アフ・チュイ・カック  第三十五章


 暫くして階下に下りていけばもうすっかりお茶の用意は出来上がっていた。ハボックはちょうど温めたナイフでカステラを切り分けているところで、ロイの顔を見るとにっこりと笑う。
「カステラ、カイおじさんが持たせてくれたんスよ。早速食べましょう」
 そう言って切り分けたそれを皿に載せるとロイの前に置いた。温めたカップに注いだ紅茶がいい匂いをさせて、ロイはほんの少しだけ胸のドキドキが治まった様に感じる。だが、ハボックの顔を見たらまたもとに戻ってしまう気がして顔をあげられずにいた。だが顔を上げずにいれば、今度はカップを持ち上げる音、喉に流し込む音、普段なら気にも留めないそんな音がやけに気になって仕方がない。
(それもこれもコイツが変なことばっかりするからっ)
 ロイはガチャンを乱暴にカップを受け皿に戻すと立ち上がった。
「ロイ?」
「…散歩してくる」
「え?じゃ、オレも――」
「お前はついてくるなっ、一人で行ってくるっ」
「あ、ちょっと、ロイっ!」
 ロイは叫ぶように言うとハボックが呼び止める声にも構わず外へと飛び出していった。

 ロイはズンズンとわき目も振らず道を歩いていく。つい今朝方迄はハボックの側にいても普通にしていられたのに、ドキドキと勝手に騒ぎ出す心臓やカーッと紅くなる頬、自分のものなのにどうにもコントロールが出来ないそれらに正直ロイは途方に暮れていた。
「一体どうしたと言うんだ、私は」
 これまでだって抱きしめられたこともキスをしたこともある。それなのにただ側にいるだけでこんなに苦しくなるなんてロイには自分が判らなくなる。
「ハボックが悪いんだ、ハボックがっ!」
 そう思わなければやっていられなくてロイはどんどん歩いて川のところまで来ると、ようやく立ち止まって川岸に腰を下ろした。
「はあ…」
 膝を抱えてため息をつくと、顎を載せて陽射しにキラキラと輝く川面を見つめる。ロイは川の向こうに見える青空にハボックの瞳を思い出してキュッと目を閉じた。ハボックと初めて会ったのは一体どれ程昔のことなのだろうと考えて実はさほど遠いことではないのだと気がつく。今となってはもう、ハボックがいない生活など考えられないほど深く深く自分の中に入り込んでしまって、切り離すことの出来ない存在となっていた。
「ハボック…」
 目を閉じたままそう呼べばその微笑が見えるような気がする。ロイは川からの優しい風に吹かれながらずっとハボックのことを思い続けていた。

「あ…」
 いつの間にうとうとしていたのだろう、吹きつける風が冷たく感じてハッと目を開ければ、目の前はすっかりとオレンジ色に変わっていた。
「もうこんな時間…」
 そろそろ帰らなければとゆっくりと立ち上がり軽く伸びをする。家へ向かって歩き出した足取りはいつしか段々と早くなり最後には駆け足になっていた。さっきは顔を見ていられなくて家を飛び出したのに、今は一刻も早くハボックの顔が見たくて仕方がない。息を切らして家に辿り着いたロイは勢いよく扉を開けた。夕焼けで明るかった外から入ってきた目には室内は随分と暗く沈んで見える。ロイは廊下を通ってリビングの扉を開けるとギクリと凍りついた。ソファーの上に横たわった長身が夕日の射し込む窓をバックに黒々として見え、ロイは恐る恐る近づいていった。あの野原での出来事が昨日のことのように思い浮かんでロイはハボックの体に飛びつくようにして縋りついた。
「ハボ…ッ、ハボックっ」
 縋りついた体を乱暴に揺すればハボックがゆっくりと瞳を開ける。黒い瞳をまん丸にして自分を見下ろしているロイに気づいて笑いかけた。
「あ、帰ってきたんスか、ロイ。お帰りなさい」
 のんびりとそう言うとソファーの上に体を起こしひとつ欠伸をする。身動きひとつしないロイにハボックは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんスか、ロイ?どうかしまし――」
「バカっっ!!」
 ロイはそう叫ぶとハボックに殴りかかる。驚きながらもその手を押さえてハボックはロイに言った。
「ちょ…、どうしたんスか、突然。オレ、なんかしました?」
「ビックリするだろうっ!!そんなとこで寝てるなっ!!なにかあったのかと…っ!」
 そう叫びながらハボックの胸を叩くロイを驚いて見つめていたハボックは、ふわりと笑うとロイの体を抱きしめる。
「バカっ、はなせっっ!!」
 もがくロイの体を優しく抱きしめてハボックはその耳元に囁いた。
「すみません、ちょっと疲れたから横になってたんス。やっぱりまだ本調子じゃないみたいで…」
 そう言われてロイはハッとするとハボックの顔を見る。
「具合、よくないのか?」
「大丈夫、少し疲れただけだから。眠ったら元気になりました」
 ハボックは心配そうな顔をするロイの頬に軽く口付けると言った。
「こんなに体が冷たくなって…。一体どこにいたんスか?風邪引いちゃいますよ?」
 ハボックはそう言ってロイの体をギュッと抱きしめるとにっこりと笑う。
「そうだ、お風呂入りましょう。さっきスイッチ入れといたからもう沸いてる頃だと思いますし、ね?」
 ハボックはそう言うと立ち上がってロイの手を引く。グイグイと引かれて歩きながらロイは慌てて言った。
「待てっ!風呂に入るって…まさか一緒に入るのかっ?」
「そうっスよ。だってさっき2人で入っても大丈夫なくらい広いの、見たでしょう?」
「私は一人で入ると言ったはずだっ!」
「髪、洗ってあげるっていったでしょ」
「いらんっ!!」
 そう喚きあっているうちにロイは脱衣所へと押し込まれてしまう。
「はいはい、ぐちゃぐちゃ言ってないで脱いだ脱いだ」
 ハボックはそう言うとロイの体を背後から抱きこむようにしてシャツのボタンに手をかけた。ロイが抵抗する間もなく手早くボタンを外していく。
「やめろっ」
「だって服脱がなきゃ風呂に入れないでしょうが。はい、ズボンも。」
そう言ってハボックはロイの体を片腕で容易く押さえ込んでズボンのボタンを外すと下着ごとグイと引き摺り下ろした。
「ヤダッ!」
 真っ赤になって両手で顔を覆ってしまったロイから下着とズボンを剥ぎ取ると、シャツを脱がせそっとその背を押した。
「あ…」
「先入ってて。オレも脱いだら入りますから」
 そう言いながらシャツを脱ぎ始めるハボックを見ていられず、ロイは慌てて浴室へと入る。椅子に座って目の前のコックを捻れば頭の上のシャワーからまだ湯になりきれていない水が降り注いできた。
「つめたっ!」
 ビックリして声を上げた時、ちょうど中へと入ってきたハボックが呆れたように言う。
「アンタ、ちゃんと調節もしないでかかったら危ないでしょうが」
 ハボックはそう言うとシャワーをフックから外して湯温を調節した。手首にかけて温度を確認するとロイの足元にかけてやる。
「これくらいなら平気っスか?」
「あ、ああ」
「じゃあ、目、瞑っててくださいね」
 ハボックはそう言ってロイの頭から湯をかけ始めた。自分でやるからと振り向こうとしたロイは、突然顔に降りかけられて、慌てて目を閉じる。
「目、瞑っててって言ったでしょ。じっとしててくださいよ」
 髪をしっかりと濡らしてしまうとハボックはシャワーをフックに戻しシャンプーを泡立てる。地肌をマッサージするように髪を洗い始めるハボックに、ロイはひとつため息をつくと諦めてハボックの好きにさせた。
「気持ちイイっスか?」
「ああ…」
 確かに大きな手でゆっくりと洗われるのはとても気持ちがよくて、ハボックが丁寧に髪を洗っていくのに任せているうちに何となく眠くなってきてしまう。シャンプーを洗い流したハボックがなにやらゴソゴソ擦る音をさせているなとぼんやりと思っていると、首筋にスポンジが当てられてロイはビックリして飛び上がった。
「うわっ!」
「おっとー」
 いきなり大声を上げたロイにハボックも驚いて手を引っ込める。ロイはその手からスポンジを奪い取ると怒鳴るように言った。
「かっ、体は自分で洗うっっ!!」
 そう言ってハボックに背を向けてゴシゴシと乱暴に洗い始めるロイをハボックは驚いて見つめていたが、くすりと笑うとロイの隣りの椅子に腰掛けて頭から湯を浴びる。シャンプーを取り髪を洗い始めるハボックを横目でチラリと見たロイはその綺麗に筋肉のついた男らしい体から目を逸らせなくなってしまった。腕を動かす度動く筋肉はとてもしなやかで美しく、厚い胸板や引き締まったウェストとのバランスも見事なものだ。思わず体を洗う手の動きを止めて見入ってしまったロイに気づいたハボックは不思議そうにロイを見た。
「なんスか?」
 そう言われて初めてロイは自分がハボックの裸に見惚れていたことに気づく。
「な、なんでもないっ」
 真っ赤になって目を逸らすとヤケクソになったように力を入れて肌をこするロイにハボックは眉を顰めた。
「そんなに力入れちゃダメっスよ。やっぱ洗ってあげ――」
「こっちにくるなっっ!!」
 立ち上がってロイの手からスポンジを取り上げようとするハボックにロイは悲鳴のような声を上げる。半泣きに近いその表情にハボックはストンと椅子に腰を下ろした。
「そんな思いっきり嫌がらなくても…」
 そう言って体を洗い始めるハボックの顔がちょっと傷ついた風で、ロイは悪いことをしたと思う半面逃げ出したい気持ちで一杯だった。さっさと体を洗ってしまうと泡を洗い流し外へ出ようとする。伸びてきたハボックの手に腕を掴まれてぎくりと体を強張らせた。
「温まらないとダメっスよ。体、冷え切ってたでしょ」
「い、いいっ!もう十分あったまったっ!!」
「ちゃんと芯からあっためないと。ほら、我が儘言わない」
 ハボックはそう言うとロイの手を掴んだまま自分の体の泡を洗い流し、そのまま湯船に入ろうとする。後ろ手に手を引かれる形になったロイがバランスを崩して倒れそうになるのを咄嗟に支えた。
「おっと。大丈夫っスか?」
「~~~~っっ!!!」
 ハボックは支えた体をそのまま姫抱きにするとロイごと体を湯船に沈める。温かい湯にフーッと息をつくと目を閉じた。
「おまっ…なっなにす…っっ!!」
 ハボックの腕の中で身を堅くしたまま言葉にならない言葉を喚きたてるロイに、ハボックは閉じた目を開くと首を傾げた。
「なにぎゃあぎゃあ騒いでるんスか。ゆっくり浸かりましょうよ」
「そ…な…っ、お、まえ…っ」
「ああ、これじゃ浸かりにくいのか。じゃあこれで。」
 ハボックはそう言ってロイの体をひょいと持ち上げると自分の胸に背を預けるようにして脚の間に座らせる。ハボックに後ろから抱きかかえられるような体勢にロイの顔はこれまでにない程真っ赤になった。
「よりかかっていいっスからね。あー、やっぱ広い風呂っていいっスねぇ」
 背後から聞こえるのんびりした声にロイは背筋がゾクゾクとしてしまう。バクバクと大きな音を立てて鳴る心臓から流れでた血液が下腹部に集まっていくようで、ロイはもうどうしていいやら判らなかった。鼻歌交じりに気持ちよさそうに湯に浸かっていたハボックだったが、自分の脚の間に座っているロイの様子がなんだかおかしいことに気がつく。背を丸めるようにして小さくなっているロイの肩越しに顔を覗き込むと言った。
「どうかしたんスか?のぼせちゃった?」
 そう聞かれてふるふると首を振るロイを訝しんでロイの肩を掴んだハボックは、ようやくロイの中心が熱を持ち始めている事に気がついて目を丸くする。それからくすりと笑うとロイの耳元に唇を近づけて囁いた。
「オレの裸見て、興奮しちゃいました?」
「ちが…っ」
「ロイ、かわいい…」
 ハボックはそう呟くとロイの首筋をチュウと吸い上げる。ロイの体に回した手で乳首をキュッと摘めば、細い体が弓なりに反った。
「ああっ」
 そのままくりくりと捏ねればロイは頭をハボックの肩に預けるようにして喘ぐ。乳首を離れた片手がロイの中心に絡んだ時、ロイが悲鳴を上げた。
「嫌っ!いやぁっ!!」
 あまりの拒絶ぶりにハボックが慌てて手を離す。自分の体を抱きしめるようにして精一杯小さくなるロイにハボックが悲しそうに聞いた。
「オレに触られるのは嫌っスか?」
「そういうわけじゃ…っ」
「…やっぱり前にスキだった人が忘れられない?」
「違うっ!!」
 小さい呟くような声にロイは大声で否定する。振り向いて見上げたハボックの顔は酷く傷ついていて、ロイは思わず息を飲んだ。
「すみません、ひとりで浮かれちゃって…。そういやさっきからロイ、嫌だって言ってましたものね。ごめんなさい、もうしないから…」
 そう言ってロイの体を離そうとするハボックの首にロイは咄嗟に手を伸ばしてしがみ付く。慌てて引き離そうとするのをギュッと抱きついてロイは言った。
「違う…っ!私が好きなのはお前だっ!」
「でも嫌だって…」
「それは…っ!それは私一人がドキドキして落ち着かなくて恥ずかしかったからっ、だから…っ」
 そう言ってしがみ付いてくるロイに、ハボックは目を見開いたが嬉しそうに微笑むとロイの体を抱き返す。
「だったらいいんスか?アンタに触っても?」
「い、いい、けどっ」
「けど?」
 顔を覗き込むようにして聞かれてロイは真っ赤になりながら答えた。
「こ、ここじゃ嫌だ…っ」
 そう言ってハボックの肩口に顔を埋めるロイにハボックは嬉しそうに笑った。


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