アフ・チュイ・カック  第三十章


「来るっ!」
 二人目がけて走ってくる姿にロイが身構える。唇に載せた言葉が焔をまとった壁となりミリアとの間に立ちはだかった。
「小ざかしいっ!!」
 ミリアはそう叫ぶと縦に腕を振り上げる。迸った邪気が焔の壁を切り裂きミリアはその隙間に飛び込んだ。
「ジャンっ!!」
 ハボックに飛びかかろうとしたミリアの前を焔の龍が疾る。その龍がミリアの腕に巻きつき、ミリアは腕を走る激痛に絶叫をあげた。
「ガアアアアア―――ッッ!!」
 ミリアは激痛に顔を歪めながらもその口から絶叫と共に邪気の塊を吐き出す。ロイは間一髪でそれを避けるともう一匹龍を呼び出した。
「行けっ!!」
 ロイの言葉と共に龍がミリアに襲い掛かる。ミリアの体に触れようとした瞬間、ミリアは自分の腕に巻きついた龍でもう一匹を叩き落した。地面に当たり細かな焔の欠片となって弾け飛ぶ龍にミリアが薄く嗤う。ロイとミリアは数メートルの距離を置いて互いを睨んで身構えた。
(くそ、本気でぶつけるわけにはいかないし、とはいえこれくらいじゃ足止めにもなりゃしない)
 ロイはグッと唇を噛み締めると拳を握り締める。
(30秒でいい。ミリアの動きを止めるっ)
 ニヤリと嗤って叩きつけてきたミリアの邪気を焔の壁で受け止めたロイは、そのままゴロリと身を投げるように転がってミリアのサイドに回りこむと地面に両手をつける。二言三言ロイが囁いたその声に答えるように。
 ドオオン!!
 ドンッ!!
 ドンッ!!
 ミリアの周りを取り囲むように焔の柱が地面から噴き上がる。燃える焔と熱風から身を守るように両腕を上げたミリアの姿が焔の隙間から見え、ロイはその隙間を埋めるように更に柱を地面から立ち上げた。

 二人から更に数メートルの距離を置いたところに立っていたハボックはミリアの姿をじっと見つめながら小さく呟いていた。言の葉は風に乗ってミリアの体を取り巻きその中を探っていく。
(ア・プチの核を見つけないと…)
 ロイと戦うミリアの体は右に左に動いてその中を探るのは難しい。だが、ハボックは風の力を借りてミリアの中を探り、ミリアとア・プチの核の境を必死に探していた。その時、ミリアの体を焔の柱が覆い、その動きが鈍くなる。ハボックはミリアを取り巻く熱風に言の葉を任せるとその行方を追いかけた。ゴオゴオと鳴る焔の音が遠くなり、ハボックの意識は言の葉と共にア・プチを探す。ミリアを見つめるハボックの空色の瞳が透明な輝きを帯び、何もかもを映し出したかのように見えた時。
「見つけたっ!!」
 ハボックはそう叫ぶと同時にア・プチをミリアから引き剥がす為の言葉を唱える。
「Το  φως,  χωρίζει  το  σκοτάδι  από  τη  μέση  της!」
 そうしてハボックはミリアに向けてその言葉を叩きつけた。言葉が光をまとってミリアにぶつかると触手を広げるようにミリアの体を無数の糸が覆いつくしその中へと侵入していく。ハボックはその糸が切れないように言葉を紡ぎ続け、ミリアの中にあるア・プチの核目指して糸を伸ばしていった。
『なんだっ!?これはっ!!』
 焔の柱と金糸に取り巻かれたミリアの口からしわがれた声が上がる。ミリアの紅い瞳が焔の柱のずっと向こうにいるハボックの姿を捕らえた。
『おのれっ、呪術師っ!!』
 ミリアは不自由な体を捩って頭を振る。焔に焼かれて嫌な匂いを放つ長い髪が振れて、そこから無数の細かい針の様なものがハボック目がけて飛び散った。ハボックは邪気をまとった針が自分目がけて飛んでくることを意識の端で感じながらもガラスの輝きを放つ瞳でヒタとミリアを見つめたまま身動きしなかった。その唇からは光の糸を操る言葉が途切れることなく零れア・プチに絡みつき引き剥がそうとする。
『死ねっっ!!』
 その言葉と同時に邪気の針がハボックにぶつかるかと思ったその時。
 ドオオオンッ!!
 ハボックの体を守るように炎の柱が立ち塞がった。その一瞬後、ア・プチは自分を器から引き剥がそうと纏わりついてくる光の糸を見る。逃れるように邪気を迸らせたものの、光の糸はことごとくそれを叩き落しア・プチに巻きつき覆い隠していった。
『離せっ!!ハナセェェェッッ!!』
 器から強引に引きずり出されながらア・プチが喚く。だが、あまりに純粋で強い力に敵わないと覚るやいなや、ア・プチは器に残る魂に向けて手を伸ばした。
『ただでは出て行かぬッッ!!』
 そう呻くとミリアの魂をその薄汚い手で鷲掴み、諸共に引きずり出そうとする。
「きゃああああ―――っっ!!」
 体から強引に引き剥がされる激痛にミリアの魂が悲鳴を上げた。
『お前の全てを喰らってやるっっ!!』
 そう、ア・プチが吠えた時。
「ミリアを離せっっ!!」
 ハボックが叫び、ア・プチを覆う光の糸が眩い光を放った。
『な…っ?!バカなっ…そんな、バカな―――ッッ!!』
 ミリアの体を取り巻く焔の柱の真ん中から金色に輝く光の珠がまっすぐに飛び出し。
「Το  φως,  εσωκλείει  το  σκοτάδι  ακτινοβολεί  μέσα  του   καθρέφτη!!」
 ハボックの声に引かれるように光の珠がハボックの手の中の鏡に吸い込まれた。パチンと音を立てて蓋を閉じるとハボックは素早く封印の言葉を唱える。
「Χρησιμοποιώ  το  κλειδί!」
 もがくように震えていた鏡はその言葉と同時にゆっくりとその動きを止め、そうして。
 ハボックは動かなくなった鏡をその手に握り締めて野原の真ん中に立っていたのだった。

「ハボックっ!!」
 手を振って焔の柱を収めたロイがハボックに駆け寄ってくる。
「大丈夫かっ?!」
「えっ、あ…」
 ロイに腕をきつく掴まれて、ハボックは我に返るとロイを見下ろす。それから手にした鏡を目を見開いて見つめた。
「…封じたんスか、オレ?」
 信じられないと言うように呟くハボックにロイは笑うとハボックの体をギュッと抱きしめる。その体を抱き返したハボックはハッとしてあたりを見回した。
「そうだ、ミリアはっ?」
 ミリアの姿を探して野原を見回した二人は草の中に倒れ伏す細い体を見つけて駆け寄る。ハボックはミリアの体を抱き起こすと顔を覗き込むようにしてミリアを呼んだ。
「ミリアっ!ミリア、しっかりっ!!」
 そう呼びながら抱いたミリアの体からその中に残る魂がすっかりと闇に食い荒らされてしまっている事に気づいたハボックが縋るようにロイを見上げる。ロイは小さく首を振ると答えた。
「ムリだ。私にはどうすることも出来ない」
 ハボックはロイの顔をじっと見つめていたがミリアの体を地面に横たえるとその胸に手を当てる。そうして記憶を探るように少しの間目を閉じていたと思うと、パッと目を開けて言の葉を唇に載せた。その言葉を聞いたロイがギョッとしてハボックを見る。ミリアに触れているハボックの手を掴むと引き剥がそうとした。
「やめろっ!ハボックっっ、それは…っっ」
 ハボックの唇から零れるのは長い時を生きてきたロイですらもう殆んど知ることのない古い古い言葉。大地の神を、空の神を呼び起こし、魂が生まれ、そして還って行くその原始の場所の扉を開ける言葉。
「よせっっ!!」
 そう叫んだロイがハボックの手に触れようとすると、電気のような衝撃が走ってロイは後方へと弾き飛ばされる。
「ハボックっ!!」
 ロイの視線の先でハボックの体は金色の光に包まれ、パチパチと火花を放っていた。
「あ、あ、あ…」
 ハボックの顔が苦痛に歪み、空色の瞳が大きく見開かれ。
「ミリア…!」
 パアアアンと高く澄んだ音が野原に響き、ハボックを包む光が破裂した。
 サアアア―――。
 野原を一陣の風が吹きぬけ、そうして。
 ジャン。
 優しいミリアの声が二人の耳に届くのと同時に、あたりは目も眩む光に包まれた。


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