アフ・チュイ・カック  第三十四章


 カイの家を出て二人は道を歩いていく。ポツリポツリと他愛もないことを話ながら歩くことがこんなにも心満たされることなのだと、ハボックは改めて感じていた。時折見かける村人達は以前のような嫌悪や敵意のある視線を送ってくることはなくなっていたものの、逆に戸惑うように顔を背ける者も多くいた。
「少しずつ変わっていきますよ、きっと」
 それに関してロイがボソリと文句を言えばハボックがそう答える。にこやかに微笑むハボックにロイは眉を寄せた。
「どうしてお前は怒らないんだ。もっと怒って見せないからアイツらが付け上がるんだ」
 そう言われてハボックは苦笑する。
「オレだって怒る時は怒りますよ。でもきっと怒りの沸点がすげぇ高いんスよ」
 そう言うハボックにロイはそれすらも村人達のせいではないかと思って眉間の皺を深くした。そんなロイを見てハボックが言う。
「そんな顔、しないで。せっかく全てが終わって新しい生活が始まるのに」
「それはそうだけど…」
 まだ納得できないように眉を寄せているロイを、ハボックは引き寄せるとその眉間にキスをした。
「バッ…なにするんだっ、おまえはっっ!!!」
 真っ赤になったロイが、飛び退るようにしてハボックから距離を取る。
「眉間の皺を取るおまじない。ほら、皺がなくなってますよ」
 楽しそうに言うハボックにロイは益々顔を紅くした。きょろきょろと辺りを見回して近くに人影がないことを確認する。
「なにがおまじないだっ、誰かに見られたらどうするんだっ!」
「オレは別に見られたって気にしないっスけど」
「私は気にするんだっ!!」
 真っ赤な顔で怒鳴るロイにハボックは不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「ど、どうしてってお前…っ」
 空色の瞳にまっすぐ見つめられて、ロイは困ったように視線を逸らす。そんなロイにハボックはくすりと笑うとその手を取った。
「ハ、ハボックっ!」
「手、繋ぎたいんス。いいでしょう?」
 素直な言葉にロイは返すべき言葉を見つけられず、紅くなって俯く。そのままハボックに手を引かれるようにして、ロイは家への道を歩いていったのだった。

 村のはずれに近いところにある小さな家に2人はたどり着く。焼けてしまった家の代わりにと、村長たちが用意してくれたものだった。本当はもっと便利な村の中心に近いところにもっと大きな家を用意してくれていたのだが、家の様子をカイと見に行ったロイに聞いたハボックが断ったのだ。
「2人で住むにはそんな大きな家はいりませんし、それにこれまでどおり村のはずれに住んでた方が落ち着くから」と。
 それを受けて村長たちが改めて用意した家に、カイがこまごまと生活に必要なものを準備してくれていた。ハボックはロイと繋いでいない方の手でそっと家の扉を開ける。ロイの手を引いて中へ入るとゆっくりと部屋の中を見回した。
「これからここに2人で住むんですね」
 感慨深そうにそう呟くハボックにロイも頷く。繋いだ手を不意に引かれて、アッと思ったときにはハボックの腕の中にいた。
「ハボック…っ」
「ちょっとだけ…今はまだ何もしません。今は、ね」
 ロイの肩口に顔を埋めてそう言うハボックの声がやけに男くさくて、ロイは頬を染める。そうして暫くの間ハボックはロイを抱きしめていたが、ゆっくりと体を離すと優しく笑った。
「家の中、探検しましょうか。ロイもこっちの家は見てないんでしょう?」
「あ、ああ」
 ロイが頷くとハボックの手がロイのそれを取る。手を握られる、それだけでもう、さっきまでとは違って心臓が煩いほど鳴り響いて、ロイはその音がハボックに聞かれてしまうのではないかと気が気でなかった。
「やっぱ最初はキッチンっスかね」
 ハボックはそう言ってキッチンへと入っていく。食器や鍋がどんなものが置いてあるのかざっと見回し、冷蔵庫を開けた。
「あ、カイおじさんってば随分色々入れてくれてる」
 中身を覗いたハボックはそう呟くとロイを振り向く。
「今夜何食べたいっスか?食材色々揃ってるし、このキッチン使いやすそうだし、食べたいもの何でも作りますよ」
「べ、別に何でもいい…」
 ロイがボソリとそう答えればハボックがむぅと眉間に皺を寄せた。
「もう、張り合いないっスねぇ。こういう時は好きなもの言えばいいんスよ?」
 そう言われたところで沸騰したような頭では何も思い浮かばない。
「ロイ?」
 首を傾げて促されて、ロイは必死に考えた。
「じゃ、じゃあ、最初に作ってくれた鶏肉料理っ」
「最初?ああ、ロイがオレと暮らし始めて最初にリクエストしてくれたヤツっスね。判りました、じゃあ、それで」
 嬉しそうに笑うハボックの顔にドキドキして、ロイはわざと乱暴に繋いだ手を引く。
「ほら、キッチンはもういいだろう。他の部屋も見たい」
「はいはい」
 ダイニングを抜けると扉をぬけて廊下に出た。いくつか並んだ扉を適当に開けていけば、そこは洗濯場だったりトイレだったり、浴室だったりした。
「お風呂、結構広いっスね。2人で入れそう」
「な、なんで2人で入るんだっ」
 ハボックが言った言葉にギョッとして言い返したロイをハボックはチラリと見ると薄く笑う。
「一緒に入りたいから」
「なんでっ!風呂なんて一人でのんびり入るもんだろうっ!」
「髪の毛洗ってあげますよ?絶対気持ちいいから」
「髪も体も一人で洗えるからいいっ」
 ロイはそう怒鳴るように言うとハボックの手を振りほどいて浴室から出て行ってしまう。荒々しく階段を上っていく足音にくすりと笑って、ハボックはロイを追った。階段を上がり左右を見ると扉の開いている部屋に向かう。扉から中を覗けば大きな窓をバックにクィーンサイズのベッドがデンと置いてあった。
「ここ、主寝室っスかね」
 ベッドを前に固まっているロイの背にそう声をかければロイの肩がびくんと跳ねる。ハボックはゆっくりと近づくと背後からロイを抱きしめた。
「ねぇ、ロイってばさっきからやけに緊張してないっスか?」
 楽しそうなハボックの声にロイはかああっと血が上る。ハボックの手を振りほどくとキッと睨んだ。
「別に緊張なんかしてないっ!」
「そうっスか?」
「そうだとも!…他の部屋を見てくる。ベッドがあれば別々に寝られるだろう?」
 ロイはそう言うとハボックの側をすり抜けて出て行くとする。だがハボックの腕に阻まれて出て行くことは出来なかった。
「別に見る必要、ないっスよ。ここで一緒に寝るんだから」
「寝室は別だろうっ」
「どうして?」
「お前みたいなデカイのと一緒じゃ狭くてしょうがないからっ」
「このベッドで狭いって事、ないでしょう。大体カイおじさんの家でもひとつのベッドで寝てたじゃないっスか」
「あそこは泊めてもらってたんだから仕方ないだろう。今日からは寝室はべつ――んっ、んんっ」
 突然唇を塞がれてロイは慌ててハボックを押し返す。だが簡単に腕の中に封じ込まれて散々に口内を嬲られた。
「な、にするんだ…っ」
「素直じゃないことばっかり言うから」
 そう言ってまっすぐに見つめてくる空色の瞳に、ロイは言葉を失う。その空色に飲み込まれてしまうのではないかとロイが思ったとき、ハボックがスッと視線を外した。
「お茶にしましょうか。カイおじさん、何から何まで用意してくれてるみたいだから特にすることもなさそうだし。一服したら夕飯の支度に取り掛かりますよ」
 ハボックはそう言うとさっさと下に下りていってしまう。ロイはドキドキと破裂しそうなほど高鳴っている心臓に息が止まってしまいそうな錯覚を覚えて、両手で口元を押さえたまま立ち尽くしていた。


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