| アフ・チュイ・カック 第三十二章 |
| ロイは草原(くさはら)に膝をついたままハボックの体を抱きしめる。いくら呼んでも答えの返らないその姿に、遠い昔失くしてしまった人の面影が重なった。 (結局また私は守ることが出来なかったんだ…) 前の時は守ることすらさせてもらえなかった。肝心なその瞬間には自分は遠く離れた場所へと行かされていて、戻ってきたときには全てが終わっていた。守りたかった人は自分の命と引き換えに闇を追い払い、愛していたと残酷な言葉だけを残して一人で逝ってしまった。 そして今度は。 共に戦う約束を取り付け、なんとか闇を退けて、もうこれで全ては終わったのだと、自分は守り通すことが出来たのだとそう思っていたのに。ハボックはミリアの為に人が開けるべきでない扉を開けてしまった。そこから溢れ出る光は人としてのハボックには到底耐え切れるものではなくて。 「どうして…?一緒に生きていくんじゃなかったのか?」 好きだった。優しく笑う顔が。綺麗な瞳が。輝く金の髪が。どんなに傷つけられても折れない強く優しい魂が何よりも好きだった。戦いが終わって、ようやく共に生きていけると思ったのに。 「ハボック…」 誰よりも守りたかった人を失って、ロイにはもう、何も残されてはいなかった。精霊としての器も魂も何もいらないとロイが絶望の淵でそう思えば淡く輝く空気の中にロイの輪郭が溶け出していく。その流れにロイが全てを任せて しまおうとした時。 「ロイっ!」 自分を呼ぶ声にロイは涙に濡れた顔を向ける。ミリアと、その後ろからヘンリーとカイが走ってくるのをロイはぼんやりと見つめた。 「ロイ、どうしたのっ?なんか変だよ?」 薄っすらと光の膜に覆われているようなロイの姿にヘンリーは不安そうに尋ねる。その腕の中で目を閉じているハボックに気づくとギクリと体を強張らせた。 「な、に?ジャン、どうしたの?!」 ヘンリーはペタンとハボックの傍らに座り込むとその体に手を伸ばす。触れようとしたその手を止めるとロイを見て言った。 「眠ってるだけ、だよね…?疲れて眠ってるだけなんでしょう?」 だが涙を零すばかりで口を聞かないロイの姿にヘンリーは何度も唾を飲み込む。 「うそ…うそでしょう…?」 ゆるゆると首を振るヘンリーの体をカイが抱きしめてハボックの顔を覗き込んだ。低く呻いてハボックの頬にそっと触れる。 「バカな…こんなことが…っ。」 ヘンリーがカイの胸に縋って大声を上げた。カイが震える声で何かを言おうとした。その時。 「これ、返す」 傍らに立っていたミリアが手の中に握っていたものをロイに差し出した。問いかけるように見上げるロイにミリアは言った。 「くれたの、お兄ちゃんが。でもこれ、あなたのものだから返す」 そう言ってミリアはロイが差し出した手のひらの上に握り締めていたものを落とした。キラキラと光の滴を撒き散らして落ちたそれはゆっくりとロイの手の中に溶け込んでいく。 「…あ」 目を見開いてその様を見つめていたロイはゆっくりと視線を上げてミリアを見た。 「あなたのよ、それ」 そう言って見つめてくる赤褐色の瞳をじっと見ていたロイは泣きそうに顔を歪める。 「ありがとう…」 そう消えそうな声で囁くと、腕に抱いたハボックの髪をそっとかき上げた。愛しそうに何度もその頬を撫でるとゆっくりと顔を近づける。 「愛してる、ハボック…」 そう囁いて唇を重ねた。重なった唇からキラリと光が零れてハボックへと送り込まれる。唇を離したロイが見つめる視線の先で、ハボックの金色の睫がかすかに震えた。ゆっくりと瞼が開いて空色の瞳が現れる。 「…ロイ…」 殆んど空気の動きでしかないその声にロイの瞳から新たな涙が溢れ出た。 「ハボック…っ」 ギュッと抱きしめればハボックがかすかに笑う。そんな二人の側でカイもヘンリーも喜びに頬を濡らした。 「…すみません」 「なに、これくらい大したことないさ。」 意識を取り戻しはしたものの起き上がることの出来ないハボックをカイが背負う。その背を気遣うようにロイが撫でればハボックが小さく笑って目を閉じた。 「ミリア、手、繋いであげるっ」 そう言ってヘンリーが手を差し出せば、ミリアは何も言わずにその手を見つめていたが、やがてそっと伸ばした手でヘンリーのそれを握った。嬉しそうに頬を染めたヘンリーはミリアの手を引いて歩き出す。カイの家に向かって歩いていると、前方に村人達が立っているのが見えた。 「カイおじさん…。」 ヘンリーが不安そうにカイを見上げる。カイはひとつ頷くとハボックを地面に下ろした。ロイにハボックを任せると数歩進み出て村人達と向かい合う。黙ったまま睨んでいると村人達をかき分けて老医師と村長が顔を出した。カイの顔を見て、背後のハボックたちを見て、それから老医師が口を開く。 「ワシらには何が起こったのかよく判らんかったが、ワシらはまた救ってもらったんだな、この村を守る呪術師に」 「先生…」 「最初から全て教えてもらえんだろうか。そしてワシらに償うチャンスをくれんか」 老医師の言葉にカイはそっと目を閉じる。それからゆっくりと目を開くと言った。 「先生。それは村の連中みんなの意思か?」 「カイ」 「これまでのことを思えば、ハイそうですか、と頷く気にはなれん。ジャン自身がどう思っているかはともかく、俺はそうだ。それでも先生はまだジャンによくしてくれてはいたが…」 カイはそう言うと軽く首を振る。 「とにかく今はジャンを休ませてやりたいんだ。アンタらがもし本当に真実を知りたいと思うなら、後で俺の家に来てくれ」 カイはそう言うと村人達に背を向ける。ロイに体を預けて地面に座り込んでいたハボックを再び背負うと歩き出した。カイ達が側まで来ると、村人達が割れるように道をあける。その間を黙ったまま通り過ぎるとカイたちは村人達の視線を痛いほど感じながらその場を後にしたのだった。 家に戻ると2階の一室にハボックを運び込む。ベッドの上にその長身を横たえるとホッと息をついた。 「すまんな、この部屋しか空いてなくて」 「いや、いつも世話になるばかりで…」 ハボックの傍らに膝をついたロイがカイを見上げて言う。すまなそうなその顔にカイはニッと笑うと言った。 「ジャンは俺の家族のようなものだし、ジャンの大切なお前さんもそうだ。遠慮することはない」 カイは疲れきって眠っているハボックをじっと見つめる。 「さっきはすまなかったな。連中が謝りたいと言ってるならそれを素直に受けるべきだったのかもしれんが、俺にはどうしても出来なかったんだ」 「いい。私も同じだから」 そう答えるロイにカイは苦笑した。 「ジャンは不服かもしれんな」 「コイツは少し怒るって事を覚えた方がいいんだ」 ムスッとして言うロイにカイはくすくすと笑う。途端に睨まれて慌てて笑いを引っ込めた。 「とにかくゆっくり休んでくれ。食事が出来たら呼ぶから」 「ありがとう」 ロイはそう言って視線をハボックへと移す。ロイの手がそっとハボックのそれを握り締めるのを視界の端で捕らえながらカイは部屋を出た。階下に下りるとダイニングの椅子に座っているヘンリーとミリアの側へ行く。ヘンリーはカイが下りて来た事に気がつくと言った。 「カイおじさん、ミリア、何にも覚えてないんだよ。自分の名前も判らないの」 それを聞いてカイは椅子に座ったミリアの足元に跪くとミリアの顔を覗き込む。 「ミリア、俺のことが判るか?」 だが、ミリアは何も答えずその赤褐色の瞳でじっとカイを見つめるばかりで。 「そうか…」 カイはそう呟いてミリアの体を抱きしめた。ミリアがしたことを思えばミリアが何もかも忘れてしまったことを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、正直カイには判らない。全てを記憶にとどめた上で償うべきだとも思うし、まっさらな状態で村の為に尽くすのもいいのかもしれないとも思う。 「俺には難しすぎるな…」 いずれにせよ、ミリアの罪は自分も共に背負うものだろう。カイは深い息を吐くとミリアの体をギュッと抱きしめた。 |
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