| アフ・チュイ・カック 第二章 |
| 目の前で目を吊り上げて自分を睨みつける青年をハボックはまじまじと見つめる。彼が精霊であることも、また精霊である所の彼と契約を結んでしまったということも、ハボックには俄かには信じられなかった。 「アンタ、ホントに精霊なんスか?」 「…なんだと?」 「や、だって、そんな精霊なんてホントにいるのかなって…」 ハボックがそう言えば青年は呆れたようにハボックを見る。 「お前、呪術師の家系の出なんじゃないのか?」 「そうっスけど、多少なりとも力があったのはばあちゃんくらいまでで、そのばあちゃんだってもう随分前に死んじゃったし」 「お前には力はないのか?」 「オレ?オレは精々ちょっと勘がいいくらいっスかね」 そう言うハボックを青年はじっと見つめたが、スッと目の前に手のひらを上にして手を差し出した。そうして一言早口で呟くと、その手のひらの上に焔で出来た蜥蜴のようなものが現れた。 「な…っ?」 驚くハボックの鼻先にその不思議な生き物を差し出せば、ソイツはシャーッと声を上げてハボックを睨む。暫く威嚇するようにハボックを睨んでいたが、そのうち興味を失ったように青年の手のひらの上で丸まって目を閉じてしまった。 「ふん…少なくとも悪しき意志の持ち主ではないようだな」 青年はそう言うと焔の蜥蜴の背を撫でる。ハボックは目を見開いて蜥蜴を見つめていたが、青年に視線を移すと尋ねた。 「これ…なんスか?」 「サキコショルという焔の精霊だ。知らんのか?」 「初めて聞いたっスよ。触ってもいいっスか?」 そう聞かれて青年はハボックを面白そうに見つめただけで何も言わなかった。返事がないことを了承の印と解釈して、ハボックは蜥蜴にそっと触れる。ほのかに温かいそれにハボックは感心したようなため息を零した。 「あったかい…」 呟くハボックの声に蜥蜴は目を開くとハボックを見る。ハボックの空色の視線と蜥蜴の金の視線が絡み合ったと思った途端、蜥蜴は畳んでいた翼をバッと開くとハボックの腕に飛び乗った。 「うわぁっ?!」 たまげるハボックに構わずするするとハボックの腕を駆け上がると、蜥蜴はハボックの肩に止まる。かはっと息とも焔ともつかぬものを吐き出す蜥蜴にハボックはビクビクしながら言った。 「こっ、これっ噛み付かないっスかっ?」 肩に載る蜥蜴から少しでも離れようと顔を仰け反らすハボックを青年は面白そうに見つめてくすくすと笑う。初めて見る青年の笑顔にハボックは心臓がドキンと跳ね上がるのを感じて焦った。 (うわ…落ち着け、オレの心臓っ) そう思えば思うほど、心臓は不自然にドキドキと跳ね回る。青年はそんなハボックの気持ちなどには気づかぬ様子でハボックの肩から蜥蜴を取り上げるとそのままそれを宙に向かって放り投げた。ばさりと羽ばたいてそうして空気に溶けるように消えてしまったそれを見送って青年はハボックに視線を戻す。 「噛み付く心配をするより燃やされる心配をすべきだったんだがな」 「…へ?」 「あれはかなり気難しい精霊でな。気に入らないヤツが触ろうものなら瞬く間に焼き尽くす」 なんでもないようにそういう青年にハボックはポカンとしたが、次の瞬間顔を真っ赤にして怒鳴った。 「焼き尽くすって、アンタさっきオレが触ってもいいかって聞いた時、そんなこと言わなかったじゃないっスかっ!」 ひでぇっと喚くハボックに青年はしれっとして答える。 「説明する前にお前が触ったんだろう」 「もし焼かれちゃったらどうするつもりだったんスかっ」 「そうなれば契約も終わりになるから、それでも良かったんだがな」 平然と言われてハボックは何故か酷く傷ついた自分に気づいた。確かに彼にとっては不本意な契約なのだろうがその言い方はあんまりだとハボックは思う。ため息をついてどさりと岩に腰を下ろすと青年を見上げてハボックは言った。 「アンタが精霊らしいってことは判ったっスけど、具体的に契約ってどういうものなんスか?」 「お前が望むならいつでも力を貸してやる」 「アンタの見返りは?」 「残念ながら今のところないな。お前が生きてそのメダルを手にしている限り、お前が私の主だ」 そう言われてハボックは握ったままだったメダルを見た。クリスタルで出来たそれはよく見れば複雑な紋様が刻み込まれ、中には焔のような紅いものが透けて見える。ハボックはそのメダルを青年に差し出すと言った。 「これをアンタに返したら契約が反故になるとかって事はないんスか?」 「ムリだ。メダルがお前を選んだのだから」 「は?メダルがオレを?」 オウム返しに聞き返したハボックの問いに、だが青年は答えず、口を開いては他の事を言った。 「それにしても汚いナリだな。こんなヤツがわが主かと思うと悲しくなる」 「仕方ないっしょ!外、すげぇ豪雨で崖から滑り落ちたりして大変だったんスからっ!」 ムッとして言うハボックに青年は泉を指差すという。 「そこの泉で洗えばいいだろう。服も」 「服洗えったって着る物ないんスけど…」 いくら男同士とはいえ彼の前で素っ裸でいるのはごめんだった。青年は器用に片眉だけ跳ね上げて言う。 「先に服だけ洗って寄越せ。お前が水を浴びている間に乾かしてやる」 「乾かすって…そんなこと出来るんスか?」 「お前、私を誰だと思ってるんだ」 「誰って…聞いてないっスもん」 そう言われて青年は目をぱちくりとさせる。なんだか幼いその表情にハボックはドキリとして少し収まりかけていた鼓動が再び早まるのを感じていた。 「お前、名は?」 「オレ?オレはハボック。ジャン・ハボック」 「ハボック!なんとも呪術師の家系らしい名だ」 大袈裟に驚いてみせる青年にハボックは唇を尖らせて言う。 「で、アンタはなんなんスか?」 「私か?」 聞かれて青年は薄く笑って答えた。 「私はロイ。焔の精霊王だ」 「焔の…精霊、王?」 びっくりしてハボックは言葉を失ってしまう。目の前の青年はとても美しいことを除けばただの人間にしか見えず、ましてや精霊の王などといわれてもとても信じられなかった。 「王って一番偉い人っつうことっスか?」 「一番力があるということだ。私は焔と気体を統べる精霊の王だ」 「え、じゃあ、王様っていっぱいいるってこと?」 こんな綺麗な人間(見た目は)がまだまだいるなんて信じられない。だが、ハボックの言葉にロイは苦く笑った。 「いることはいるがな、大半は眠っている。かく言う私もお前がここに入ってくるまでは眠っていた」 「あ、オレが起こしちまったんスね、すみません」 結界を張って人間界から隔離したこの場所で彼は眠っていたのだろう。知らなかったこととはいえその眠りを破ってしまった事に罪悪感を覚えて、ハボックは素直に詫びた。 「過ぎたことは仕方がない。それよりさっさと脱げ。洗ったら乾かしてやる」 そう言って手を差し出してくるロイに、ハボックはきょとんとする。それから盛大に紅くなるとウロウロと視線を彷徨わせた。 「いや、いいいいっスよ、どうせまたずぶ濡れになるんだし、別にこのままでも…」 「貴様、私がせっかく好意で言ってやってるのに逆らうのか?」 ギロリと睨まれてハボックは慌てて手を振る。 「や、逆らうとかってことじゃなくて…」 恥ずかしい、そう言おうとしたハボックの前髪がジジジと音を立てたかと思うと突然火がついた。 「うわっ?!あっちいぃっっ!!」 慌てて手のひらで叩いて火を消すハボックに、ロイは再び手を差し出した。 「寄越せ」 「…っっ!!」 どうやったのかは判らないがロイが火をつけたのだと気づいて、ハボックは絶句する。その黒い瞳が言外に服を寄越さないと燃やす、と言っているのを察して、ハボックはすごすごと泉の淵へ行くと服を脱ぎだした。 「こっ、こっち見ないでくださいねっ!」 真っ赤になって肩越しにそう言うハボックにロイは一瞬目を見開いたが、次の瞬間くすりと笑うとハボックに背を向ける。ハボックは脱いだ服を泉で洗って泥を落とすと泉のほとりに置き、自身はゆっくりと泉の中へと入っていった。 「この水…」 水と言うにはもっと柔らかい、肌を包み込むような感触にハボックは目を瞠る。胸の辺りまで浸かりながら歩いていき、岩の陰に回りこむとハボックは適当な出っ張りに腰をかけて肩まで入った。水の中で腕を伸ばし不思議な光を放つその水を見つめる。体に出来ていた小さな擦り傷や打ち身がいつの間にか消えている事に気がついて、ハボックは驚きと共に水を手ですくってみた。 「何で出来てるんだろう…」 試しに手で掬い取ってざぶりと顔を洗うついでにちょっと舐めてみると、それはとろりとほの甘く体に染み入るようだった。暫くして水から上がるとロイの姿は近くになく、泉のほとりではどういった原理なのか、薪もないのに小さな焔が燃えていた。ハボックはその焔で濡れた体を乾かすと、綺麗に畳んでおいてあった服に手を通す。ハボックはぐるりと辺りを見回すと躊躇った後その名を呼んでみた。 「ロイ?」 だがハボックの声にいらえはなく、不思議な焔がゆらゆらと洞窟の壁を幻想的に照らしているだけだった。 |
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