飲むとそら豆のサラダに手を伸ばす。次々と料理を口にするロイをハボックはにこにこと見つめていた。
「なんだ?」
 その優しい視線に何となく落ち着かなくなってロイはハボックに尋ねる。するとハボックは視線を落として小さな
声で答えた。
「や、なんか誰かと一緒にメシ食うのって久しぶりだなぁって思って。誰かの為にメシを作るのも久しぶりだし」
 ハボックの言葉にロイは僅かに目を瞠る。
「やっぱいいもんっスね、誰かと一緒にメシ食うの。アンタが来てくれて嬉いっス」
 そう言うハボックの綺麗な笑顔にロイは返す言葉を見つけられずにグラスを煽った。その空色の瞳に、かつて知っていた人の姿を思い起こしてロイはそっと瞳を伏せる。
(ここにいるのはアイツじゃない…)
 泉から上がった後のハボックの輝く金髪と空色の瞳を洞窟で見た時、遠い日を共に過ごした人間を思い出した。その遠い日の思い出がロイの胸をちくりと刺したとき、ハボックが不思議そうに言った。
「それにしても精霊ってメシ、食うんですね。花の蜜とか泉の水とか食ってるのかと思いましたよ」
 そういうのがあってる気がしませんか、などとすっとぼけたことを言うハボックをロイはジロリと睨む。
「私は蝶やキリギリスじゃないんだぞ」
「キリギリスは肉食でしょ?あ、じゃあやっぱり精霊も肉、食うんだ。よく判らなかったから今日は肉料理遠慮したんスよね。じゃ、明日からは肉料理も作りますんで」
「お前なぁ…」
 呆れたのと腹が立つのとでロイはハボックを思い切り睨んだが、ハボックは全く意に介さず「リクエストあります?」等と聞いてくる。アホらしくなってため息をつくと、ロイは黙って食事を続けた。
(アイツとは全然違うっ!)
 一瞬でも姿を重ねてしまった事に自分で自分に腹を立てて、ロイはハボックの方を見ずに料理を頬張る。すると遠慮がちなハボックの声が聞こえて、ロイはハッと顔を上げた。
「あの…気に触りましたか?」
 その気落ちした様子にロイはチッと舌を鳴らすと答える。
「そんなこと言ってないだろうっ」
「すんません、オレ、誰かと食事するのホント久しぶりで、なんか浮かれちゃって…」
 すみません、と大きな体を縮ませて俯くハボックの髪を、ロイは立ち上がるとテーブル越しにガシッと掴んだ。ぐいと顔を引き上げるとその空色の瞳を覗き込む。驚いたようにロイを見上げるハボックにロイは言った。
「気に入らない相手の料理を口にする程、私は優しくないんだ。それから明日は鶏肉料理が食べたい」
 不機嫌そうに、だがほんの少し目元を赤らめてそう言うロイをハボックはポカンとして見つめた。そして次の瞬間嬉しそうに笑う。
「鶏肉っスね。判りました」
 幸せそうに言うハボックに、ロイは落ち着かなげにそっと息を吐き出したのだった。


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