| アフ・チュイ・カック 第三章 |
| ハボックは不思議な焔が照らし出す洞窟の中をきょろきょろと見回した。だが、ロイのスラリとした姿はどこにも見当たらず、ハボックは一瞬ロイがいたことは夢だったのではないかと思った。だが、綺麗に乾いて肌にサラリと触れる服の布地と、何より目の前でゆらゆらと揺れる焔が夢ではないことを告げている。このままこの場を立ち去ってしまうこともはばかられて、ハボックは焔の近くに腰を下ろした。 「どうやって燃えてるのかな、これ…」 その焔は小さな石の上で僅かに揺れながら燃えている。ハボックは膝を抱えてぼんやりと焔を見つめるとさっき会ったばかりの青年のことを思い浮かべていた。 (精霊の王だって言ってた…) まだ小さい時分、祖母から聞いた話はどんな内容だったろう。ハボックが覚えているのはただとても力のある精霊だから安易に近づいてはいけないということだけだ。知らなかったこととはいえそんな精霊を眠りから目覚めさせてしまったばかりか契約まで結んでしまったとは、ハボックは自分がやったことの重大さに気づいてため息をついた。 (契約とか言われたってどうすりゃいいんだろう) ハボックは膝の上に顎を載せて考える。その時ふと、ロイの黒い瞳が目の前に浮んでハボックの心臓がどくりと跳ねた。 (うわ…なにドキドキしてんの、オレってば) 落ち着け落ち着けと思えば思うほど、心臓は勝手に速度を上げていく。正直、ハボックは男でも女でもあれ程綺麗な存在を見たことは初めてだった。 (なんだって言うんだよ、もう…) ドキドキと跳ねる心臓の意味を測りかねてため息をついた時、カラリと石の転がる音がしてハボックは慌てて背後を振り向く。いつの間にか立っていたロイが目を見開いてハボックを見つめている事に気づくと、ハボックは抱えていた膝を離して言った。 「服、乾かしてくれてありがとう。助かったっス」 だが、ロイはハボックの声が聞こえていないかのようにハボックの姿を食い入るように見つめている。そんなロイに居心地が悪くなって、ハボックは遠慮勝ちに名前を呼んだ。 「あの…ロイ?」 呼ぶ声にハッとしたロイは数度瞬きするとハボックから引き剥がすように視線を外す。そうしてハボックを見ずに口を開いた。 「村へ帰るんだろう?今なら雨がやんでる」 「え?ホントっスか?」 ハボックはパッと顔を輝かせると急いで立ち上がる。パンパンと尻についた砂を払うとロイに向かって尋ねた。 「薬草、少しでも早く届けてやりたいから行くけど」 そう言って微かに首を傾げる。 「契約したって、具体的にどうすればいいんスかね?」 「私もお前と行く」 ハボックの言葉にサラリとそう言うロイにハボックは一瞬口を噤んだが、次の瞬間「えええっ?!」と叫んだ。 「おっ、オレと行くって、えっ、それってどういう…」 「お前、結婚してるのか?」 「へ?してないっスけど」 突然聞かれてハボックはきょとんとしながら答える。 「家族は?」 「ばあちゃんが死んでからは一人だけど」 「だったら問題はあるまい」 ロイはそう言うと洞窟の出口に向かって歩き出してしまう。その後を慌てて追って、ハボックはロイの腕を掴んだ。 「ちょっと待ってっ!」 「なんだ?」 慌てたようなハボックの様子にロイは不思議そうにハボックを見上げる。その思いがけず幼い表情にハボックはドキドキしながら言葉を搾り出した。 「そんな突然アンタみたいの連れて帰って一緒に住むなんて言ったら」 ごくごく小さな村だ。もう明日には年寄りから赤ん坊まで一人残らず知れ渡ってしまうだろう。しかも一緒に住むのがこんな綺麗な男の姿をした精霊だなんて、そんなことを言おうものなら村中大騒ぎになることは目に見えている。 「私が精霊だなんてことは言う必要はない」 「じゃ、どうして一緒に住むのかは?」 「山の中で拾ったと言えばいいだろう」 「拾ったって、アンタね…。」 犬や猫じゃあるまいし、しかもこんな豪雨の山の中から連れ帰ったりしたらそれこそ噂の的だ。 「言いたいヤツには言わせておけばいい」 ロイはさほど気にした風でもなくそう言ってスタスタと歩いていってしまう。 「…どうなっても知らないっスからね」 ハボックは半ば自棄になってそう呟くとロイの後を追ったのだった。 ロイと一緒に洞窟の入口まで来るとハボックは空を見上げる。確かに雨はやんでいたが、見上げた空はどんよりと暗く垂れ込め、まるで水滴が落ちてくるのを必死にこらえている様に見えた。 「なんだか不思議な空…」 初めて見る空の様子を不思議そうに見上げるハボックをロイは促して言う。 「そう長いことはもたないからな。さっさと行くぞ」 そう言って歩き出すロイに一瞬目を瞠ると、ハボックはロイの腕を掴んだ。 「えっ、もしかしてこれってアンタがやってるんスか?」 驚いてそう言うハボックにロイは微かに眉根を寄せる。 「私でなければ誰がやるというんだ」 「や、そりゃそうっスけど…」 ハボックはそう呟いて改めて空を見上げた。確かに焔と気体を統べる精霊の中でもっとも強い力を持つ者だとは聞いた。だが、これはハボックの想像を遥かに超えていて。 「すげぇ…。これ、どのくらいの範囲まで及んでるんスか?」 「私を中心に精々3キロ程度だな。いくら私でも降ってくる雨を止めるのは骨が折れる」 降らせるほうが楽なのだとロイは言って、ポケットの中から銀色に輝く石を取り出した。それを洞窟の入口の左右に置くと何やら小さく呟く。すると洞窟の入口がぼやけてそこに洞窟があったことを窺わせるものは消えうせ、木々が生い茂るだけとなった。 「行くぞ」 ロイはそう言うと先に立って歩き出す。迷いのないその歩みに村の場所を知っているのかと尋ねようとした矢先、視界が開けて足元に緑に囲まれた村の全景が現れた。 「こんなに近かったのか…」 驚いてそう呟いたハボックの隣で、やはり食い入るように村を見下ろしていたロイが囁くように言った言葉がハボックの耳を掠めてハボックは思わずロイの横顔を見る。 変わらないな。 確かにそう聞こえた言葉に、ハボックが村に来たことがあるのかとロイに聞こうとした時、不意に振り向いたロイの瞳に、ハボックは尋ねる言葉を失って口を噤んだ。 「向こうへ回れば村に下りる道がある」 ロイはそう言ってハボックの返事を待たずにどんどん先へと行ってしまう。村に視線をやりながらあまり足元に注意を払うでもなく歩いていくロイの足が、豪雨でぬかるんだ地面にずるりと滑った。 「うわっ!」 「あぶないっ!!」 咄嗟に伸ばしたハボックの腕に掴まって転倒を免れたロイに間近で見上げられて、ハボックの心臓が跳びはねる。綺麗な黒曜石の瞳に見つめられて、ハボックは瞬く間に顔に熱が上がっていくのを止められなかった。 (わ…ちょ…どうしたって言うんだ、オレの心臓…っ) 凍りついたように身動きの取れないハボックをロイは暫く見上げていたが、やがてゆっくりと体を離した。 「すまなかったな」 「えっ、あ、いや、大丈夫っスか?足元悪いから気をつけないと…っ」 真っ赤な顔でそう言うハボックをちらりと見て、ロイはゆっくりと村への道を下りて行く。ハボックは火照った顔をこすると、ロイに続いて村へと急ぐのだった。 |
| → 第四章 |
| 第二章 ← |